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ティレシアスの水仙-8

「ヴィル!!」


闇の鏡の間の扉を開いて、彼の姿を視認した瞬間、闇の鏡から黒いものが広がり、一か所に収束する。それらはヴィルの影の中に集い埋まったかと思うと、恐怖か……それとも苦痛か……彼は両手で頭を抱えながら髪の毛を振り乱し、たたらを踏みもんどり打つ。まるで、焼けた鉄の靴を履いて苦しんでいるかのようであった。


「おい、なんだか変だぞ……これはまるで裏の世界で見たような……」


「『ような』じゃない、カリム! ヴィル先輩はオーバーブロットを引き起こしている!」


あたりに、毒が……障気のような空気が広がる。自分はその空気を吸い込んだ瞬間、せき込みながらしゃがみ込んだ。血でも交じっているのではないかと思うぐらい、深く長いしわぶきを繰り返しながら、地面に膝をつくのであった。


「大丈夫か、子分……!」


グリムは心配そうに膝をついた自分に駆け寄りながら、大声を出す。その声を聞いた瞬間、ヴィルは首の骨が折れているのではないかと思われる奇妙な角度で、こちらを見るのであった。慌ただしく動いていたステップの動きは止み、その目は瞠目に見開かれている。


「――――」


吠えた……いや、絶叫だった。全身をビリビリと震わせる恐怖の金切り声を上げながら、彼は何かを否定するように、拒絶するかの如く、声を響かせるのだ。何が原因で恐怖が色濃く募っていったのか分からないが、ヴィルの影が不自然に蠢動したかと思うと、びちゃり……どちゃりと質量のある水音が響く。


自分は咳き込みながらヴィルが獣性を完全にあらわにした堕ちたる姿、自身の臨界点と魔力の限界を超えたオーバーブロットした姿を直視するのである。


「はは、めこん! めこん! なら□□りまるめわひれ!」


堕ちたる者の証、ブロット語を使用している。


駆けつけた時には既に手遅れになった姿に悲しみを覚えるが、カリムとジャミルの二人はまだ戻せるはずだと……迅速な対処を施しさえすれば、いつもの美しい彼の姿に戻るはずだと信じてマジカルペンを構えるのであった。


しかし……。


「俺がオーバーブロットした時よりも、闇の濃度が強い……!」


闇の濃度。


ジャミル自身、オーバーブロットした経験があるゆえか相手の状況……ヴィルが現在どのような異常を来たしているのか把握しながら、魔法を放つ。炎の呪文だった。


ヴィルは自身に向けて真っ直ぐ飛んでいく火球を目の当たりにして、嘲笑うかのような哄笑を響かせた後、手を掲げる。その手には……腕……否、身体の大半にはタールの如く黒い液体で濡れており、触手のように動いたかと思うと火の玉を呑み込んだ。ヴィルの全身に纏まりつく液体が独自に動いたかと思った瞬間、水飛沫をあげるかのように大きく広がったかと思うと、火を握り潰すかのように消し去ったのであった。


ヴィルの身体の大半を覆う黒い液体は、床に落ちる。大小様々な黒いミルククラウンが出来たと同時に自壊して毒の霧を出す黒い水たまりが出来るのだ。


「オアシス・メーカ!」


毒気の正体をすぐさま感じ取ったカリムはユニーク魔法を発揮した。黒い水たまりの領域を広げるそれを洗い流し、闇の間でこれ以上毒の濃度が深刻化しないように対処を打ったのであった。しかし水で洗い流すとはいっても、黒いタールが胡散するように事細かい塵のようにすることが出来たといっても、消えてはいない。水たまりの塊から、広範囲に個々なる小規模な水のたまりにすることに……単なる形状変化を齎しただけであった。


「ジャミル、どうする! 俺の魔法じゃあの黒いタールを完全に打ち消すことができない!」


少し前、ジャミルが炎の魔法でヴィルを正気に戻すべく、火の玉を放ったがそれは蝋燭やマッチの火が握り潰されて消されるかの如く、無に帰した。草の呪文で相手の肉体を拘束しようと思案するもの、ここに自然由来の雑草や植物は生えていない。火がダメなら、自ら魔法植物の種を撒き、成長促進の魔法を使うことで相手を拘束なり何なりすることが可能ではあるが、その持ち合わせがなかったのである。


そして……風の魔法で対処しようにも、黒いタールはそもそも液体だ。水を切り裂いたとしても、湖面に漣のような波紋しか広がらない。率直に云えば、対した意味がないのである。水に物理攻撃は大した意味がない。


対処法は炎で蒸発させるか、もしくはその蛇口を止めるかに限られる。炎はともかく、蛇口を占めるにしても、諸悪の根源……ヴィルに近付けば近付くほど、毒霧の濃度が深くなり到達するよりも前に倒れてしまうことであろう。


