第百二十九話「味覚の発見」
竹彦は、目の前の食事を見つめて呆然としていた。
病院食の、何の変哲もない朝食。パン、スープ、サラダ、そして果物。それなのに、今まで食べてきたどんな豪華な料理よりも美味しく感じられる。
「う、うまいな……」
リンゴを一口齧ると、甘さと酸味が口の中で爆発した。シャキシャキとした食感、果汁の瑞々しさ、皮のわずかな苦味まで、全てがはっきりとわかる。
「食事って、こんなに美味しいものだったのか」
今まで、食事は単なる栄養補給だった。味はわかっていたはずだが、それは霧の向こうから聞こえる音楽のような、ぼんやりとしたものだった。
マリアが検査結果を見ながら言った。
「まだ不調の部分が多い。小さい臓器は一週間後に入れ替える」
「まだ?」
竹彦は信じられない思いだった。これでまだ不調だというのか。
「もっと元気になれる」
マリアの断言に、竹彦は少し不安を覚えた。パンを千切りながら、慎重に聞く。
「マリアさん、この臓器……」
「なに?」
「誰かの臓器を、金にものを言わせて移植してるんじゃないですよね?」
その質問に、マリアは首を横に振った。
「他人の臓器で、逆にここまで適合しない」
「でも、培養には母体が必要だって……」
「それは過去の話、医療は日々進歩している」
「へぇ~…」
竹彦は一応納得することにした。マリアが悪いことをするはずがない、という信頼があった。
アスカが椅子に座りながら、しみじみと言った。
「お前、二歳の頃からずーっと体悪かったんや」
竹彦が顔を上げた。
「いい調子の自分なんて、知らんよなあ」
涙ぐみながら続ける。
「やっぱりあの塩化爆弾は、碌なもんちゃうで、ほんま……」
「塩化爆弾?」
竹彦の手が止まった。
「僕は昔、塩化爆弾の影響を受けたんですか?」
アスカの顔が、一瞬で青ざめた。
(やばっ!)
口を滑らせてしまった。慌てて取り繕う。
「あー、えっと、医者がそういう可能性があるって言うとった!」
額に汗が滲む。
「ほら、カーカラシカの国に落とされた時が、そんくらいや。きっとその時や」
「十六年前……」
竹彦は静かに呟いた。
「そうだったんだ……」
その表情に、複雑な感情が浮かんでいた。
*
その頃、メジャイ評議会の宿舎では、ポルポテーンが情報端末を操作していた。
「臓器移植……臓器培養……」
粘土のような指で、データを次々とスクロールしていく。彼の体は変形自在で、臓器という概念すら曖昧だ。だからこそ、この治療法に興味を持った。
「あの竹彦の体が悪かったとは、意外だな」
ニヤリと笑みを浮かべる。
「これを失敗に追い込めれば……」
しかし、すぐに顔をしかめた。
「だが、あの地球代表の女……竹彦の部下たちが、臓器を見張っていて手が出せん」
特に、あの電撃女が厄介だ。まだ尻の火傷が治っていない。
「なんとかしたいが……」
ふと、ある考えが浮かんだ。
「待てよ。臓器培養ということは、母体がどこかにいるはずだ」
椅子に深く座り直して、考えを巡らせる。
「奴の親については、今まで誰も知らなかった。奴はヒューマンタイプ、親は必ずいる」
指を組んで、顎に当てる。
「今まで知られていないということは、奴が秘密にしていたわけか」
そして、邪悪な笑みを浮かべた。
「秘密にするということは、弱点ということだ」
立ち上がって、通信機を手に取った。
「情報屋を使おう。金に糸目はつけない。竹彦の母体が誰なのか、必ず突き止めてやる」
通信がつながった。
『マスター・ポルポテーン? 珍しいですね』
「頼みがある。金はいくらでも出す」
『ほう?』
「竹彦という男の、親を探してほしい。特に母親だ」
『竹彦……あのパニッシャーですか? 危険な依頼ですね』
「だから金を積む。銀河中の情報網を使え。医療施設の記録、培養記録、全て洗い出せ」
『了解しました。ただし、成功報酬は……』
「好きなだけ取れ」
通信を切ると、ポルポテーンは不気味に笑った。
「さあ、楽しくなってきた」
*
竹彦の病室では、ニーナが差し入れの果物を切っていた。
「メロンはいかがですか?」
「ありがとうございます」
竹彦が受け取ると、ニーナの顔が少し赤くなった。息子に食べ物を渡せる、それだけで幸せだった。
(メルが、私の切った果物を食べてる……)
母親として当たり前のことが、十六年越しに叶っている。
竹彦はメロンを口にして、また驚いた。
「甘い……こんなに甘かったんだ」
その無邪気な反応に、ニーナの胸が締め付けられた。
(この子は、今まで味もよくわからない状態で生きてきたのね)
申し訳なさと、これから健康になっていく息子への期待が入り混じる。
マリアがデータパッドを見ながら言った。
「次は腎臓。解毒機能がさらに向上する」
「もっと美味しくなるんですか?」
「多分」
竹彦の目が輝いた。子供のような純粋な喜びが、そこにあった。
アスカが笑った。
「食い意地張った子供みたいやな」
「だって、本当に美味しいんですよ!」
竹彦の嬉しそうな顔を見て、全員が微笑んだ。
ただ一人、ポルポテーンの不穏な動きを、誰も知らなかった。




