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第四十六話「モイモイと北の大地」



 空飛ぶ車のエンジン音が北海道の冷たい大気を切り裂きながら、キヨシは操縦桿を握りしめていた。助手席では山口萌が犬用のおもちゃを眺めている。ボール、縄のおもちゃ、骨の形をしたビスケット。普通なら微笑ましい光景のはずなのに、これから数千キロメートルにも及ぶダックスフンドの世話をしに行くという現実が、キヨシの頭をぐらぐらと揺らしていた。


「うう……めまいがしてきた」


「まさかキヨシくんがここまで順応するとはねー」


 山口がちらりと彼を見やった。


 彼女はラジオのダイヤルを回しながら、軽やかな口調で続けた。北海道のローカル局から流れる天気予報が、今日は晴れ時々曇りだと告げている。


「過去の俺にこの話をしても、絶対に信じないと思う」


 キヨシは真顔で呟いた。


「『お前、将来宇宙人の依頼で巨大ダックスフンドの世話するようになるぞ』って言われても、『はあ?』って顔するだろうな」


 山口は小さく笑った。


「確かにね。私だって去年の自分に『銀河の歌姫になって、マフィアの友達ができて、指名手配犯と一緒に犬の世話をする』なんて言われたら、病院を勧めてたかも」


 無線機がピーッと鳴った。本州中部にいる竹彦の声が聞こえてくる。


「こちら中央部隊。ブラッシング開始したんですが、どうも目の前に人がいないと嫌がってる感じですね。触られて不安らしいので、急いでください」


 キヨシは無線を取った。


「了解。確かに、目の前に誰もいないのにガシガシ体を触られたら、ちょっと嫌な気持ちになるかもな……」


「そりゃそうよ」


 山口が相槌を打った。


「人間だって同じでしょ。見えない手で突然マッサージされたら、びっくりするもの」


 車が徐々に高度を下げ始める。眼下に広がる北海道の大地は、本州とは明らかに違う空気を纏っていた。建物の様式、看板の文字、そして行き交う人々の髪の色。金髪や青い瞳が珍しくない光景に、キヨシは複雑な思いを抱いた。


「あんまり日本という感じがしないな」


 山口も同じことを考えていたらしく、小さくため息をついた。


「混血の土地だからね。カーカラシカ国の移民政策の影響が一番強く残ってる場所よ。塩化爆弾の件もあって、複雑な気持ちになるわ」


 二人とも黒髪に黒い瞳のニホン人だ。この土地では少数派になる。そんな現実が、なんとなく居心地の悪さを感じさせた。


 着陸地点に近づくにつれ、キヨシの頭に別の疑問が浮かんだ。


「そういえば竹彦のやつ、あいつの親って知らないな」


「実は私もあまり知らない」


 山口が答えた。


「会ったこともないし……普通、高校生なら親の話くらい出そうなものなのに」


 キヨシは慎重に操縦桿を操作しながら頷いた。


「まあ、あれだけ変わったやつなら何か事情があるんだろうな」


 毎日見るあのちょっと日本人にはとても見えない同級生の姿を思い出す、褐色肌、黒髪、赤目。異国情緒あふれる人々をみていると、どうもあの日本人を自称するサイコパス同級生のことが思い出される。