結果的に、水を蒸発させる炎の魔法はあっという間に食われてしまった。有効打は大した効果を齎さない。ジャミルはその事実を冷静に受け止めながら、次の手を……攻撃に値する手段はないかと冷静さを努める。今焦ってはいけない……慌ててはいけない。何か手段はあるはずだと思いながら、自分が使える魔法を吟味していくのである。


「毒霧を出す黒い液体がこっちまで流れてきたんだゾ! 子分が危ねえ! ふなー!」


カリムの手によって滝のような大量の水が溢れ出したのだが、その水は闇の鏡の間である壁にぶつかることによって水の流れを作って、渦巻くような形で小さくなった黒いタールをあちらこちらへと動かしている。その小さな一塊が丁度こちら側へきた途端、グリムはお得意の青い炎を吐いたのだが、黒いタール液は可燃性を有さない魔力の塊を伴った純粋な水分であるにも関わらず、青い息吹の一息により綺麗に消えたのである。


「グリム……その魔法は?」


「魔法? 俺様の炎の魔法か? それが一体どうしたんだゾ?」


「……グリムの魔法は何か特別なものだと思います」


ようやく止まった咳。だが小さな声で、自分は過去の出来事を思い出しながら云うのである。


「以前、オンボロ寮のゴーストに青い炎をぶつけたら焦った様子を見せていました。それにドワーフ鉱山で見た鎌を持つインクみたいな見た目をした化け物も、やたらと青い炎を恐れていたように思いました」


ゴーストと化け物。


それらの因果関係は不明だが、青い炎に対してやたらと警戒心を丸出しにし、そして事実それは効果覿面であった。


「なら、やることはひとつだな」


ジャミルはそう云い、前髪を耳に掛ける。視界を広げて、相手をよく見えるように頭髪を整えたのであった。


「俺はユニーク魔法、スネーク・ウィスパーで相手の反応や思考を鈍化させる。その隙に特大のグリムの青い炎の魔法を使ってくれ」


ジャミルのユニーク魔法、スネーク・ウィスパー。


本来は相手に思考の鈍化や反応を鈍らせる魔法ではなく、見たものを石化させる非常に強烈な魔法であるが、ジャミル自身が殺人を何よりも厭っているがゆえに、その魔法は発展途上の中途半端なものになっている。


自身の潔癖がゆえの未だ完成には至らないユニーク魔法であるが、それでも非常に強力なものであることには違いなかった。現にジャミルがオーバーブロットした際、相手の肉体の動きを完全制御する、石化魔法じみた真似さえできるのだ。この戦いにおいて、非常に役に立つことであろう。


「グリム……お前は毒霧を出す黒い液体を消しながら、ヴィルに近寄ってくれ。俺がユニーク魔法を使った瞬間、特大の炎を吐き出すんだ。そうすればヴィル先輩の身体を覆う黒い液体を取り除くことが……暴走が止まるかもしれない」


ヴィルの身体から……正確には影から蔓延する毒霧を放つ黒い液体。それを根本的に対処しようと作戦の意図を伝える。グリムは意気込むようにキリっとした表情をしたかと思うと、「分かったんだゾ!」と大きく頷くのであった。


「俺はあんまり役に立たないな……先生とか呼びに行った方がいいか?」


「いや、ここにいてくれ。カリム、お前はグリムのサポートを頼む」


ゴースト……それに黒インクの化け物が青い炎を恐れており、毒霧を放つ液体を簡単に消し去った事実から何らかの関係性があるかもしれなかった。そしてヴィル自身、グリムが小さいながらも黒い液体を炎で消し去った事実を黙認している以上、驚異と見做しているのは考えなくても到達できる事実だ。それゆえ、サポートは必須。本当に役に立たないのは自分だと思いながら、せめて邪魔にならないように端に移動した。


「よし、俺様、行くんだゾ!」


「サポートは任せろ!」


「監督生は全体を俯瞰できる! グリムと俺たちに的確な指示をしてくれ」


「え……」ジャミルの言葉に耳を疑った。「自分には何の力も……」


「俺たちはヴィル先輩の対処に手一杯だ。あの毒霧は強烈……一撃でも食らえば終わり。不意打ちでも食らおうものなら、この作戦は無意味なものとなる。全体を見通すことのできる視座を持った立場の助言が欲しいんだよ!」


「サポートと云ってもな。俺はグリムの動きや癖が分からない。適切なタイミングで補助を入れようにも、なあ。監督生……お前はグリムの細かな動きや癖をよく知っているだろう? 長年の年月による付き合いじゃないと把握できないことだ。正直、監督生の存在は欠かせない」


