第十四話「大気圏ギリギリの道の駅」
アマガワ事務所で、キヨシは奇妙な日常に慣れ始めていた。
「見て」
マリアがキヨシの袖を引っ張る。最近、彼女はやたらとキヨシに懐いていた。
「これ、新作」
手には注射器のような器具。中には虹色の液体が入っている。
「何それ?」
「急速補肉剤。実験中」
マリアは檻の中のマウスを取り出し、ブスッと注射した。
次の瞬間、マウスがブクブクと膨らみ始めた。まるで風船に空気を入れているように、みるみるうちに球体になっていく。
「うわっ!」
「まだ実験段階」
マリアが言い訳のように呟く。
「調整、必要」
マウスはビーチボールサイズになって、コロコロと転がっている。動けないらしい。
「マリア!」
部長のモリーが驚いて近づいてきた。
「キヨシ君と仲良くなったのか! いつの間に?」
朗らかな笑顔で頭を撫でようとすると、マリアがさっと避けた。
「暑苦しい。離れて」
モリーの顔が目に見えてしょぼくれた。肩を落として、とぼとぼと他の部員たちの方へ歩いていく。ポケットから飴玉を取り出して、チュパチュパと舐め始めた。
「部長、泣いてない?」
キヨシが心配する。
「いつも」
マリアが無関心に答える。
*
「よー! キヨシ君!」
アスカが割って入ってきた。
「せやせや、免許取らんか?」
「免許?」
「大気圏内飛行資格や。すぐ取れるで」
アスカはVRゴーグルを取り出した。
「このヘッドセットで講習受けるだけ。実地試験なし。役に立つで」
彼女はチラッと竹彦を見た。竹彦は漫画を読んでいて、こちらに注意を払っていない様子だ。
「この前の運転……」
アスカが小声で言いかけて、慌てて言い直す。
「いや、運動神経ありそうやからなー。きっと今後役に立つでー」
有無を言わせずゴーグルを被せられた。
「なんか馴染んだわねー」
サヤカが横で見ている。
「運転、私できないのよね」
山口萌が羨ましそうに言う。
「免許取ろうとしたけど、教官に『君は向いてない』って言われちゃった」
「私も何回かやったけど難しいわよね」
サヤカが同意する。
「空間把握能力がないとダメらしいわ」
竹彦が顔を上げた。
「じゃあ、萌さんのライブ、キヨシさんの運転で行けるんじゃないですか?」
「ライブ?」
「ポポロッカ星でのコンサートよ」
山口が説明する。
「来週なの」
「僕は萌さんを護衛で先に行かないといけないし、部長は仕事で行けないし」
竹彦が続ける。
「部員で運転できるのキヨシさんだけですから」
「なるほど」
サヤカが頷く。
「私も、私も行きたい!」
マリアが地団駄を踏んで主張する。袖をグイグイ引っ張りながら必死にアピールしている。
「ウチは所長と留守番やからな」
アスカが煙草を吸いながら言う。
「みんな楽しんできいや」
キヨシはVRゴーグルの中で、すでに講習が始まっていた。
脳内に直接情報が流れ込んでくる。大気圏内の航空法規、三次元機動の基礎、緊急回避マニュアル。
たまに体がビクッと動く。VR内で操縦しているのが、現実の体にも反映されているらしい。
「あ、今急ブレーキ踏んだ」
サヤカが観察している。
一時間後、キヨシの意識が戻った。
「うわああああ!?」
跳ね起きて、周りをキョロキョロと見回す。
「あの猫はどこだ!? 逃げた!?」
「お? 合格した?」
アスカが笑う。
「一発合格か」
モリーが感心する。
「すごいね。僕も三回かかったし」
キヨシはまだVRの余韻から抜けきれていない。さっきまで、巨大な宇宙猫に追いかけられながら運転試験を受けていたのだ。
*
数日後、ポポロッカ星へのライブツアーの日がやってきた。
「じゃあ、頼んだよ」
竹彦と山口は先発隊として、別の高速艇で出発していった。
キヨシは二号車の運転席に座る。助手席にマリア、後部座席にサヤカと二宮。
「大丈夫? 緊張してる?」
二宮が心配そうに聞く。
「まあ、なんとかなるっしょ」
キヨシも最近は口調が砕けてきた。この異常な日常に慣れてきた証拠だ。
エンジンをかけ、車がふわりと浮き上がる。そのまま上昇を続け、雲を突き抜け、さらに上へ。
「うお、マジで大気圏ギリギリまで行くのか」
眼下に地球の曲線が見えてきた。青い惑星が美しく輝いている。
そして目の前に、巨大な構造物が現れた。
「宇宙ステーション……」
巨大な円盤状の施設。あちこちから大小様々な宇宙船が出入りしている。まるでSF映画のワンシーンだ。
「ここが大気圏道の駅」
サヤカが説明する。
「正式名称は『地球軌道上交通ハブ』だけどね」
駐車場に着陸すると、その規模に圧倒された。東京ドーム10個分はありそうな広さ。そして、行き交う生き物の種類が尋常じゃない。
三つ目の巨人、透明なクラゲのような浮遊生命体、機械と生物の中間のような存在。地球人はむしろ少数派だった。
「ここから列車」
マリアが指差す。
巨大な筒状の乗り物が停車している。全長は500メートルはありそうだ。
「星間列車か」
キヨシが呟く。
「どうやって動くんだ?」
「ハイパージャンプ」
マリアが答える。
「空間を折り畳む」
列車に乗り込むと、中は意外と普通だった。座席があり、売店があり、トイレもある。ただし、座席の形が様々で、明らかに人間用じゃないものも多い。
「次は~、プロキシマ・ケンタウリ第三惑星~」
アナウンスが流れた。日本語だが、同時に他の言語でも聞こえてくる。脳内翻訳装置があるらしい。
窓の外を見ると、宇宙空間が歪み始めた。星々が線になり、そして——
ドンッ!
軽い衝撃と共に、景色が変わった。見知らぬ惑星が窓の外に浮かんでいる。
「は、早っ!」
「3分」
マリアが言う。
「次の駅まで、また3分」
キヨシは座席に深く沈み込んだ。
ポポロッカ星まで、あと5駅。山口萌のコアラ語コンサートが始まるまで、あと2時間。
隣の座席では、触手の宇宙人が弁当を食べていた。中身は……見ない方がいい。何か動いている。
「慣れたでしょ?」
サヤカが笑う。
「まあ、ね」
キヨシは苦笑いした。確かに慣れた。宇宙猫も、空飛ぶ車も、星間列車も。全部、日常になりつつある。
ただ、家族にはまだ言えない。バイト先が宇宙だなんて、信じてもらえないだろう。
「次の駅で、宇宙せんべい買おう」
二宮が提案する。
「賛成」
マリアが珍しく即答した。
窓の外を、巨大な宇宙クジラが泳いでいった。体長は1キロはありそうだ。
キヨシはもう驚かない。これが、新しい日常なのだから。