「まあ…、純粋な日本人じゃないのは明らかよね」


「だよなあ」


以前竹彦にそのことを話したことがある。竹彦はその話題になると、かなり大きな声で


『僕は日本人です!』


と叫んでいた。多分何か事情があるのだろう。


「私も最初竹彦とあったころ、それを言って、ちょっと嫌われたことがあったわね…」


萌が暗い顔をする、ちょっとその様子はかなりトラウマだったんだなと、容易に連想できるくらいの落ち込みようだった。


車がふわりと着地する。エンジンが静かに停止すると、北海道の冷たい空気が一気に車内に流れ込んできた。キヨシは荷物を肩にかけながら、ふと思い立って山口に聞いた。


「山口、竹彦には告白しないのか?」


「ぶっふぉおお!」


 山口が口に含んでいた缶コーヒーを勢いよく吹き出した。慌てて咳き込みながら、顔を真っ赤にしている。


「な、なに急に!」


「いや、部活での視線とか、なんとなくの近寄り方で分かるんだよ」


 キヨシは肩をすくめた。


「好きなんだろうなって確信してたから」


「うー……」


 山口は恥ずかしそうに俯いた。


「どうせ私なんて眼中にないわよ。あの人、何考えてるか分からないし」


「でもさ」


「もう! その話はおしまい!」


 山口は頬を膨らませて、犬用品の入ったバッグを乱暴に引っつかんだ。


「モイモイちゃんの面倒を見に行くのよ!」


 犬小屋は想像していたよりもずっと普通だった。木製の小さな小屋に、一見何の変哲もないダックスフンドがちょこんと座っている。


「かわいー!」


 山口が目を輝かせて駆け寄り、そっと頭を撫でた。ダックスフンドは嬉しそうに尻尾を振り、ワンワンと鳴いた。ここから見る限り、本当に普通の犬だ。


 キヨシは餌を取り出して、犬の前に置いた。


「待て」


 ダックスフンドはじっと座ったまま、餌を見つめている。


「よし」


 合図と共に犬は餌に飛びつき、美味しそうに食べ始めた。キヨシは次にボールを取り出す。


「お手」


 右前足がぺたりと彼の手の平に置かれた。確かに普通の犬の反応だ。だが、ボールを投げて遊び始めた時、異変に気づいた。


 犬小屋から、ダックスフンドの胴体がにゅーっと長く伸びてくるのだ。まるで伸縮自在のホースのように、どこまでも、どこまでも伸びていく。


「……やっぱり普通じゃないな」


 無線機がガガッと鳴った。鹿児島にいるアスカの声だった。


「おぉ! 尻尾振ってるで! めっちゃ機嫌ええやん!」


「フンの片付けも無事終了や!」


 サヤカの声も聞こえる。


「量はほどほどやけど、フンが異常に長いで! まじで数百メートルあるんちゃう?」


 キヨシと山口は顔を見合わせた。現実は確実に常識の範囲を超えている。


「お疲れ様」


 キヨシが無線に答えた。


「こっちは順調です。頭の部分は普通に懐いてくれてる」


 犬の世話を一区切りつけると、山口が提案した。


「せっかく北海道に来たんだし、ご当地のお菓子でも買いに行かない?」


「それいいね。札幌ラーメンも食べたいし」


 二人は街へと向かった。歩きながら、キヨシは改めて周囲を観察する。確かに金髪や青い瞳の人々が多い。建物の看板にも、時々カーカラシカ文字が混じっている。


「複雑だな」


 キヨシが呟いた。


「塩化爆弾をエリドゥに落とした記憶も新しいのに、こうして混血の人たちと普通に街を歩いてる」


「政治と個人は別よ」


 山口が静かに答えた。


「でも、やっぱり複雑な気持ちになるのは確かね。私たちみたいな黒髪黒目の人間が少数派だと、なんとなく浮いてる感じがするし、やっぱ根深いわよね…そんな昔の話でもない話よね…」


 商店街を歩いていると、キヨシはふと立ち止まった。犬小屋の方向から、楽しそうな声が聞こえる。


「あれ? 誰かいる」


 急いで戻ってみると、身長の小さな少女がモイモイと遊んでいた。ベリーショートの金髪に赤い瞳、発達した体つきをぴったりとした服装で包んでいる。腰には剣が一本刺してあった。


「あのー……」


 山口が遠慮がちに声をかけると、少女は振り返った。


「ん? 何?」


 流暢な日本語だった。


「えーっと、そのワンちゃんのお世話を任されてて、私たち」


 キヨシが説明した。


「あー」


 少女は納得したように頷いた。


「お世話ありがとう。ちょっと家の連中が出払っててさ、他の連中に頼んだのね」


 そう言って立ち上がる。間近で見ると、子供のような外見に反して、その体つきや立ち振る舞いには只者ではない雰囲気があった。


「飼い主?」


 キヨシが聞いた。


「いいや」


 少女はにっと笑った。


「うちの『シノギ』の一つ」


 その瞬間、キヨシの背筋に緊張が走った。シノギ。つまり、この犬も何らかの商売道具ということだ。


「ワタシ、セツナ。ウチはキモンっていう家なんだけど、あんたらは?」


 尊大でありながら屈託のない笑顔で、セツナが名前を聞いた。


 山口が自己紹介を始めた。


「私、山口萌です。歌手をやっています。もしかしたらテレビで見たことがあるかもしれませんが……」


 セツナの目が丸くなった。


「あの歌手の? なんか似てるなーとは思ったけど!」


 慌てて手をゴシゴシと擦って、勢いよく差し出してくる。


「握手して! ファンなの!」


 山口はいつもの営業スマイルを浮かべて応じた。


「応援ありがとう。これからもよろしくお願いします」


「やっぱり本物だ! 声も同じ!」


 セツナは嬉しそうにはしゃいだ。


 そして視線がキヨシに向けられた。今度は警戒するような、値踏みするような目つきだった。


「あんたは?」


「ハブ・キヨシです」


「ハブ……」


 セツナが呟いた。


「あぁ、南の方の……」


 その口調に、微かな嘲りが混じっているのをキヨシは感じ取った。ハブ家がサムライの名家だということは、この北の土地でも知られているらしい。だが、それが敬意ではなく軽蔑を呼んでいるようだった。


「まあ、たまにこいつの面倒を頼むかもね」


 セツナはモイモイをワシワシと荒っぽく撫でてから、剣を腰に差し直した。


「じゃあ、よろしく」


 そう言い残して、セツナは軽やかな足取りで去っていった。


 キヨシと山口は、しばらく彼女の後ろ姿を見送っていた。


「なんか、複雑な人だったね」


 山口が小さく呟いた。


「ああ」


 キヨシは頷いた。


「この土地の複雑さを体現してるような感じだった」


 モイモイが小さく鳴いた。まるで二人の会話を理解しているかのように、慰めるような優しい声だった。


 キヨシがモイモイの頭を軽く撫でながら、若干不満気に呟いた。


「なんか、歌手やってると人から好かれていいよな……」


「そうでもないわよ」


 山口は苦笑いを浮かべた。


「ああいう感じのファンじゃなくて、粘着も多いし……ていうか、キヨシ、あの子になんか嫌われてる風だったわね。初対面なのに」


「一体なんなんだよ」


 キヨシは困惑したように呟いた。


「さあ、お腹も空いたし、本格的にご当地グルメを探しに行こうか」


 山口が立ち上がった。


「札幌ラーメンと、あと有名な菓子パンがあるって聞いたことがあるの」


「それいいね」


 キヨシも荷物をまとめながら答えた。


「モイモイちゃんの世話は午後にまたやろう」

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