第十三話「東京上空カーチェイス」
アマガワ事務所の一階、竹彦がいない午後。アスカとマリアが事務所の隅でヒソヒソと密談していた。
「鬼の居ぬ間に洗濯やな」
アスカが煙草をくわえながら呟く。
「竹彦、うるさい」
マリアが頷く。
事務所の方針は明確だった。オーナーである竹彦の意向は「健全経営」。宇宙人相手とはいえ、弁当販売、旅行案内、車の代行運転。彼らの細かい要望を聞いて、チップをもらう。それが基本だった。
所長のモリーも竹彦の方針から逸脱する気はない。なぜなら、逆らえばどうなるか、よく知っているからだ。
『あれー? おかしいですねぇ? 僕の話、わかってもらえなかったんでしょうか?』
あの爽やかな笑顔で首を傾げながら、相手を病院送りにする竹彦の姿を、誰もが知っている。
しかし、アスカとマリアは違った。隙あらば「自主的なバイト」に精を出していた。
「キヨシ、使える」
マリアが端的に言う。
「エネルギー値も高いしな」
アスカが同意する。
「今日の取引、連れて行くか? 人手が足りひん」
取引には威圧のための頭数が必要だ。三人いれば、やれることが格段に増える。電話番、運び屋、運転手。彼女たちのシンジケートには仕事が山ほどあった。
「外部の連中は信用できへん」
アスカが煙を吐く。
「まだ垢もついてへん新人を、うちらで教育した方がええ」
「父の件も、金が要る」
マリアが小さく呟く。
「せやな。キヨシも金欲しいわけやし、Win-Winや」
*
その時、事務所のドアが開いた。
「こんにちは」
キヨシが入ってくる。タイミングが良すぎる。
「おっ、キヨシ君!」
アスカがいつものニコニコ顔で立ち上がった。
「ちょうどええとこに! ちょっと手伝って欲しいねん! ええか?」
肩をガシッと叩かれる。断れる雰囲気ではない。
「いいですよ! 何すればいいんですか?」
「そうこなくっちゃ!」
アスカは屋上へ向かう。マリアも無言でついてくる。屋上には、いつもの空飛ぶ車とは別の、黒塗りの車があった。
「二号車や」
アスカが説明する。
「ちょっと改造してあるけどな」
三人が乗り込む。アスカが運転席、マリアが助手席、キヨシが後部座席。
エンジンが唸りを上げ、車がふわりと浮き上がった。
「今日は見張りしてもらうで」
アスカが振り返らずに言う。
「簡単な仕事や」
車は東京の空を文字通り「飛ばして」いく。ビルの谷間を縫うように進み、時には車道すれすれまで降下して、また急上昇する。
「うわっ! ちょっ、スピード出しすぎじゃ……」
「これくらい普通や」
*
十分後、車は新宿の高層ビルの屋上に着陸した。48階建てのオフィスビル。夕日が窓ガラスに反射してギラギラと光っている。
「ここで待っててくれ」
アスカが例の巨大な包みを肩に担ぐ。
「何か近づいたら、連絡してえな」
携帯電話が投げられる。キヨシは慌てて受け取った。
「何か、って何ですか?」
「見たらわかる」
マリアが振り返る。
彼女のコートの下から、拳銃のグリップが二つ見えた。二挺拳銃。しかも地球製じゃない、奇妙な形状をしている。
「ちょ、ちょっと待って!」
しかし二人はもうビルの中へ消えていった。
キヨシは一人、屋上に取り残された。風が強い。48階の高さは、下を見ると目眩がする。
「見張りって言われても……」
五分が経過した。特に何も起きない。鳥が飛んでいるくらいだ。
その時、屋上のドアがバンと開いた。
黒いスーツを着た男たちが、ゾロゾロと出てくる。十人、いや、もっといる。全員、顔は白い仮面で覆われている。
「え? えっ?」
キヨシは慌てて携帯を取り出した。
「あの、なんか十人くらい出てきたんですけど!」
その瞬間、電話越しに轟音が響いた。
ドカアアアン!!
実際に、ビルの下の方から巨大な銃声が響き渡る。窓ガラスが震え、鳥たちが一斉に飛び立った。
『あかん! やってもうた!』
アスカの叫び声。
『車回せ! 北側の30階あたりに回してくれ!』
「は!? 車って……運転できないですよ!」
『できるできる! やったらできる!』
仮面の男たちが、キヨシに気づいた。そして、その腕が変形し始めた。
肉がめくれ、骨が露出し、それが細い剣のような形になっていく。まるで腕が刀になったような、グロテスクな光景。
「おいおいおいおい! マジかよ!」
キヨシは車に飛び込んだ。運転席に座り、必死にダッシュボードを見る。
「えーと、これがエンジンで……これが上昇レバーで……」
アスカやマリアが運転していたのを思い出しながら、見様見真似でレバーを引く。
ブォォォン!
車が急上昇した。
「ぎゃああああ! 死ぬ! 死ぬううう!」
仮面の男たちが車に飛びついてくる。骨の剣がキヨシの頭上スレスレを通過する。
「くそっ! 離れろ!」
キヨシは車をグルグルと回転させた。遊園地のコーヒーカップのような動きで、男たちを振り落とそうとする。
何人かは落ちた。ビルの谷間に消えていく者、屋上に叩きつけられる者。でもまだ三人が車にしがみついている。
『ダッシュボード見ろ!』
アスカの声。
ダッシュボードの小物入れを開けると、奇妙な形の拳銃があった。グリップが螺旋状になっていて、銃口が三つある。
「なんだこれ!」
でも考えている暇はない。キヨシは窓を開け、しがみついている男に向けて引き金を引いた。
ビュン!
