第百八話 「母の慟哭」
ラムザが静かに姉の部屋の扉を開けた。
部屋は薄暗く、カーテンが閉め切られていた。ベッドの上で丸まっているニーナの姿が、小さく見えた。
ニーナは弟が入ってきたのに気づき、ゆっくりと顔を上げた。憔悴しきった顔。目の下には深い隈ができ、金髪は乱れていた。
そして、ラムザの手にある封筒を見た。
封が切られている。
生唾を飲み込む音が、静寂の中で響いた。あそこに全てが書かれているのか。それとも、全部思い過ごしなのか。
ラムザはゆっくりと姉の隣に座った。そして、震える手で姉の手を取った。
「まず、私の口から」
声が掠れていた。
「落ち着いて聞いて」
その言葉だけで、もう実質的に確定したと言っているようなものだった。落ち着いて聞かなければいけない話。それはつまり……
「竹彦は、メル君でした」
ニーナの呼吸が止まった。
次の瞬間、激しく息を吸い込み、胸を押さえた。
「はぁ……はぁ……」
震える手でラムザから封筒をひったくり、中の書類を引き出した。
親子鑑定の数字。99.9999%。
どの家に近いか。ボム家。当たり前だ、自分がボム家なのだから。
そして、健康調査。
無惨な数値の羅列。片肺欠損、臓器機能不全、遺伝子損傷……
「あ……ああ……」
ニーナの手から電撃が迸った。
バチバチと青白い稲妻が部屋中を駆け巡り、テーブルの上にあったメルの幼い頃の写真が吹き飛んだ。ガラスが砕け散る。本が燃え、水差しが割れ、花瓶が粉々になった。
「あああああ!」
ニーナはテーブルに身を投げ出すようにして倒れ込み、テーブルクロスを鷲掴みにした。金髪をかき乱しながら、獣のような絶叫を上げた。
「ガラン! ガラン!」
夫の名前を叫び、位牌を掴んで額に押し付けた。
「なぜ! なぜ私に教えてくれなかったの!」
ニーナは自分の手を見た。
あの感触。剣を振るった時の、肉を切り裂く感触が生々しく蘇る。
小さい頃に握ったあの温かく小さな手。初めて立った時に支えた、あの可愛い足。お風呂で洗った、あの柔らかいお腹。
全部、切り刻んだ。
自分と同じ赤い瞳。それが憎悪と殺意に染まって、自分を見つめていた。
「うああああ!」
ニーナは拳を床に何度も叩きつけた。血が滲んでも止まらない。あの感触を、記憶を、消し去りたかった。
「ヒッ……ヒィィ……」
過呼吸になりながら、健康調査の紙を掴んだ。
これが、メルの体。全てを犠牲にしても守らなければいけなかった、愛の証。ガランとの絆の結晶である息子の、ボロボロになった体。
「嘘だあああ!」
紙を引き裂き、床に散らばらせた。
「嘘だ! 嘘だ! 違う!」
ラムザがいることも忘れ、ニーナは床をのたうち回った。
「メル……メル……ごめんなさい……ごめんなさい……」
断片的な言葉が、嗚咽と共に漏れる。
「お母さん……気づかなくて……ごめん……」
ラムザは姉を抱きしめようとしたが、ニーナは激しく抵抗した。
「触らないで!」
また電撃が走り、ラムザは後ずさった。
「私が……私が殺しかけた! 息子を! メルを!」
ニーナは髪をかきむしりながら、壁に頭を打ち付けた。
「痛い……痛かったでしょう……怖かったでしょう……」
涙が止まらない。十六年間枯れていた涙腺が、決壊したように溢れ出す。
「一週間……トイレにも……水も……」
言葉にならない呻き声が続く。
「うううう……あああ……」
廊下で様子を窺っていた親族たちも、涙を流していた。
「悲惨すぎる……」
エンキドゥが拳を握りしめた。
「俺たちも悲しいが、母親であるニーナ様には……」
シャマシュも顔を覆った。
「気の毒にも程がある」
部屋の中では、ニーナの慟哭が続いていた。
「メル! メル!」
床を這いずり回りながら、散らばった写真の破片を集めようとする。幼いメルの笑顔が、バラバラになっている。
「ごめんなさい……お母さんを許して……」
ラムザは何も言えず、ただ見守ることしかできなかった。
時間が経っても、ニーナの嗚咽は収まらない。
「ガラン……私、何をしてしまったの……」
位牌を抱きしめながら、ニーナは壊れた人形のように同じ言葉を繰り返した。
「メル……生きてた……生きてたのに……」
窓の外では、夕日が沈もうとしていた。
同じ頃、ゲームセンター。
「じゃあ、俺そろそろ帰るわ」
竹彦は友達に手を振った。
「また明日な、ガラド!」
「ああ、また明日!」
竹彦は軽い足取りで迎賓館へ向かって歩き始めた。夕焼けが美しく、なんだか良い一日だったと思いながら。




