ティレシアスの水仙-2
「え……オーバーブロット、ですか。それが一体どうしたんですか、ヴィル先輩? えっと……その時の状況やオーバーブロット時の状況を知りたいと。僕自身としては、どうしてそんなことを知りたいのか疑問なんですが……いや、だって普通に考えて恥じゃないですか。オーバーブロットは獣性をあらわにした暴走状態……それを自ら口にするのは、ちょっと……あまり口にしたいことではないんです」
「はあ……確かに『何もなかった日』のパーティに、僕は暴走しました。日頃のストレスと云うか、溜まっていた黒い淀みが解放されたかのような……暴走後、みんなに助けられた時、鬱積とした感情がなくなったような気はします。いや、違います。オーバーブロットして暴れてスッキリしたんじゃなくて、吸い取られた? うまく云えませんが根ごと根こそぎごっそりなくなったような感じです。黒い感情に対して、こう表現するのは相応しくない誤謬でしょうが、『胸の中にポッカリと穴が空いた』ような感じでした」
「その後の調子、ですか。そうですね……精神状態は極めて安定しているような感じがします。張り詰めた緊張状態から放たれたような、そんな感じです。寛容と云うべきなのか……ハートの女王の規則はハレの日以外には、特に禁止事項もなく寮生たちも穏やかに生活しているようですよ。元々と云えば、僕が古錆びたルールを持ち出して皆を縛っていたのが悪いんですが……でも暴走後、自分の考えは変わりました。ルールは常に流転変化するものなんだって。僕はあまりにも規則に固執し過ぎていた。恐怖政治を強いていたわけですからね。寮長として恥ずべき問題だ。今の寮生は何時レモンティーを飲んでもいい。クロッケーは後片付けをきちんとすれば、好きなだけ遊んでもいい。だけどハレの日である『何もなかった日』だけは……その日のルールだけは守ってほしい。それだけです」
「え……この傷ですか。学園生活にはあまり関係のないものですが、ホリデー中、母親と喧嘩しました。僕の母親は以前の僕ソックリで、『決めていない』ことをしたらすぐ責めるような人なんです。僕は母さんの人形じゃないって、真っ向正面から云いました。話し合いではなく、物を投げ合う喧嘩にまでなりましたけどね。家の中は大惨事ですが、大丈夫ですよ。大怪我はしてない。魔法の使用ですか? いや、さすがにそこまではやっていません。部屋中を飛んでいたのは、お皿や写真、クッションなどです。親子関係は修復改善には至っていませんが、僕はもう母親の云いなりじゃない。押し付けられた願望を叶えない。今度の反抗で、筆記テストで赤点スレスレを取ってくることに決めました。何故そこまでするのか、ですか……そうですねえ。母さん……僕の作ったパイを食べないどころか、捨てたんですよ」
◆ ◆
「はあ……オーバーブロット? ヴィルなんでてめえが俺のことを知りたいんだよ。あまり話したくはないんだが……ああ、うるせえな。なんで必死なんだよ、てめえ。まあ魔法士である以上、他人事じゃねえもんな。あまり口にしたくはないんだが、そうだなぁ」
「まず、オーバーブロットする前にストレスを抱えていたのは、確かだ。ストレスの内容? 俺は一国のオウジサマだからな。民草のことについて考えなくちゃならねえ。俺の国では深刻な貧困の問題があって、どうにかしてその問題を解決したかったんだ。そうだ……たとえどんな汚い手を使ってでも、金が欲しかったんだ。国の議会ってのは、思っていたよりも金がかかる。国内の責任者や代表を賓客として招く以上、宿泊施設の手配や食事、その他諸々って感じだ。話し合いは半日以上の時間をかけて行われる。勿論、休憩時間はあるが一口に会議といっても長引くのが普通だ」
「俺は祖国の『路地裏の観光名所』を知っているからな。ナイトレイブンカレッジに入学するよりも前から知っていた。だから、横の繋がりを持とうとカリムやマレウスの野郎に接触したことはある。カリムは心配してくれたが、ちょっと能天気なところが気にかかったな。マレウスは、妖精独自の価値観で話が合わなかった。長寿種特有の『長い目で見れば』って奴だ。俺は迅速に貧困の問題を解決したいのに、奴が口に出した内容は『時間が解決するんだ』、とよ。その時間はどれほど長い期間のものだと思う? 最低でも二百年だよ。俺たちの寿命は精々百年ぐらいだ。早急な問題解決を望んでいるのにさすがにそれはない。だから、アイツとは根本的に話が合わないんだよ」
