第三話「文芸部」
坂の上高校には、七夕竹彦以外にも変わった生徒がいた。
山口萌。長い黒髪を高く束ねた女子生徒。アイドルではなく、歌手。その透明感のある歌声で、全国的に有名だった。CDの売り上げも好調で、音楽番組にも頻繁に出演している。
キヨシは彼女に恋をしていた。高校生らしい、純粋な片思い。クラスの男子の大半が同じ気持ちだったが、キヨシの場合は特に重症だった。彼女のCDは全部持っているし、出演番組は欠かさず録画している。
だが、山口萌本人は、学校ではまるで別人だった。テレビで見せる柔らかな笑顔は一切なく、誰とも口を利かない。挨拶すらしない。授業中も一点を見つめているだけで、休み時間になるとすぐに教室を出て行く。
「山口さん、今度のライブ行きます!」
「サインください!」
クラスメイトが声をかけても、完全に無視。まるで周りの声が聞こえていないかのように、無表情で歩いていく。
そんな彼女が向かう先は、旧校舎の部室棟。古びた建物の二階にある、一つの部屋。扉には「文芸部」という札がかかっている。
普通なら、有名人の居場所が分かれば、生徒が殺到するはずだった。だが、誰も彼女を追いかけない。理由は簡単だった。
「あそこ、七夕がいるんだろ?」
キヨシの友人、田中が小声で言った。
「俺の先輩、去年山口さんにサイン頼みに行ったらしいんだけどさ」
「どうなった?」
「両腕折られて、三ヶ月入院」
キヨシは息を呑んだ。
「しかも、竹彦の奴、腕折った後で『山口さんのサイン、その腕じゃ貰えないですね。僕がもらってきます!』って笑顔で言ったらしい」
「サイコパスすぎる...」
文芸部の噂は他にもあった。部室の前を通った生徒の証言によると、中から山口の歌声が聞こえることがある。練習しているらしい。そして、竹彦は何故か刺繍をちまちまとしているという。
「他にも変な奴らがいるらしいぞ」
田中が続けた。
「二年のサヤカって知ってる?銀髪のイタリア人」
「ああ、あのIQ200の」
サヤカは有名だった。授業中にゲームをしたり、突然踊り出したりする問題児。だが、成績は学年トップ。教師も手を出せない。
「あいつも文芸部らしい」
「マジか」
「それから、部長って呼ばれてる金髪碧眼の大男。どっかの会社の社長らしい」
「高校生で社長?」
「さあ。あと、二宮って女子生徒。いつもニコニコしてて、占いがめちゃくちゃ当たるって噂」
キヨシは旧校舎を見上げた。変人奇人の巣窟。近づかない方が無難だ。そう思いつつも、山口萌への想いは募るばかりだった。
放課後、キヨシは意を決して旧校舎に向かった。遠くから見るだけ。それだけなら大丈夫だろう。
階段を上がり、廊下を進む。文芸部の扉が見えてきた。中から声が聞こえる。山口の歌声だ。美しい、澄んだ声。
キヨシは息を殺して近づいた。扉の隙間から中を覗こうとした、その時。
「こんにちは!」
背後から声がした。振り返ると、竹彦が立っていた。相変わらずの笑顔。だが、その赤い瞳は笑っていない。
「ひっ!」
キヨシは悲鳴を上げた。
「どうか命だけは!」
竹彦の手が素早く動き、キヨシの口を塞いだ。その手のひらから、異常なまでの握力が伝わってくる。力を込めれば、頭蓋骨を握り潰せるだろう。
「シー...」
竹彦は人差し指を立てて、笑顔のまま言った。
そして、じっとキヨシの顔を見つめる。
「あれ?処理が効いてなかったんですか?」
意味不明な呟き。竹彦は首を傾げた。
「まあいいや。どうぞ、こっちに」
異常な怪力で腕を掴まれ、キヨシは文芸部の扉へと引きずられていく。廊下にいたクラスメイトたちは、一斉に目を逸らした。屠殺場に向かう豚を見送るような、哀れみと諦めの混じった視線。
扉が開かれ、キヨシは部室に押し込まれた。
中は思ったより広かった。本棚が並び、大きなテーブルがある。窓際のソファに山口萌が座っていた。その向かいで、銀髪の少女、サヤカがゲーム機を弄っている。奥の席には、金髪碧眼の大柄な男性。そして、猫のような目をした女子生徒がタロットカードを並べていた。
全員の視線が、キヨシに集まった。
「どうした?」
金髪の男性が尋ねた。声は意外に優しい。
「この人、部室の前でウロウロしてたんです」
竹彦が説明した。
「それに、なんか見覚えがあるんですよね」
サヤカがゲームから顔を上げた。
「ああ、昨日のパンツ野郎じゃん」
キヨシは凍りついた。昨日。やはり、あれは夢ではなかったのか。
山口萌が初めてキヨシを見た。無表情のまま、じっと見つめてくる。
「新しい部員?」
猫目の女子生徒、二宮が首を傾げた。
「違うでしょ」
サヤカが即答した。
「ただの一般人。記憶処理したはずなのに、なんで覚えてるの?」
記憶処理。一般人。キヨシの頭が混乱する。ここは一体、何の集まりなんだ。
竹彦がキヨシの肩を掴んだ。
「とりあえず、座りましょうか」
有無を言わせぬ笑顔だった。




