ティレシアスの水仙-7
ああ、そう云うこと! そう云うことなのね……これが、これこそが――!
ヴィルは走る。
一心不乱に疾走する。
恐怖のあまり、己の頭髪が九十九髪になるのではないかと思われるほど、恐怖に襲われながら学園内を走るのだ。
今の時間帯は、間もなく授業が始まる数分前。予冷のチャイムが鳴り響く中、ひとけのないメインストリートを通り過ぎていくのであった。
確かにアレは罪だ。
間違いだ。
秘匿すべき罪――そのものである。
男女の刑吏はアレを生み出したのだ。とても罪深い存在を……とてもではないが容認できない嬰児を。
ヴィルが『見えた』のは、赤く輝く目。ボルゾイの如き痩躯の黒犬。
そして……。
生まれるべきではなかった。
この世に生を受けるべきべきではなかった。人と共にありたいだなんて間違っている。命そのものを否定することは酷なことだが、哀れな存在だと分かっていてもどうしても人間としての本能が忌避感を抱かせるのであった。
青褪めた炎。
価値がなかった。意味がなかった。意義もなかった。
存在を認められなかった。
拒否、否定、拒絶。
……ヴィルが息を切らしながら無我夢中で走り、やがて辿り着いた場所は闇の鏡の魔。黒曜石の如く光輝くその表面を見ながら、自分の頭髪が総白髪となっていないか確認するのである。
早過ぎた埋葬。
恐怖ゆえ白髪になるなど、そう珍しいことではない。鏡で確認する限り、ヴィルの金の穂の如く輝く金髪が色あせることはなかったものの、その顔は――表情筋のすべては恐怖に固定されている。半笑いながらも、目元は今にも泣きだしそうに怯え、硝子の棺に入れられた死者の如く表情が強張っていた。ヴィルはせめて……いつもの柔らかさを取り戻そうと、顔に触れるが、力の入った両手の指は壁や天井を引っ掻くように頬を爪立つのだ。
「何よ、何なのよ……あんなのが学園にいると云うの。ずっといたと云うの……信じられない信じられない……私は、私は……アレは――!」
アレ。
獣。
黒い洞。
青褪めた猟犬。
「アレは獣の子じゃない! 恐ろしい、悍ましい……アレを、どう容認しろと云うのよ!」
ヴィルは血を吐くような勢いで叫び、我が身を抱きしめる。その両目で『見えた』真実を口走った途端、一人きりだった闇の鏡の間の扉が開く。そこにいるのはカリムとジャミル……そして……。
「――――」
ヴィルは鏡の間の大扉が開いた音を耳にした瞬間、闇の鏡を背後にして振り返る。
鏡の中に隠れていた大量の蜘蛛が自分の影の中に入っていくことに気付かず、駆け付けた皆を見て、恐怖の叫び声を出すのであった。
そして……。