「……正直、学園生活で、富豪や王族がいると云うのに何の結果も得られなかったことに焦った。貧困の問題は中々簡単に解決するものではない。最短で二、三十年、最長で俺の一生を費やして解決するような根深い問題だ。貧困の喘ぎは、単純に恵んでやれば解決するものではない。恵まれたものは恵まれなかったものから搾取する。本当に救いたいものが救われるのは、最後だ。一番最後に回る。最後に手が届くまで持たざるものは、どんな動きをするか……そして、その番に回っても、最も救われるべき者は変わらないんだよ、徹頭徹尾な。分け与えることも知らず、その一生を終える。潰える。そして救われるべき者である子や周囲は、搾取することや奪うことが当たり前の常識となっている。負のサイクルは、簡単に終わるようなものじゃない」
「正直、お勉強よりも国の方が大事だった。だから勉強はそこそこにやって、最も重要視していたのが、貧困の救済。ロストタウンに降りたり、図書館で本を漁ったり、何か良い方法がないかと探していたが、結局のところ、いつも出る結論は『金』だ。金さえあれば会議が出来る。会議の回数を重ねれば、問題解決は事早く進む。だが……国の王子といっても、俺には金がない。金を得ようとしても民草の血税を搾り取って会議を開く……なあ知ってるか、一番血税を払っているのは誰なのか。搾取されているのは誰なのか……そうだよ、最も救われるべき貧困民だ。そいつらを救うためには、血税で苦しめる必要があるだなんて矛盾にもほどがないか。だから、優勝金の話が出た時は乗らざる得なかったんだ」
「卑怯な真似をしたと思っているよ。優勝候補にあがりそうな選手を物理的に潰す……軽度であっても負傷させ、選手として再起不能にしている。だが、悪いな。オーバーブロットして感情的になったとは云え、俺はそこまで悪いことをしたという気持ちにはなれないんだ。確かに悪いことをしたとは思う。でも、俺にとっては国の方が大事なんだ。ちょっとした怪我ぐらい、何てことはないだろう。すぐに立ち上がることは出来るだろうってな。我ながら最悪なことを云っている自覚はあるが、俺の素直な感想だ」
「寮対抗試合で有力候補を次々と潰す……だが、天が見定めたのか、卑怯な真似は許さないと問屋が卸さなかったのか、俺の姑息な戦法は失敗に終わった。誰かが云っていたが、『汚い金で民は喜ばない』……正直、計画がおじゃんとなってホッとした部分もある。少しだけ安堵した気分もある。やはり、怪我の具合にも関わらずに自分の都合で負傷させるだなんて、気分の良いものじゃないからな。そこは反省している。でも……やっぱり俺にとって学園の生徒よりも国の民の方が大切なんだ。反省はしているが、また優勝金の話が出れば、やっちゃいけないと分かっていても俺は同じ卑怯な真似をするだろう」
「暴走して気分はスッキリしたか、だって? そうだな……多少落ち着いたと云うか、冷静になった部分はあると思う。だが、気に食わないことが一つだけある。いや、気がかりか? 俺がオーバーブロットした際、背後に誰かの気配を感じ取ったと云うか……そうだな、率直なことを云えば――」
「――誰かが意図的にオーバーブロット化させたような、意図的なものを感じたんだ」
◆ ◆
「おや、ヴィルさん……モスロトラウンジへ、ようこそ。え? VIPルームですか……そこは残念ながら改装中でして……って、ちょっと待って下さい! その部屋は本当に荒れていて……!」
「ああ、扉を開かれてしまったんですね。残念なことです。え? 部屋中にある黒い液体は何かって? 誰かが黒いインクでも零したんじゃないんですかね。きっと悪戯で壁や床に塗りたくったんですよ、困ったもの……『黒いインクに嫌な魔力を感じる』? ん~、そう云われれば感じるような……『隠し事はよせ』、『オーバーブロットしたんじゃないか』……ヴィルさんあなたはどうして……『オーバーブロットした寮長から感じた嫌な魔力の残滓』を感じる、ですか。バレているんですね」
