第百三十八話「母の愛情過多」
居住部屋に戻って、竹彦は大きく息を吐いた。
「なんとかなったか……」
議会での審問を無事に切り抜けて、ようやく一息つける。そう思った矢先だった。
「メル、さあいらっしゃい」
ニーナがニコニコしながら、スプーンを差し出してきた。その上には、細かく切られた果物が乗っている。
「あーん、して」
「え?」
竹彦が困惑する。
「いや、その……僕、もう十八歳ですよ?」
「何を言ってるの。お母さんにとっては、いつまでも可愛い坊やよ」
そう言いながら、スプーンを竹彦の口元に押し付けてくる。
「ちょ、ちょっと! これはさすがにおかしいですよ!」
竹彦が必死に抵抗するが、ニーナは全く聞く耳を持たない。
「はい、あーん」
「だから、自分で食べられますって!」
押し問答をしていると、アスカが酒瓶を片手に笑い出した。
「あははは! ええやないか!」
既にかなり酔っている様子だ。
「お前に足りんかったのは愛情やった。十六年分、受け取っとけ!」
グビグビと酒を飲みながら続ける。
「恩人の快復祝いと、家族の再会や! めでたいめでたい!」
完全に呑んだくれて、上機嫌になっている。
その横で、マリアが荷物をまとめ始めた。
「パピーに会いたい」
淡々と呟きながら、着替えをバッグに詰めていく。
「私も家に帰る」
「あ、そうや!」
アスカがフラフラと立ち上がった。
「じゃあ、うちも帰るかー!」
千鳥足でマリアの後をついていこうとする。
「ちょっと待ってください!」
竹彦が叫んだ。その間にも、ニーナは絵本を取り出している。
「誰か、この人を落ち着かせてください!」
必死の訴えに、アスカがゲラゲラ笑った。
「お前はその人の子供や! 添い寝でもしてもらえ〜!」
爆笑しながら、そのままソファに倒れ込む。
「うひひ……親子の再会……最高や……」
そして、いびきをかき始めた。完全に寝てしまった。
「アスカさん!?」
竹彦の叫びも虚しく、アスカは深い眠りに落ちている。
マリアは振り返りもせずに、ドアに向かった。
「マリアさん! 助けて!」
「頑張って」
一言だけ残して、部屋から出て行ってしまった。
取り残された竹彦の前で、ニーナが絵本を開いた。
「さあ、メル。『三匹の子豚』を読んであげるわね」
「いや、だから! 僕はもう子供じゃ……」
「昔はこれが大好きだったのよ」
ニーナの目が、遠い記憶を見つめている。
「三歳の時、毎晩読んでって言ってたわ」
「それは……」
竹彦の抗議が弱まった。母親の目に、十六年分の後悔と愛情が溢れているのが見えたから。
「……わかりました」
諦めたように、竹彦は隣に座った。
「でも、絵本だけですよ?」
「もちろんよ!」
ニーナが嬉しそうに頷いた。しかし、その後ろで、枕と毛布を用意しているのが見える。
(絶対、寝かしつけようとしてる……)
竹彦は頭を抱えた。
「むかしむかし、三匹の子豚がいました……」
ニーナが優しい声で読み始める。竹彦は複雑な気持ちで聞いていた。恥ずかしいような、でも不思議と心地良いような。
ソファでは、アスカが幸せそうに寝息を立てている。
「ぐー……竹彦……よかったなあ……」
寝言まで言っている。
竹彦は小さく苦笑した。
(これが、家族なのかな)
騒がしくて、面倒で、でも温かい。松子さんと二人だった静かな生活とは、全く違う賑やかさだった。
「メル、聞いてる?」
「は、はい」
慌てて返事をする。
ニーナが嬉しそうに微笑んで、絵本の続きを読み始めた。




