第十六話「銀河の歌姫」
会場に足を踏み入れた瞬間、キヨシは言葉を失った。
「これが……コンサートホール?」
武道館どころではない。東京ドームですら比較にならない。天井は遥か高く、まるで空のように青く輝いている。いや、よく見ると本当に空が映し出されているのかもしれない。三つの太陽が、会場内部にも優しい光を降り注いでいた。
壁面は流線型の曲線を描き、音響を計算し尽くしたかのような有機的なフォルムをしている。座席は階段状ではなく、まるで花びらのように広がり、どの席からもステージが完璧に見えるよう設計されていた。
「すげぇ……」
キヨシは呟いた。建築というより、巨大な楽器の内部にいるような感覚だ。
「VIP席」
マリアが指差した先には、他の観客とは明らかに違う特別席があった。係員のポポロッカ人が、恭しく一行を案内する。
「グルル、コロロ〜」
どうやら「地球からの特別ゲスト」として扱われているらしい。周囲のポポロッカ人たちが、物珍しそうにこちらを見ている。
席に着くと、キヨシの視線は自然とある一点に吸い寄せられた。
「でけぇ……」
ステージ正面の三階席——いや、特別観覧席と呼ぶべきか——に、他のポポロッカ人とは明らかに違う存在が座していた。
身長3メートルはあろうかという巨体。しかし、その大きさ以上に目を引くのは、全身から放たれる威厳だった。青い肌は他のポポロッカ人より深く、まるで深海のような色合い。頭部には水晶のような突起が冠のように並び、それぞれが異なる色で脈動している。
「女王」
マリアが端的に説明した。
「女王って……本物の?」
「そう。ポポロッカ星の統治者」
女王の周囲を、重厚なアーマーに身を包んだ護衛たちが固めている。アーマーは生体金属のようで、呼吸に合わせて微かに伸縮していた。
*
「コロロロ〜、ムゥムゥ〜」
司会者らしきポポロッカ人が、ステージ中央でマイクを持って何かを話し始めた。観客たちが期待に満ちた鳴き声を上げる。
「なんて言ってるんだ?」
「山口萌の紹介」
マリアが翻訳する。
「『地球からの奇跡の歌声』『銀河に響く天使の音』……褒めすぎ」
最後の一言に、マリアの声に微かな嫉妬が混じっていた。
サヤカが楽しそうに笑った。
「へぇ〜、萌ちゃん、こっちじゃアイドル通り越して女神扱いなのね」
「まあ、地球人で銀河デビューしてるのって、ほとんどいないからね〜」
二宮がタロットカードを弄びながら言う。
「ムゥゥゥ〜!」
突然、会場全体が歓声に包まれた。
ステージの袖から、山口萌が姿を現したのだ。
「お、おい……あれ……」
キヨシは目を疑った。
山口萌が着ているのは、ポポロッカ人の伝統衣装らしきものだった。青く光る繊維で編まれた、複雑な幾何学模様のドレス。地球の感覚で言えばかなり露出度が高いが、不思議と下品さはない。むしろ神聖な雰囲気すら漂っている。
髪は普段の高い位置での束ね方ではなく、複雑な編み込みで装飾され、青い光を放つ髪飾りが散りばめられていた。
「綺麗……」
思わず呟いてしまった。学校で見る山口萌とは、完全に別人だった。
「ドンドンドン!」
ポポロッカ人たちが、足を踏み鳴らし始めた。地球のコンサートでいう手拍子のようなものらしい。会場全体が振動し、まるで巨大な心臓の鼓動のようだ。
山口萌が深く一礼すると、静寂が訪れた。
そして——
「グルルル〜♪ コロロロ〜♪」
コアラ語で歌い始めた。
「……マジか」
キヨシは唖然とした。完璧なコアラ語——いや、ポポロッカ語だ。あの練習から一ヶ月でここまで上達するとは。
