第百四十四話「根回し」
翌日。
ニーナは、銀河標準医療施設へと運ばれた。
竹彦が手配した医師団が、治療を開始する。
回復には、少なくとも二週間はかかるという診断だった。
「母さん、ゆっくり休んでください」
竹彦は、穏やかに微笑んだ。
「僕が、あとは何とかしますから」
ニーナは、ベッドの上から息子を見上げた。
「メル……無茶は、しないでね」
「大丈夫ですよ」
竹彦は、母の手を握った。
「心配しないで」
ニーナは、安心したように目を閉じた。
竹彦は、静かに病室を出た。
廊下で、ラムザが待っていた。
「姉上の容態は?」
「大丈夫です。二週間もあれば、完全に回復するそうです」
竹彦は、歩き出した。
「おじさん、母さんのそばにいてあげてください。僕は、公爵家の件を片付けてきます」
ラムザは、眉をひそめた。
「一人で大丈夫か? あの三家は一筋縄ではいかないぞ」
「大丈夫ですよ」
竹彦は、軽く肩をすくめた。
「銀河連盟のベテラン議員の相手とか、宇宙怪獣とか、脳を収集して自分に接続するいかれた科学者の相手に比べたら、ずっと楽です」
ラムザは、複雑そうな顔をした。
長年続いた国内の政治闘争が、可愛いもの扱いされている。
事実なのかもしれないが、素直に喜べる話でもなかった。
「メル」
ラムザは、少し声を低くした。
「カーカラシカの歴史は長い。公爵家の連中も、それなりに手練れだ。あまり無茶苦茶をしてくれるなよ」
「もちろんですよ」
竹彦は、にっこりと笑った。
「僕だって、親戚の皆さんを傷つけたりしませんから」
ラムザは、何とも言えない顔になった。
数か月前のことを思い出していた。
皇居で暴れた竹彦。
あの時、公爵家の者たちは皆殺しの憂き目に遭いかけた。
傷つけない、と言われても、説得力がない。
「……頼むぞ」
ラムザは、それだけ言った。
◇
その時、竹彦の通信機が鳴った。
応答すると、ホログラムにユキヒメの顔が映し出された。
「メル様」
ユキヒメは、落ち着いた声で言った。
「女帝陛下のご容態、いかがですか」
「回復に向かっています。ご心配ありがとうございます」
「それは何よりです」
ユキヒメは、少し間を置いた。
「それで……何かお手伝いできることはありますか」
竹彦は、微笑んだ。
キモン家は、白い林檎との戦いで竹彦に介入したことがある。
あの時、ユキヒメは竹彦の力を間近で見た。
絶対に勝てない相手だと、身をもって知っている。
それに加えて、キモン家は公爵家の中では新参だ。
メルが今後、カーカラシカの実権を握ることを確信しているのだろう。
早いうちから関係を築いておきたい、という思惑が透けて見える。
竹彦にとっては、ありがたい味方だった。
「ありがとうございます。これから他の三家を説得してきます。明日の会議では、よろしくお願いします」
「承知しました。ご武運を」
通信が切れた。
ラムザが、感心したように言った。
「キモン家は完全にお前の味方だな」
「ええ。助かります」
竹彦は、歩き出した。
「では、行ってきます」
◇
イシュタル家の屋敷。
竹彦は、正面から訪問した。
門番に名を告げると、すぐに通された。
応接室で待っていると、エレシュキガルが現れた。
「これは、メル様。わざわざのお越し、恐縮です」
扇子で口元を隠しながら、エレシュキガルは言った。
丁寧な言葉遣いだが、目は警戒の色を帯びている。
「突然の訪問、申し訳ありません」
竹彦は、穏やかに微笑んだ。
「昨日の会議の件で、お話があります」
「ああ、あの件ですか」
エレシュキガルは、ソファに座った。
「まだ検討中です。一週間後の会議までには、結論を出しますが」
「実は、一週間も待てない状況なんです」
竹彦は、静かに言った。