青い光線が発射され、男の仮面が砕けた。中から触手のような何かが見えたが、すぐに落下していった。
「当たった! 俺、才能あるかも!」
残りの二人にも連射する。なぜか全部命中した。エネルギー値780の恩恵かもしれない。
車の操縦にも慣れてきた。キヨシはビルの北側へ車を回す。
30階付近の窓が、内側から爆発した。
ドカアアアン!
ガラスの破片が飛び散る中、アスカが立っていた。巨大な銃を構え、ビルの中の何かと戦っている。
「死にさらせええ! ボケがああ!」
関西弁の怒号と共に、青い閃光が連射される。ビルの中では、スーツを着た何か……いや、スーツの形をした軟体動物のようなものが、うねうねと動き回っていた。
マリアも二挺拳銃を撃ちまくっている。無表情なのに、動きは映画のガンアクションのように流麗だった。
「早く乗って!」
キヨシは車を窓ギリギリまで寄せ、ドアを開けた。
アスカが巨大な銃を撃ちながら後退してくる。
「出せ出せ出せええ! 急げや!」
二人が飛び乗った瞬間、キヨシはアクセル(らしきレバー)を全開にした。
車が急上昇する。背後でまた爆発音。振り返ると、ビルの30階部分から黒煙が上がっていた。
「東京タワーの上まで飛ばせ!」
アスカが叫ぶ。
「東京タワー!? わかりました!」
キヨシは必死にハンドルを握り、東京タワーへ向かった。もはや交通ルールも何もない。ビルの間を縫い、時には逆さまになりながら、なんとか東京タワーへ辿り着いた。
*
例の天空道の駅に着陸すると、キヨシは震える手でハンドルを握ったまま動けなくなった。
アスカは煙草に火をつけ、深く吸い込んだ。
「ふぃー……」
長い溜息の後、彼女はキヨシの肩をガシッと掴んだ。
「運転上手いやんけ! 才能あるで!」
「いや、今……俺、何してたんですか……」
自分の座席を見ると、背もたれが刃物でズタズタになっていた。頭の横には光線銃の弾痕が三つ。あと10センチずれていたら、頭が消し飛んでいた。
「ミレニオンの連中や」
アスカが吐き捨てるように言う。
「悪知恵の回るやっちゃでホンマ」
マリアも煙草の煙を避けながら言う。
「データ、取れた」
彼女の手には小さなメモリーカードがあった。さっきの戦闘の間に、何かを盗み出していたらしい。
「よっしゃ!」
アスカが立ち上がる。
「キヨシ君、なにボーッとしとん? 飯食いに行こうや! 奢ったる!」
「は、はい……」
キヨシは震える足で車を降りた。
*
道の駅の食堂で、アスカは上機嫌でビールを飲んでいた(キヨシとマリアはジュース)。
「いやー、キヨシ君ほんま使えるわ! あの運転、プロ級やで!」
「た、たまたまです……」
「謙遜すんな! あの状況で車飛ばせる奴なんて、そうおらへん」
マリアも小さく頷く。
「合格」
「合格?」
マリアが突然キヨシの袖をグイグイと引っ張り始めた。そして小さな拳でキヨシの肩をぐりぐりと押す。
「痛い痛い! 何?」
「仲間」
マリアの無表情な顔が、ほんの少しだけ緩んだ。まるで友達ができた子供のような、不器用な親愛の表現だった。
「私たちは、アンナム」
マリアが続ける。
「父の組織の名前」
「アンナム?」
「敵は、ミレニオム」
マリアはまた袖を引っ張る。今度は両手で。
「一緒に、頑張ろう」
キヨシは戸惑った。いつの間にか仲間認定されている。しかも、マリアがこんなに感情を見せるなんて初めてだった。
キヨシは震えが止まらなかった。さっきまで、本物の銃撃戦に巻き込まれていた。宇宙マフィアと戦い、東京上空でカーチェイスをして、今は普通に天ぷらうどんを食べている。
「あの、これ……警察とか……」
「大丈夫や」
アスカが笑う。
「ミレニオンも表沙汰にできへん。向こうも違法やからな」
「でもビル爆発してましたよ!?」
「ガス爆発ってことになる」
マリアが淡々と答える。
「いつも」
いつも。つまり、これが日常なのか。
「報酬や」
アスカが封筒を差し出した。中を見ると……
「ひゃ、百万!?」
「危険手当込みや。安いくらいやで」
キヨシは封筒を震える手で受け取った。これで、家族は半年は暮らせる。
でも、今日死にかけた。何度も。
「次はもっと面白い仕事あるで」
アスカがニヤリと笑う。
「楽しみにしとき」
キヨシは天ぷらうどんを啜りながら、ふと疑問が浮かんだ。
「そういえば、あの化け物なんなんですか?」
「ああ、あれは向こうの社員や」
アスカがビールを飲みながら答える。
「色々体に入れてるから、変わった見た目になっただけ。気にすんな」
「悪い人」
マリアも端的に付け加える。
「そっかぁ……」
キヨシはうどんを口に運びながら、違和感を覚えた。
あれ? 人?
さっきの骨の剣を持った存在。仮面の下の触手。でも、アスカは「社員」と言った。
俺、もしかして……自己防衛とはいえ、人を……
急にうどんが喉を通らなくなった。箸が震える。
アスカが何かを察したように、キヨシの肩をバンと叩いた。
「あ、いや、人じゃないで? 見ての通りお化け! モンスター! ゴキブリ退治や!」
「でも、社員って……」
「ゴキブリ社員や! な?」
マリアも頷く。
「世のため、人のため」
そう言って、マリアは美味しそうにうどんを啜る。つゆまで全部飲み干した。
キヨシは複雑な気持ちで残りのうどんを見つめた。
自分の人生が、完全に狂い始めたことを実感していた。