「分かり……ました。でも、あまり期待しないでくださいね」


自分はこの戦いを見守る傍観者で無力な立場だと思っていた。だがしかし、スカラビアの二人からすればそうではなく、必要な戦力だと云う。云ってくれる。必要としてくれている。その事実に場違いながらも喜びに似た感情、まるで存在してくれることを許してくれているかのような発言に、胸の中は暖かくなるのであった。


自分はゆっくりと立ち上がりながら、遠くから全体を見渡す。軽く咳を出しながら、周囲を俯瞰すると、二人と一匹からすれば死角にあたる部分であろう箇所から、タール状の液体が触手のように伸びて、ひそかに皆を襲おうとしていた。自分は不意打ちの存在を告げると、カリムはオアシス・メーカーの水流で触手を弾き飛ばした。水の勢いをまともに食らった触手は壁にぶつかったのだが、存在そのものが毒であるがゆえか、ぶつかった個所……壁の一部分を易々と溶かすのだ。まるで強酸のようだ。


確かに不意打ちでも食らえば、即座に戦闘不能になるであろう……自分は凄まじい毒気に唖然としながら、蒸発するような音をたてて壁を溶かす触手に脅威と恐怖を覚えるのだ。もしもあれに……ジャミルが放った火球が呑み込まれたように全身が包まれようものなら、肉体に深刻なダメージが生じる。最悪肉を溶かして、骨を丸出しにするものではないかと思いながら戦慄するのであった。


これは、危険だ。


自分だけではなく、カリムとジャミルは正確に毒霧を放つタール液の正確な脅威を自覚して、ひっそりと生唾を呑み込むのであった。そのような驚異的な猛毒を持つ液体に全身汚されたヴィルは大丈夫だろうかと思うのであったが、そもそもこの毒はジャミル戦の時は硬直の効果を有していたように、個人のユニーク魔法の効果が如実にあらわになっており、個人によって効果が異なるもの。


つまり、黒いタールの毒を出しているのはヴィル自身。毒に同じ毒を混ぜても質量を増やすか嵩ます結果しか出ないように、毒をもつタールが直接触れていても悪影響はないのであった。つまり、フグが自分の毒で死ぬわけがないように……。


「グリム、背後から毒が迫っている!」


「俺に任せろ!」


危険察知の言葉を耳にしたカリムは、グリムの身を守るために壁の障壁を作った。黒いタールは突如、床から盛り上がり天井にまで届くほどの水の壁に阻まれて、グリムを襲うことは出来ない。カリムは更にダメ押しをするかのように、突如盛り上がった水の壁に氷の魔法を放つ。数秒間もなく凍てつく冷気は、グリムを襲おうとしていた触手を凍てつかせた。自身の肉体が粘着質であったことも手伝って、壁……そして床もろとも凍り付いたフィールドに肉体が拘束されたのである。


グリムは背後にある氷の壁を後ろ足で蹴って、一気にヴィルの元へ跳躍する。眼前に青い炎を有したグリムが現れた途端、ヴィルは拒絶の叫び声を出し全身全霊で抗おうとしたものの、グリムに注意をひかれた僅かな隙を狙って、ジャミルがユニーク魔法を放つのだ。


スネーク・ウィスパー。


思考の鈍化と肉体の硬直を発生させるその魔法は、効果覿面だった。ヴィルは全身を戦慄くように震えさせながら、器用に不動まま、毒霧を放つ猛毒の塊である黒いタール状の液体を弾丸のように放とうとするも、それよりも前にグリムは大きく息を吸い込んでヴィルの全身を燃やした。その青い炎は影から延びる黒い液体のみを燃やし、不思議なことに人体に対しては無害だった。


「ここなんだゾ」


グリムは地面に着地しながら青い炎に包まれたヴィルの背後……黒い影を目視する。そこに尋常ならざる魔力があり、オーバーブロット化させた原因だと本能的に分かっているのか、一旦炎の息吹は止め、影そのものに食らいつくのだ。グリムはヴィルの影から黒い石を咥え租借することもなく丸呑みした直後、再び青い炎を吐くのであった。


「ははははははは!」


ヴィルはブロット語で絶叫を出しながら、足元をすくうような……オーバーブロットの原因と思わしき影が――黒い石を奪われ力の核を失い――再び青い炎に全身を包み、その衝撃のあまり背後から倒れる。


ヴィルの背後には闇の鏡があるのだが、彼の全体重を乗せた衝撃が加わると鏡面に罅が入る。まるで蜘蛛の巣のようなひび割れを見たかと思った瞬間、闇の鏡はグリムの青い炎による高温と、ヴィルの圧し掛かりにより木っ端微塵に砕かれた。


ヴィルが背中から水にまみれた床上に倒れる中、鏡面の破片が飛び散るが、まるで熱せられた薄氷のように空中で溶けるように消え、まるで最初から何もなかったかのように傾いた鏡の額縁だけがある。


闇の鏡は壊れた。


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