「銀河の情勢は、刻一刻と変化しています。トロン星は今この瞬間にも、同盟国を増やしている」
「それは、わかっています」
エレシュキガルの声が、少し硬くなった。
「しかし、このような重大な決定を、拙速に行うわけには……」
「エレシュキガル公爵」
竹彦は、真っ直ぐにエレシュキガルを見た。
「率直に伺います。僕の提案の、どこに問題がありますか」
エレシュキガルは、扇子を閉じた。
しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……問題は、提案の中身ではありません」
「では、何が」
「ボム家の影響力が、強まりすぎることです」
エレシュキガルは、はっきりと言った。
「あなたの提案が通れば、外交の主導権は完全にボム家のものになる。他の三家は、ついていくしかなくなる」
竹彦は、少し考えた。
「なるほど。そういうことですか」
「ご理解いただけますか」
「理解はできます」
竹彦は、頷いた。
「でも、今は内輪揉めをしている場合じゃない。外に敵がいるんです。家同士の力関係なんて、後で調整すればいい」
「それは、強者の論理です」
エレシュキガルが、低い声で言った。
「あなたは強い。だから、そう言える。しかし、我々は違う」
「公爵」
竹彦は、少しだけ声のトーンを変えた。
「僕は、カーカラシカを守りたいだけです。ボム家の権力を拡大したいわけじゃない」
「そう言われても……」
「信じてください」
竹彦は、穏やかに微笑んだ。
「僕は、この国に何の思い入れもありません。母さんがいるから、守りたいだけです。母さんが元気になったら、政治からは手を引くつもりです」
エレシュキガルは、竹彦の顔をじっと見た。
嘘をついているようには見えない。
この男は、本当にカーカラシカに執着がないのかもしれない。
それはそれで、厄介な話だった。
執着がないということは、いつでも切り捨てられるということだ。
「……わかりました」
エレシュキガルは、ため息をついた。
「明日の会議で、賛成票を投じましょう」
「ありがとうございます」
竹彦は、頭を下げた。
「ご協力に感謝します」
◇
ベオルブ家の屋敷。
竹彦は、同じように正面から訪問した。
しかし、応接室に現れたイナンナの態度は、エレシュキガルとは全く違った。
「何の用だ」
イナンナは、腕を組んで立ったまま言った。
座ろうともしない。
周囲には、武装した警備兵が十人ほど控えている。
「昨日の会議の件で、お話があります」
「話すことなどない」
イナンナは、冷たく言い放った。
「数か月前、皇居で暴れた男の言うことなど、聞く気はない」
竹彦は、表情を変えなかった。
「あの時は、事情があったんです」
「事情だと?」
イナンナが、鼻で笑った。
「何人の兵士が怪我をしたと思っている。建物がいくつ壊れたと思っている。私だって、お前に殴り飛ばされた」
「申し訳なく思っています」
「思っているだけか。謝罪の一つもなしに、いきなり現れて、賛成しろだと?」
イナンナは、腰の剣に手をかけた。
「お前は危険だ。女帝陛下の息子だからといって、信用できるものか」
竹彦は、静かに言った。
「僕は、話し合いに来ただけです」
「話し合いだと?」
イナンナが、剣を抜いた。
周囲の警備兵たちも、武器を構える。
「お前のような男と、話し合いなどできるものか。帰れ。今すぐ帰れ」
竹彦は、動かなかった。
「公爵、お願いです。話を聞いてください」
「聞く耳を持たん」
イナンナが、剣を構えた。
「帰らないなら、力ずくで追い出す」
その瞬間。
廊下の方で、ガタン、と物音がした。
イナンナが、反射的にそちらを見た。
ほんの一瞬。
視線を戻した時、竹彦の姿が消えていた。
「な……」
背後から、声がした。
「イナンナ公爵」
