第百二十八話「新しい肝臓」
二週間が過ぎた。
アンドロメダの医療施設の手術室で、竹彦は麻酔から覚醒しつつあった。ぼんやりとした意識の中で、自分の体の中で何かが違うことを感じ取っていた。
「手術は成功です」
医師の声が聞こえる。アンナム系の青い肌の医師は、満足そうに機器のデータを確認していた。
「培養肝臓は完璧に定着しました。これから医療ポットで傷を癒します」
透明な液体で満たされたポットの中で、竹彦の意識は再び薄れていった。
数時間後。
「んっ……」
竹彦が目を開けた。医療ポットから出されて、ベッドに横たわっている。周りには心配そうな顔をした仲間たちがいた。
「竹彦!」
アスカが真っ先に顔を覗き込んできた。
「調子はどないや?」
竹彦は体を起こそうとして、異変に気づいた。
「あれ……?」
体が、軽い。
いや、軽いなんてものじゃない。まるで重力が半分になったような、羽が生えたような感覚だった。
「なんだこれ……」
呆然と自分の手を見つめる。視界がクリアだ。今まで薄い霧がかかっていたような世界が、急に鮮明になったような感覚。
医師が検査結果を持ってきた。
「肝機能の数値、全て正常範囲内です」
チャートを見せながら説明する。
「GOT、GPT、γ-GTP、全て理想的な数値です。ビリルビンも正常。解毒機能も完璧に働いています」
竹彦は立ち上がった。足取りが軽い。今まで鉛の靴を履いていたような重さが、嘘のように消えている。
「もしかして……」
竹彦は震える声で呟いた。
「僕、今まで死ぬほど具合が悪かったのか?」
その言葉に、室内の空気が変わった。
マリアが珍しく感情を露わにした。
「成功!」
小さくガッツポーズまでしている。普段の無表情からは想像もできない喜びようだった。
「やった! 培養成功! 移植成功! 竹彦の肝臓、正常稼働!」
アスカの目から、大粒の涙がこぼれた。
「よかった……よかったなあ、竹彦……」
声を詰まらせながら、竹彦の肩を叩く。
「お前、ずっと苦しかったんやな……気づいてやれんくて、ごめんな……」
竹彦は困惑していた。
「いや、僕は別に苦しいとは……」
「それが一番怖いねん!」
アスカが声を荒げた。
「自分の不調に気づかんくらい、ずっと悪い状態やったってことやろ!」
竹彦は腹部に手を当てた。確かに、今まで常に感じていた鈍い痛みが消えている。それが「普通」だと思っていたあの重さが、実は異常だったなんて。
「なんか……」
竹彦は不思議そうに呟いた。
「死ぬほど体が軽い。今ならいくらでも食べられそうな気がする」
その言葉を聞いて、ニーナが堪えきれなくなった。
「よかった……本当によかった……」
涙が頬を伝う。自分の組織が、息子の命を救った。母親として、これ以上の喜びがあるだろうか。
(私の体が、メルの役に立った……)
胸を撫で下ろしながら、嗚咽を堪える。竹彦には気づかれないように、顔を背けて涙を拭った。
「食欲があるのはいい兆候です」
医師が微笑んだ。
「新しい肝臓が、毒素を正常に処理し始めた証拠です。今まで蓄積していた老廃物が、急速に排出されています」
竹彦は深呼吸をした。肺に入る空気が、今までと違う。酸素が全身に行き渡る感覚がはっきりとわかる。
「これが……健康な体なのか」
十八年間、一度も経験したことのない感覚だった。
マリアがデータパッドを見せる。
「次は腎臓。その次は肺。一ヶ月で主要臓器は全部交換する」
「一ヶ月も?」
「文句言わない。今の調子なら、全部成功する」
断言するマリアに、竹彦は苦笑いを浮かべた。
「わかりました。マリアさんの言う通りにします」
アスカが鼻をすすりながら言った。
「ほんまに……ほんまによかった……」
まだ涙が止まらない。竹彦がこんなにボロボロの体で、それでも笑顔で戦ってきたことを思うと、胸が締め付けられる。
「アスカさん、泣きすぎですよ」
竹彦が困ったような笑顔を見せた。
「うるさい! 嬉し泣きくらいさせろ!」
ニーナは、そんなやり取りを見ながら思った。
(メル……あなたは愛されているのね)
仲間たちが、息子の回復を心から喜んでいる。それは、竹彦が積み重ねてきた信頼の証だった。
医師が最後に付け加えた。
「ただし、無理は禁物です。新しい臓器が完全に定着するまで、激しい運動は控えてください」
竹彦が頷いた、その瞬間。
廊下から騒がしい声が聞こえてきた。
「おーい! 竹彦くーん!」
全員の顔が青ざめた。あの粘着質な声は、間違いなくポルポテーンだ。
「お見舞いに来たよー!」
竹彦が溜め息をついた。
「……激しい運動は控えろって言われたばかりなのに」
アスカが拳を鳴らした。
「あのジジイ、ぶっ飛ばしたろか」
ニーナが立ち上がった。
「私が行きます」
静かな、しかし有無を言わせぬ迫力があった。手から、既に電撃が迸っている。
「今度は、二度と近づけないように教育してきます」
マリアが呟いた。
「母は強し」
その言葉の意味を、竹彦だけが理解していなかった。




