第四十七話「緊急召集」
北海道の商店街は、観光客と地元の人々で賑わっていた。キヨシと山口は、札幌の有名な菓子店で六花亭のバターサンドや白い恋人を物色していた。店内には甘い香りが漂い、色とりどりの包装紙に包まれた土産物が所狭しと並んでいる。
「桜は甘いもの好きだから、これ喜ぶかな」
キヨシがマルセイバターサンドの箱を手に取りながら呟いた。
「茜さんには何がいいかしら」
山口も悩ましげに商品を眺めている。
「医学生だから、疲労回復に良さそうなものとか……」
「チョコレートならカフェインも入ってるし、勉強の合間にいいんじゃない?」
そんな他愛のない会話を交わしていた時、キヨシのスマートフォンが鳴った。マリアからの着信だった。
「はい、マリア?」
「キヨシ、バイト終わり。すぐ戻って」
声が普段より早口で、どこか切迫した響きがある。背景からは慌ただしい足音や、複数の人間が話し合う声が聞こえてきた。
「え? でも約束では夕方まで……」
「今忙しい。とにかく戻って」
通話は一方的に切れた。キヨシは困惑しながらスマートフォンを見つめた。
「どうしたの?」
山口が心配そうに声をかける。
「マリアから急に呼び戻しって。なんか慌ててる感じだった」
「それじゃあ急いで戻りましょう。モイモイちゃんにお別れを言わないと」
二人は急いで会計を済ませ、犬小屋へと向かった。モイモイは相変わらず小屋の中でのんびりと横になっている。キヨシが近づくと、尻尾を振る音は聞こえないが、きっと数千キロ先の尻尾が嬉しそうに振られているのだろう。
「じゃあ、また明日お世話しに来るからな」
キヨシがモイモイの頭を優しく撫でると、犬は小さく鳴いて応えた。まるで「お疲れ様」と言っているかのような、温かい鳴き声だった。
「この子、本当に賢いのね」
山口も別れの挨拶をした。
「また明日会えるの楽しみにしてるわ」
空飛ぶ車での帰路、キヨシは操縦しながらも気が気でなかった。マリアの声に込められていた緊張感が、ただならぬ事態を予感させる。
「大丈夫かな、何かあったのかな」
「マリアちゃんのことだから、きっと何か重要な連絡でも入ったのよ」
山口が慰めるように言った。
「でも、あの子が慌てるなんて珍しいわね。いつも冷静沈着なのに」
東京の空が見えてきた頃、キヨシの胸の奥で漠然とした不安が膨らんでいた。
アマガワ事務所に到着すると、普段とは明らかに違う空気が流れていた。マリアが資料を抱えて慌ただしく動き回り、京介とアスカが深刻な表情で何かを話し合っている。モリーは電話に出っぱなしで、受話器を握る手が微かに震えていた。
「お疲れ様」
キヨシが声をかけると、マリアが振り返った。
「ありがと。でも今日はもう帰って」
マリアは封筒に入ったバイト代を手渡しながら、せかすように言った。普段なら簡単な報告を求められるのに、今日は違う。
「何かあったの? 手伝えることがあれば……」
「大丈夫。ちょっと急な仕事が入っただけ」
マリアの表情は相変わらず無表情だったが、その目には普段見ることのない焦りの色が宿っていた。
「でもマリア、お前一人で大丈夫か? 俺たちも……」
「本当に大丈夫だから。また明日話す」
そう言って、マリアは文字通り部員たちを押し出すように事務所から追い出した。扉が閉まる直前、キヨシは京介の重々しい声が聞こえた気がした。
「ホウジョウからの連絡は……」
扉が完全に閉まり、その後の言葉は聞こえなくなった。
「なんか、ただならぬ雰囲気だったわね」
山口が不安そうに呟いた。
「ああ。マリアがあんなに慌ててるの、初めて見た」
「でも、あの子なりに考えがあるのでしょう。私たちは明日を待ちましょう」
帰宅途中、キヨシは胸の奥でくすぶる不安を抱えたまま、一人電車に揺られていた。車窓から流れる夜景を眺めながら、ふと思った。自分たちが巻き込まれている世界は、思っていた以上に複雑で危険なものなのかもしれない、と。
自宅に着くと、玄関で茜が待っていた。普段なら自室に籠もって医学書と格闘しているはずの姉が、なぜかそわそわした様子で立っている。
「おかえり、キヨシ」
「ただいま。どうしたの、姉さん?」
「九州のおじさんから電話があったのよ」
茜の表情が急に真剣になった。
「あなたに、すぐ鹿児島に来てほしいって」
キヨシは立ち止まった。
「鹿児島? なんで?」
「詳しいことは分からないけど、なんか家の仕事で手伝ってほしいことがあるらしいわ。サムライの会合があるから出席してほしいって」
「サムライの会合?」
キヨシの頭の中で、京介から聞いたハブ家の話が蘇った。確かに自分の家系はサムライの血筋だと言われていたが、まさかそれが現実の義務として降りかかってくるとは思っていなかった。
「お父さんとお母さんはアメリカにいるから、代理で出席してほしいんですって」
茜が続けた。
「おじさん、すごく切羽詰まった声だったわ。何か大変なことが起きてるのかもしれない」
キヨシは階段に腰を下ろした。今日一日で起きた出来事が、頭の中で渦を巻いている。マリアの慌てぶり、事務所の緊迫した空気、そして今度は実家からの召集。
「いつ出発すればいいって?」
「明日の朝一番の便で。おじさんが航空券の手配をしてくれるそうよ」
「明日って……」
「キヨシ、大丈夫? 顔色悪いわよ」
桜が心配そうに顔を覗き込んできた。いつの間にか妹も玄関に降りてきていた。
「ちょっと色々重なっててさ」
キヨシは苦笑いを浮かべた。
「まあ、なんとかなるか」
だが内心では、これまでとは次元の違う何かが始まろうとしていることを、肌で感じ取っていた。北海道で出会ったセツナの言葉が頭をよぎる。「南の方の……」という、あの微かな嘲りを込めた響き。
その夜、キヨシは荷物をまとめながら考えていた。自分は今、どんな世界に足を踏み入れようとしているのだろうか。アマガワ事務所での日常が、突然遠いもののように感じられた。
窓の外では、いつもと変わらない東京の夜景が広がっている。しかし明日からの自分の人生は、きっと今夜までとは違うものになるに違いなかった。