イナンナは、振り返った。
竹彦が、すぐ後ろに立っていた。
穏やかな笑顔を浮かべている。
イナンナは、周囲を見回した。
そして、息を呑んだ。
応接室にいた警備兵が、全員倒れていた。
廊下から駆けつけようとしていた従者たちも、ぐったりと床に伏している。
誰も動かない。
血は流れていない。
気絶しているだけだ。
だが、いつやられたのか、全くわからなかった。
「い……いつの間に……」
イナンナの声が、震えた。
「僕は、話し合いに来たんです」
竹彦の声は、穏やかだった。
「暴力は好きじゃない。でも、必要なら使います」
イナンナは、剣を構えようとした。
だが、体が動かなかった。
恐怖で、足が竦んでいる。
数か月前の記憶が蘇った。
皇居で暴れた男。
誰にも止められなかった。
自分も、一瞬で叩き伏せられた。
あの時と、同じだ。
いや、あの時よりも恐ろしい。
あの時は、怒りに任せて暴れていた。
今は、笑顔のまま、こちらを見ている。
その笑顔が、何よりも怖かった。
「公爵」
竹彦が、静かに言った。
「僕は、カーカラシカを守りたいだけです。あなたと戦いたいわけじゃない」
「……」
「明日の会議で、賛成してください。それだけでいいんです」
イナンナは、唇を噛んだ。
屈辱だった。
だが、逆らえば殺される。
それは、確信だった。
「……わかった」
絞り出すような声だった。
「賛成する」
「ありがとうございます」
竹彦は、微笑んだ。
「ご協力に感謝します。皆さんは、すぐに目を覚まします。後遺症もありません」
そう言って、竹彦は窓から出て行った。
イナンナは、しばらく動けなかった。
やがて、警備兵たちが目を覚まし始めた。
「う……何が……」
「公爵、大丈夫ですか」
イナンナは、答えなかった。
窓の外を見つめていた。
手が、まだ震えている。
◇
ナブ家の屋敷。
竹彦が応接室に通されると、ウトゥはすでに待っていた。
顔が、青ざめている。
「メル様、ようこそお越しくださいました」
ウトゥは、立ち上がって頭を下げた。
声が、わずかに震えていた。
「お茶でも……いや、何かお飲み物を……」
「お気遣いなく」
竹彦は、ソファに座った。
「昨日の会議の件で……」
「賛成します」
ウトゥが、竹彦の言葉を遮った。
「明日の会議で、賛成票を投じます。ナブ家は、メル様のご提案を全面的に支持します」
竹彦は、少し驚いた顔をした。
「話を聞く前に、ですか」
「はい」
ウトゥは、何度も頷いた。
「メル様のご提案は、カーカラシカ全体の利益になります。異論はありません」
「そう言っていただけるのは嬉しいですが……」
竹彦は、首を傾げた。
「昨日の会議では、慎重な姿勢でしたよね」
ウトゥは、少し困ったような顔をした。
「あの……その……」
「正直に言っていただいて構いませんよ」
「……実を申しますと」
ウトゥは、額の汗を拭った。
「私個人としては、メル様のご提案に賛成でした。しかし、皆さんの手前、あまり私も即断できるような立場ではないのでして……」
「なるほど」
「メル様は、まだ私たちの関係についてご存じではないかもしれませんが……正しいからという理由だけでは、物事が進まないときもあるのです」
竹彦は、ウトゥの顔を見た。
怯えている。
それは間違いない。
だが、それだけではなかった。
公爵家同士の複雑な関係。
長年の歴史の中で培われた、微妙なバランス。
それを無視して、一人だけ賛成に回るわけにはいかなかった、ということだろう。
「……わかりました」
竹彦は、穏やかに微笑んだ。
「事情は理解しました。ご協力に感謝します」
「いえ、とんでもない」
ウトゥは、ほっとしたように息をついた。
「何かあれば、いつでもお申し付けください」
「そこまでしていただかなくても」
