第百五話 「キシュの森と古い歌」
カーカラシカの聖地、キシュの森。
朝の光が木々の間から差し込み、苔むした石碑を優しく照らしていた。かつてアンデッドの巣窟と恐れられたこの場所も、今では家族連れで賑わう観光名所となっている。
「へー、ここって昔はものすごく危険な場所だったのね」
サヤカが案内板を熱心に読んでいた。
「アンデッドの巣窟……多くの巫女たちがここで命を落とした、ですって」
森のあちこちに立つ石碑には、新しい花が供えられている。地元の人々が今も亡くなった巫女たちを偲んでいるのだろう。
山口萌は石碑の前で手を合わせた。
「なんだか切ないわね。きっと若い女の子たちだったんでしょう?」
「命がけで聖火を守ろうとしたんだって」
二宮がニコニコしながら説明した。
「でも今は、こんなに平和になったのね」
観光客たちが楽しそうに写真を撮っている。白い肌の家族連れ、栗色の髪の若いカップル、金髪の子供たちが走り回っている。青い瞳が大半を占める中、時折鳶色の瞳の人も見かけた。
公園の中央では、白髪の老人がリュートを抱えて座っていた。褐色の肌に深い皺が刻まれた顔。投げ銭用の帽子が前に置かれている。
老人は静かに弦を爪弾き始めた。観光客たちが足を止める。カーカラシカの人々は、この歌を知っているようで、懐かしそうな表情を浮かべた。
「その剣は炎、その瞳は深淵
恐れ逃げまどう、民の叫び声
戦う者たちも、塵となりゆく……」
低く響く老人の声が、森の静寂に溶け込んでいく。
「我らは求めた、真の英雄を
千年王に挑む、炎の戦士を
だが英雄は選んだ、汚名という道を
愛する者のため、全てを捨てて……」
竹彦が目を輝かせて聞き入っていた。
「なんて格好いい歌なんだろう」
キヨシも頷いた。
「なんかバットマンみたいだよな。ダークヒーローっていうか」
老人は歌い続ける。
「父の剣は折れ、名誉は地に落ちた
臆病者と呼ばれ、裏切り者と罵られ
それでも彼は微笑んだ、家路を歩みながら
真実を胸に、静かに生きると決めて……」
地元の人々が、小さく歌に合わせて口ずさんでいる。子供たちまでが歌詞を知っているようだった。
「眠れ、疲れし戦士よ
お前の戦いは終わった
母の腕の中で、愛する者の傍で
永遠の安らぎを、今ようやく得る……」
歌が終わると、観光客たちから拍手が起こった。老人は静かに頭を下げ、次の歌を始める。
サヤカがパンフレットを広げた。
「あ、この歌の説明が載ってるわ。裏切り者って呼ばれたのは、実は当時の神殿組織に千年王のスパイがたくさんいて、それを炙り出すための作戦だったんですって」
二宮が首を傾げた。
「ダークヒーロー的な感じなのかしら? 孤独な戦士って、なんかカッコつけてるわね」
「でも実際にあった話なんでしょう?」
山口が興味深そうに言った。
「千年王って本当にいたのかな」
その時、竹彦の周りに地元の若い女の子たちが集まってきた。赤毛の少女が目をキラキラさせて話しかける。
「ねえねえ、カワイイ! どこから来たの?」
「あ、僕は日本から……」
金髪の少女が竹彦の腕を掴んだ。
「案内してあげる! アイス一緒に食べない?」
「え、えーと……」
山口がムッとした表情で見ている。
「なんなのよ、あの子たち」
サヤカが首を捻った。
「この国だと、あの顔がウケるのかしら?」
マリアが淡々と説明した。
「褐色の肌と赤い瞳は、この国では縁起がいい福相とされている。本当は黒髪も良いとされていたけど」
「日本人の介入でケチがついた、か」
キヨシが苦笑いしながら自分の黒髪を触った。
「まあ、仲悪いもんね……」
山口も自分の黒髪を気にするように撫でた。
