第十七話「銀河の悪名」
舞台袖の薄暗い空間で、山口萌は汗を拭いながら小柄な兵士に近づいた。
「どう? 発音大丈夫だった?」
ヘルメットの奥から、親指が突き出される。グッとサムズアップ。
「引き続き見守ってます! 頑張って!」
竹彦の声は相変わらず朗らかだった。すぐに踵を返し、周囲の警戒に戻っていく。その動きは機械的で、訓練された兵士そのものだった。
山口萌は水のボトルを手に取りながら、ふと思った。
あの東京でのコンサートから、どれだけ遠くまで来たのだろう。物理的にも、精神的にも。地球から何光年も離れた惑星で、コアラの鳴き声で歌っている自分。一年前には想像もしていなかった。
「よーし!」
気合いを入れ直し、再びステージへ向かう。
*
後半戦が始まった。今度はポポロッカ星の伝統的な楽曲だ。観客たちの反応が、前半とは明らかに違っていた。
「ポポロッカ人は、見た目と違ってコンプレックスがある」
マリアが観客席で説明していた。
「声に?」
キヨシが聞き返す。
確かに、これだけ美しい容姿を持ちながら、コアラのような鳴き声しか出せないというのは、ギャップが激しすぎる。
山口萌が、彼らの言語で、しかし人間の声帯で歌い上げる。激しく、力強く、それでいて正確な音程。ポポロッカ人たちは狂喜乱舞していた。自分たちには決して出せない「美しい声」で、自分たちの歌が歌われている。
「あー、私もこういう才能欲しかったなー」
サヤカがぼやいた。
「頭がすごくいいじゃない」
二宮が慰める。
「頭良くても人は幸せにならないわよねー」
サヤカの返答は妙に哲学的だった。
*
盛り上がりが最高潮に達したその時だった。
ガシャン!
会場の天井が突き破られ、金属の塊が降ってきた。いや、それはロボットだった。人型をした、全高3メートルはある戦闘機械。一体、二体、三体……次々と降下してくる。
「グルルル!」
観客たちが恐怖の叫びを上げ始めた。パニックが会場を包む。
「大変」
マリアが真っ先に反応した。部員たちの袖を掴み、出口へ向かって走り出す。
「なんだあれ!?」
キヨシが叫ぶ。
「バンデッド!」
サヤカが答えた。
「宇宙の人攫い集団! 逃げるわよ!」
「おいおい! 萌ちゃんがやばいって!」
キヨシは振り返った。ステージ上の山口萌は、迫りくるロボット兵器の群れを前に、なぜか平然と立っていた。
女王が立ち上がった。その巨体から発せられた命令に、護衛たちが一斉に動く。重装甲のポポロッカ兵士たちが、侵入者に向かって跳躍した。
会場のあちこちで戦闘が始まった。レーザーが飛び交い、金属がぶつかり合う音が響く。
一体のロボットが、山口萌に向かって腕を伸ばした。
その瞬間だった。
袖から、まるで瞬間移動のように小柄な兵士が現れた。ロボットの腕を掴み、一瞬の動作で捻じ切る。金属の腕が、まるで紙のようにちぎれ飛んだ。
「は?」
キヨシは目を疑った。人間の、しかもあの小さな体で、3メートルのロボットの腕を素手で引きちぎったのだ。
竹彦は止まらなかった。次のロボットに飛びかかり、コクピット部分に手をかける。金属が悲鳴を上げるような音を立てて、装甲が引き裂かれた。中から引きずり出された機械部品を、竹彦は無造作に握り潰す。
暴力だった。純粋な、圧倒的な暴力。技術も戦術もない。ただ力任せに、直線的に、敵を破壊していく。
*
山口萌が、マイクスタンドを掴んだ。
「ヘイ!」
サウンド担当に向かって叫ぶ。ポポロッカ語で何か指示すると、重低音の前奏が会場に響き渡った。
そして歌い始めた。
それは今までの歌とは全く違っていた。デスボイスに近い、攻撃的な咆哮。歌詞は理解できなかったが、明らかに戦いの歌だった。英雄譚か、あるいは戦争の賛歌か。
ロボットが破壊される音が、まるで打楽器のように歌にリズムを与える。侵入者たちの悲鳴が、不協和音のコーラスとなる。
竹彦の動きが、歌に合わせて激しさを増した。ロボットの頭部を素手で握り潰し、胴体を真っ二つに引き裂く。油圧シリンダーが破裂し、黒い液体が舞台に飛び散る。
山口萌の声が、その破壊を嘲笑うかのように響く。激しく、荒々しく、それでいて美しい。まるで戦場の女神が歌っているかのようだった。
最後の一体。竹彦がその胸部装甲に両手を突き刺し、左右に引き裂いた。ロボットが真っ二つになり、火花を散らしながら崩れ落ちる。
歌が終わった。
静寂。
会場中のポポロッカ人たちが、へたへたと座り込んでいた。恐怖と興奮と、そして畏怖が入り混じった表情で、ステージを見つめている。
やがて、誰かが足を踏み鳴らし始めた。一人、また一人と増えていき、最終的には地響きのような足踏みが会場を揺らした。
彼らは讃えていた。侵略者を撃退した歌姫と、その守護者を。
*
「あー、今のはやばかったわね」
山口萌が、額の汗を拭いながら竹彦に話しかけた。
「ヘルメットが……壊れました……」
竹彦がモゾモゾと、ひび割れたヘルメットを触っている。戦闘の衝撃で、完全に使い物にならなくなっていた。
「まあ、仕方ないか」
竹彦が両手でヘルメットを掴み、引き裂こうとする。
「あ! それは今取らない方が——」
山口萌の警告は遅かった。
バキッという音と共に、ヘルメットが真っ二つになった。褐色の肌と、赤い瞳が露わになる。
一瞬の静寂。
そして——
「グルルルルルル!!!」
会場が再び阿鼻叫喚に包まれた。今度は恐怖の叫びだった。ポポロッカ人たちが、出口に向かって殺到し始める。
「なんだ!? どういうこと!?」
キヨシが混乱していた。
「あー……」
サヤカが頭を抱えた。
「あいつ、バカね……」
マリアが無表情のまま説明した。
「地球人で一番有名なのは、竹彦」
「は?」
「戦士連盟0級。銀河連盟指名手配犯」
「指名手配!?」
「山口萌は、竹彦の尻拭いをしてる」
キヨシは言葉を失った。あの朗らかで礼儀正しい竹彦が、銀河規模の犯罪者だというのか。
「あいつ、一体何したんだよ……」
竹彦は慌てた様子で辺りを見回し、そして決断したようだった。
「すいません! 緊急事態です!」
壁に向かって走り、拳を振るう。コンサートホールの壁が、まるで発泡スチロールのように砕け散った。
「失礼します!」
山口萌を抱え上げ、開いた穴から飛び出していく。
残されたキヨシたちの周りで、ポポロッカ人たちが大騒ぎしていた。
「彼ら、何て言ってるんだ?」
マリアが翻訳した。
「『歌姫が誘拐された』」
「……マジか」
サヤカが遠い目をした。
「竹彦、本当に嫌われてるわよねぇ……」
キヨシは思った。これが、銀河で最も有名な地球人。最強にして最悪の評判を持つ男。そして今、その悪名にまた新たな一ページが加わった。
『ポポロッカ星の歌姫誘拐犯』として。




