第百三十六話「母と子」
飛空挺は、メジャイ評議会本部から急速に離れていく。煙を上げる建物が、どんどん小さくなっていった。
「ざまあみろ!」
アスカが操縦桿を握りながら、大声で笑った。
「いい気味やったな! うちの大将にちょっかい出すからや!」
後部座席で、マリアも小さく頷いている。
「完全勝利」
「ははははは! あのクソジジイ、粉々やで!」
アスカの高笑いが、機内に響く。後ろを振り返って、竹彦に声をかけた。
「なあ竹彦、お前も爽快やろ?」
しかし、竹彦は操縦席で黙り込んでいた。時々、チラチラと隣の席のニーナを見ては、すぐに視線を逸らす。
しばらくの沈黙の後、竹彦がようやく口を開いた。
「あの……ええっと……」
声が小さい。明らかに緊張している。
「怪我は、ないですか?」
ニーナは俯いたまま、小さく頷いた。
「ええ、大丈夫よ」
また沈黙。気まずい空気が流れる。
アスカが痺れを切らした。
「おーいおいおい?」
振り返って、竹彦を睨みつける。
「もっと別のセリフがあるやろ!」
竹彦が慌てたように頭を掻いた。
「あ、あぁ……」
深呼吸をして、意を決したように口を開く。でも、言葉がなかなか出てこない。
「その……えっと……」
顔を真っ赤にしながら、ようやく絞り出した。
「お、お母さん……」
声が震えている。自信なさげに、おずおずと続ける。
「怪我は、ないですか?」
その瞬間、ニーナがハッと顔を上げた。
息子が、初めて「お母さん」と呼んでくれた。十六年間、夢にまで見た瞬間だった。
「メル!」
ニーナの体が震えた。もう堪えきれなかった。席から立ち上がると、竹彦に飛びついた。
「メル! メル!」
細い腕で、ぎゅっと息子を抱きしめる。力の限り、離したくないとばかりに。
「うわっ!」
竹彦が慌てた。操縦桿から手が離れそうになる。
「ちょ、ちょっと! 操縦中……」
でも、ニーナは離さなかった。涙が止まらない。
「ごめんなさい……ごめんなさい、メル……」
震える声で、何度も謝る。
「十六年間、何もしてあげられなくて……」
竹彦は困惑していた。でも、抱きしめられている温もりは、心地良かった。
「あの、その……」
言葉を探しながら、ぎこちなく答える。
「僕は、大丈夫ですから……」
マリアが後部座席から、親指を立てた。
「ハッピーエンド」
無表情のまま、しかし満足そうに呟く。
「二人は幸せなハグをして終わり」
「うわははははは!」
アスカが腹を抱えて笑い出した。
「最高や! なんもかんも丸く収まったで!」
操縦を竹彦から引き継ぎながら、上機嫌で叫ぶ。
「母ちゃんが見つかって、体も治って、クソジジイも始末して! 完璧やないか!」
竹彦は、まだニーナに抱きしめられたまま、戸惑っていた。
「あの……本当に、僕の?」
「そうよ」
ニーナが顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃの顔だが、幸せそうに微笑んでいる。
「あなたは、私とガランの息子。メル・ボムよ」
「メル・ボム……」
竹彦が、その名前を口の中で転がす。
「でも、僕の名前って、どっちなんですか?」
竹彦が困惑した様子で聞いた。
「メル・ボムなのか、七夕竹彦なのか……」
アスカが操縦しながら振り返った。
「使い分ければいいんちゃうか?」
軽い調子で提案する。
「パニッシャーは七夕竹彦。芸名みたいなもんやろ」
マリアも頷いた。
「実際、自称」
淡々と事実を述べる。
「戸籍もないし、正式な名前は存在しない」
竹彦は考え込んだ。
「じゃあ、僕は……」
「どっちでもええやん」
アスカが笑った。
「仕事の時は竹彦、家族の時はメル。便利やで」
ニーナが優しく息子の手を握った。
「メル……私の可愛い坊や……」
ニーナが震える声で呟き、もう一度ぎゅっと息子を抱きしめた。
飛空挺は、アンドロメダの空を飛び続ける。




