第二十一話「オーナーの怒り」
キヨシは安堵のため息をついた。取引は無事に終わり、何のトラブルもなく事務所に戻ってこれた。
「ふぅ、今日も無事に——」
言葉が途中で止まった。
事務所のソファで、妹の桜が竹彦とテレビゲームをしていたのだ。
「桜!?」
「あ、お兄ちゃん!」
桜はニコニコしながら手を振った。画面には格闘ゲームが映っている。
「わぁ、また負けたぁ」
竹彦が大げさに肩を落とした。明らかにわざと負けているのが分かる。小さな子供相手に本気を出すタイプではないらしい。
「どうしてここに?」
キヨシが慌てて聞いた。
竹彦が立ち上がった。いつもの朗らかな笑顔。だが、その目は笑っていない。
「ああ、全部聞き出しましたよ」
竹彦の声は穏やかだった。
「飴をなめたら、素直に話してくれました。お兄さんの羽振りが良くなったのが気になって、後をつけてきたそうです」
マリアが顔色を変えた。じりじりと後ずさりする。逃げようとしているのか——
ビィィン!
鋭い音と共に、何かが飛んだ。
マリアのスカートが、電動ドライバーで壁に縫い付けられていた。竹彦が投げたのだ。正確無比な投擲。マリアは身動きが取れない。
「落ち着いて」
マリアの声が震えていた。普段の無表情が崩れ、明らかに恐怖している。
アスカも目を閉じた。
「今日が命日か……」
諦めたような呟き。
竹彦は相変わらず笑顔だった。
「興味深い話を聞きましたよ。どうやら、あなた方三人で、マフィア映画のような会話をしていたそうですね」
竹彦の手に持っていた缶ジュースが、突然爆発した。
パァン!
握力だけで握り潰したのだ。中身が飛び散る。
「おかしいですねぇ」
声は優しいまま。でも、空気が凍りついた。
「この事務所で行われる取引は、全て僕が確認することになっているはずなんですが。緊急の取引でしたか?」
キヨシも危険を察した。
「あ、やばいかも……」
小さく呟く。竹彦はこの事務所のオーナー。そして、違法な取引を絶対に許さない。健全経営の強制執行者。
マリアが必死に弁明した。
「落ち着いて。黙ってたことは謝る」
言葉が短く、早口になる。
「でも、これはパパを見つけるため。仕方ない」
「へぇ」
竹彦が頷いた。その「へぇ」が、なぜか恐ろしく聞こえる。
アスカも慌てて説明した。
「せや! ミレニオンの連中の懐探りや!」
関西弁がさらに強くなっている。焦りの証拠だ。
「これはデリケートな問題でな! 黙ってたのは謝る! でも、事務所に迷惑かけたくない一心やったんや! すまんかった!」
深々と頭を下げる。2メートル近い長身が、90度に折れ曲がった。
一方、桜は飴玉をなめながら、相変わらずニコニコとゲームの画面を見ていた。宇宙酔い止めの効果は、まだ続いているらしい。
竹彦がキヨシに視線を向けた。
「そうなんですか?」
「あ、ああ……」
キヨシは正直に答えるしかなかった。
「確かにミレニオンがどうとか……聞いてはいるけど……」
竹彦は「そうですか」と呟いた。
手をかざすと、マリアのスカートを縫い付けていたドライバーが、すっと抜け落ちた。念動力でもあるのだろうか。
マリアはへたり込んだ。足が震えている。
竹彦は急に普通の口調に戻った。
「今度からは、しっかりと予定ボードに書いて行動してくださいね」
まるで普通の注意のように。
「所長もしっかりしてください。いざという時に困るのは僕たちなんですよ」
そして、桜の頭を優しく撫でた。
「ほら、お兄さんが来ましたよ〜」
にこやかな声。さっきまでの恐怖の空気が嘘のようだ。
「お兄ちゃん!」
桜が立ち上がり、キヨシに抱きついた。
「ここ、すごいところだね! 宇宙人がいっぱいいて、おもちゃ屋さんもあって!」
「あ、ああ……」
キヨシは妹を抱きしめながら、震えるマリアとアスカを見た。
竹彦が振り返った。
「あ、そうそう。京介さんの件なら、協力しますよ」
マリアが顔を上げた。
「本当?」
「ええ。でも、次からは相談してください。僕だって、そこまで鬼じゃありません」
竹彦は笑った。本当に、普通の高校生のような笑顔だった。
でも、床に散らばった缶ジュースの残骸が、その笑顔の裏にある恐ろしさを物語っていた。
竹彦が歩き出そうとして、振り返った。
「あ、そうそう」
また笑顔だ。でも、その笑顔が一番怖い。
「取引の内容と、受け取った報酬額の報告をお願いしますね、マリアさん」
マリアの顔が、さらに青ざめた。
「……はい」
「詳細に、ですよ。相手は誰で、何を渡して、何を受け取って、いくらもらったか。全部です」
「……了解」
マリアの声は、ほとんど聞こえないくらい小さかった。
アスカも顔を引きつらせている。闇バイトの全貌を報告したら、どんな制裁が待っているか分からない。
「明日の朝一番でお願いします。レポート形式で」
竹彦は優しく付け加えた。
「ああ、キヨシさんの分も忘れずに。いくら受け取ったか、正確にお願いしますね」
キヨシも青ざめた。100万円を2回。家族のためとはいえ、それが竹彦にバレたら——
「楽しみにしてます」
竹彦は最後にそう言って、桜の頭をもう一度撫でた。
キヨシは思った。
妹に、この世界の真実をどう説明すればいいのだろう。
そして、もう一つ。
明日の朝、自分たちは生きているだろうか。