竹彦は、立ち上がった。
「対等な協力関係で十分です」
「は、はい。もちろんです」
竹彦は、玄関まで見送られた。
ウトゥは、竹彦の姿が見えなくなると、大きく息をついた。
「……終わった」
従者が、心配そうに尋ねた。
「旦那様、大丈夫ですか」
「大丈夫なものか」
ウトゥは、額の汗を拭った。
「あの男の前にいると、背筋が凍る。早く終わってよかった」
「何もなくて、よかったですね」
「ああ、本当に」
ウトゥは、しみじみと言った。
「ベオルブ家は、大丈夫だろうか。イナンナ殿は、気が強いからな……」
◇
翌日。
皇宮の会議室。
四大公爵家の当主たちが、再び円卓を囲んでいた。
上座には、ラムザが座っている。ニーナの代理だ。
その隣に、竹彦。
「では、改めて採決を取ります」
竹彦は、穏やかな声で言った。
「君主制国家との連携について。賛成の方は、挙手をお願いします」
四人の手が、一斉に上がった。
満場一致。
ユキヒメは、最初から穏やかな表情だった。
エレシュキガルは、複雑な顔をしている。
イナンナは、青ざめたまま、竹彦を見ようとしない。
ウトゥは、ひたすら下を向いている。
「ありがとうございます」
竹彦は、微笑んだ。
「では、早速準備に取りかかりましょう。オルテガ星系への使節団を編成します」
会議は、滞りなく進んだ。
竹彦の提案は、すべて承認された。
誰も、反論しなかった。
◇
会議が終わった後。
廊下で、エレシュキガルとイナンナが顔を合わせた。
「……昨日、訪問があったな」
エレシュキガルが、小声で言った。
「ああ」
イナンナは、苦い顔で頷いた。
「お前のところにも来たのか」
「来た。丁寧に説得された」
「私は……」
イナンナは、言葉を切った。
「どうした」
「……気づいたら、背後に立っていた」
イナンナの声が、低くなった。
「警備兵が全員、倒れていた。いつやられたのか、わからなかった」
エレシュキガルは、目を見開いた。
「そこまで……」
「あれは化け物だ」
イナンナは、首を振った。
「逆らっても、勝ち目がない。数か月前のことを思い出した。あの時より、もっと恐ろしかった」
「……そうか」
エレシュキガルは、ため息をついた。
「私のところでは穏便だったが……あの目を見た時、わかった。逆らえば、どうなるか」
「ああ」
二人は、しばらく黙っていた。
「仕方ない」
エレシュキガルが、呟いた。
「しばらくは、大人しくしているしかないな」
「そうだな」
イナンナも頷いた。
「少なくとも、あの男がいる間は」
二人は、それぞれの方向へと歩き去った。
◇
会議室。
竹彦は、一人で窓の外を見ていた。
ラムザが、近づいてきた。
「うまくいったな」
「ええ」
竹彦は、振り返らずに答えた。
「満場一致でした」
「……何をした」
「話し合いです」
竹彦は、穏やかに言った。
「丁寧に説明したら、わかってくれました」
ラムザは、甥の横顔を見た。
イナンナの青ざめた顔。ウトゥの怯えた様子。
何があったかは、聞かなくてもわかる。
「遺恨が残るようなやり方は困るぞ…」
「だから個別に回ったんですよ!」
甥は明るく笑顔だ、どうも話が通じているのか通じていないのか。
「会議がすぐにまとまった…手際は素晴らしいよ…」
「ありがとうございます」
竹彦は、微笑んだ。
「これで、内部は固まりました」
窓の外を見る。
「あとは、外の敵です」
「自由主義連合か」
「ええ。それと……」
竹彦は、少し間を置いた。
「デストロイヤーが目覚めた、という噂があります」
「デストロイヤー?」
ラムザからすると、それがどういうものかよくわからない。
「まだ確認は取れていませんが……本当なら、厄介なことになります」
竹彦は、窓の外を見たまま言った。