しかも、ただ発音しているだけではない。コアラの鳴き声のような音を、見事にメロディーに乗せている。時に優しく、時に力強く、まるで本物のポポロッカ人が歌っているかのようだ。
「すげぇ……」
「器用」
マリアが評価した。
「とても器用。だから評価される」
会場のポポロッカ人たちも、身を乗り出して聴き入っている。女王すら、興味深そうに身を傾けていた。
*
数曲のポポロッカ語の歌を歌い終えると、司会者が再びステージに上がった。
「コロロ、ムゥムゥ〜」
「次は地球の歌」
マリアが翻訳する。
「山口萌のオリジナル。銀河でも有名」
「え、マジで?」
見ると、多くのポポロッカ人が何かデバイスを取り出している。歌詞カードのようなものが、ホログラムで表示されていた。
「ちょっと待て」
キヨシが混乱した。
「萌ちゃんの歌、こっちでそんなに有名なの?」
「地球人の歌手で、銀河連盟で知られているのは彼女くらい」
マリアが説明する。
「一番有名な地球人は……」
マリアの顔が渋くなった。
「悪名高い、戦争屋」
「ああ……」
キヨシは納得した。地球人のイメージは「野蛮な戦闘民族」。その偏見を覆すために、山口萌は歌っているのだ。
静寂の中、山口萌が口を開いた。
最初の一声で、会場の空気が震えた。
「なんだこれ……」
声量が異常だった。マイクを通しているはずなのに、まるで生声が直接響いてくるような迫力。しかも、ただ大きいだけではない。繊細な表現から爆発的な高音まで、自在に操っている。
超高音から一気に低音へ。人間の声帯から出ているとは思えない音域の広さ。ポポロッカ人たちが、目を白黒させている。
「これが……地球人……」
誰かのポポロッカ人の呟きが、翻訳機を通して聞こえてきた。
マリアが、いつの間にか取り出したケミカルライトを振り始めた。地球のコンサートスタイルだ。
「お前、用意してたのか」
「当然」
マリアの無表情な顔が、心なしか誇らしげに見えた。
サヤカと二宮も、同じようにライトを振り始める。すると、周囲のポポロッカ人たちが、興味深そうにその動きを真似し始めた。
会場全体が、青とピンクの光の海になっていく。
*
山口萌の歌声が最高潮に達した時——
「ドドドドドン!」
地響きのような足踏みが会場を揺らした。スタンディングオベーションのポポロッカ版だ。
女王が立ち上がった。
3メートルの巨体が動くと、それだけで周囲の空気が変わる。女王は両手を高く掲げた。ポポロッカ人の最高の賛辞を示すポーズだという。
他の観客たちも、一斉に同じポーズを取る。
「すげぇ……」
キヨシは圧倒されていた。地球では「有名歌手の一人」でしかない山口萌が、ここでは文字通りの「銀河の歌姫」として扱われている。
ふと、舞台袖に目をやると、小柄な兵士が立っているのが見えた。ポポロッカ人にしては異常に小さい。ヘルメットで顔は見えないが、その佇まいには見覚えがあった。
「竹彦か……」
守っているのだ。この銀河の歌姫を、陰から。
前半の部が終わり、山口萌が一礼して袖に下がる。司会者が何か説明している間、観客たちは興奮冷めやらぬ様子で、コアラ語で感想を言い合っていた。
「いやー、すごかったわね!」
サヤカが感嘆の声を上げた。
「地球じゃ見られない萌ちゃんの姿よね、これ」
「運命の輪が回ってる感じがします〜」
二宮が神秘的に微笑む。
「後半も、楽しみ」
マリアが、まだケミカルライトを握りしめたまま呟いた。
キヨシは思った。
地球が田舎に見えるのも、当然かもしれない。でも、この田舎者の星から来た少女の歌声が、銀河を震わせている。
案外、地球も捨てたもんじゃない。
いや、むしろ——
「かっこいいな、萌ちゃん」
素直に、そう思った。