広場のあちこちに、二組の男女の銅像が立っている。メルベルとアザリアという名前が刻まれていた。
「カーカラシカ国の建国の英雄たちですって」
サヤカが説明板を読んでいた。
「なんか、厳しい歴史の国ね。アンデッドの出没、汚染された土壌、千年王との戦い……」
「今のバビロンも、千六百年前は千年王の居城だったらしいわよ」
二宮がパンフレットを見せた。
「そんな化け物本当にいたのかな。ちょっと眉唾だけど……」
キヨシは土産物屋で小さなタペストリーを選んでいた。千年王と英雄の戦いを描いた絵柄だ。
「妹が好きそうだな、これ」
その頃、竹彦は女の子たちにメルベル像の前まで連れて行かれていた。
「一緒に写真撮って!」
「メルベル様みたい!」
褐色の肌、力強い体格の銅像。確かに竹彦と似ている部分があった。
「あの見た目、多分こんな感じだったんだろうなあ」
サヤカが遠くから眺めていた。
「これ、メルベルさんの昔の写真らしいわよ」
山口がパンフレットを見せる。褐色の肌に黒髪、鋭い眼光の青年が写っていた。
「確かに雰囲気は似てるかも」
マリアが別のパンフレットを取り出した。
「これは、ニーナ女帝の亡くなった夫、ガランの写真」
全員が覗き込んだ瞬間、息を呑んだ。
「うわ! 激似!」
サヤカが叫んだ。
「ほぼ同一人物じゃない! 身長足したら見分けつかないわ!」
キヨシも納得したように頷いた。
「そりゃ現地人に間違われるわな。竹彦は日本人って言い張るけど、こっち生まれなんだろうな」
女の子たちに囲まれて困っている竹彦を見て、キヨシはしみじみと言った。
「でも本人は全然気づいてないんだよな」
竹彦はなんとか女の子たちから逃れて、一行の元に戻ってきた。顔を真っ赤にしている。
「す、すみません! なんか人気者になっちゃって……」
山口が冷たい視線を向けた。
「楽しそうだったじゃない」
「そ、そんなことないですよ!」
竹彦は慌てて手を振った。
アスカが竹彦の肩を叩いた。
「モテモテで人気者やなぁ!」
老人の歌声がまた聞こえてきた。新しい歌が始まったようだ。観光客たちがまた集まっていく。
少し離れた場所で、二宮が路上占いを始めていた。観光地ではよく見かける光景だが、彼女の占いはあまりに具体的すぎて、相談者たちが不気味がっている。
「早く息子さんを駅まで迎えに行った方がいいわよ」
青い瞳の中年女性が驚いた顔をした。
「え? でも息子は夕方に着くって……」
「電車が早まったの。今すぐ行かないと、一人で待ちぼうけよ」
女性は慌てて電話を取り出し、息子に連絡を取ると、顔が青ざめた。本当に早着していたらしい。
次の相談者、金髪の若い男性には、二宮はニコニコしながら告げた。
「金魚のエアレーションの電源、つけ忘れてるでしょう?」
「え?」
「金魚が苦しんでるわ。今すぐ家に電話して、誰かに電源を入れてもらわないと、家に帰るまでに全滅するわよ」
男性は半信半疑で家に電話をかけた。そして、本当に電源を切ったままだったことがわかり、震え上がった。
山口が呆れたように言った。
「二宮ちゃん、それちょっとやりすぎじゃない? みんな怖がってるわよ」
「でも本当のことだもの」
二宮はあっけらかんと笑った。
サヤカも苦笑いを浮かべた。
「確かに当たるけど、内容が具体的すぎて不気味よね」
竹彦は感心したように言った。
「すごいですね、二宮さん! どうしてそんなにわかるんですか?」
「うーん、なんとなく見えるのよ」
二宮は首を傾げた。
「竹彦君の周りにも、いろいろ見えるけど……」
「僕の?」
竹彦が興味深そうに身を乗り出したが、二宮は曖昧に微笑むだけだった。
「今は言わない方がいいわ。もうすぐ、自然にわかることだから」