「それならば、正直にお話しますが……他言無用でお願いします。『まだ』学園長には報告していないので。なぜ云わないのかですか? それはまあ……その内報告するつもりですよ。ただ今は様子見と云うか……いや、それも云い訳ですね……正直な話、立て続けに寮長がオーバーブロットした事実が知られれば、どうなるのか……つまりは、保身です。我が身は可愛いですからね。本当なら口に出すべきでしょうが、僕はこの学園、ナイトレイブンカレッジに対してそこまで信用があるわけではないのです。信頼もありません」
「なぜ、信用していないかですか……率直に申し上げるなら、僕は学園創立から百年分の筆記テスト内容を独自に調査し、ホリデー前の期末テストで虎の巻としてハウツー本として配布しました。百年分のテスト内容を調査する際に、ある事実を発見してイソギンチャクたちに、とあることを命じたのですが……」
「まず、僕が気にかかったのは教科書やテスト内容の文章そのものに、まじないが隠されてた事実です。呪いではなく、まじない。その効果はオーバーブロット防止のためか、魔法士の精神安定の効果のある癒しです。ヒーリング効果……と云うより、気休め程度の効果しか発揮しない、まさしくまじないなのですが……現役学生もその効果に掛かっているのか、ですか。かかっていますね。百年分の累積、誤魔化し方や表現、記載法など非常に巧みになっていますが、そのおまじないは現役です。ああ……でも、まじないの意図を読むに、精神の均衡を保つ効果を考慮するに、悪いものではないのだと思います。とある一点を除けば、無視して良いものでしょう」
「まじないで気になる点は、何か……そうですね、率直に云うならば、『名前欄』のところに問題があるように思えます。ええ、テストをする際に一番最初に記載する箇所ですね。その所が実にきな臭い。暗示……いいえ、まじないを越えて催眠じみたモノが仕掛けられている、そんな印象を覚えたのです」
「まさか、重要なテストの名前欄に自分のサインを残さない生徒はいないだろうと思って、その点についても調査しました。どうやって調査したかって? それはその恥ずかしい話ですが、イソギンチャク数名に命じて教員の隙を狙って職員室を、ですね……僕が命じた内容は歴代赤点を取った生徒の記録を百年間調べる、と云うものなのですが……いたんですよ……いいえ、一、二教科の赤点者は珍しくないのですが、そうじゃなくて、全教科のテスト用紙の名前欄、ネームを記載しなかった生徒について調査したんです」
「最初、イソギンチャクたちから受け取った歴代の赤点保持者……まあ年に数名は現れます。ですけど、全教科ですよ。すべてのテストの解答用紙に名前を記載しなかった生徒がいることに驚きを隠せなかった。これは何らかの意図、わざとじゃないと出来ないこと。もしもそれら以外の理由があるとするならば、名前を記載しなかったんじゃなく、出来なかったのではないかと思い、全教科赤点の生徒たちについて調査の手を伸ばしたのですが、驚きでした」
「一番最初のネームサインのない全教科赤点保持者……今から八十年以上も前の生徒になります。その生徒、未だ我が校に在籍しているんですよ。扱いとしては留年と云う形ですが、通常なら再テストか退学と云った処分が普通なのに、現在進行形で留年生と云う扱いを受けている。その人物は寿命の長い妖精種なのか? いいえ、違います。人間です。普通のどこにでもいる、魔法が使えるだけの人間です。年数から鑑みれば、よぼよぼの老人……もしくはゴーストになってもおかしくはないのに、留年という形を取り続けている。実際、オンボロ寮や大食堂を含めたゴーストらに、一番最初の全教科赤点保持者について覚えはないか聞いたのですが、誰も知らないようでした」
「では、それならば……大昔の赤点保持者はどこにいるのか、留年生はどこにいるのか……俄然興味が湧きました。ですが、ちょっとした好奇心を伸ばして退学生のことについても調査したのですが、一人も退学生は出ていない。自主退学も出してはいない。ナイトレイブンカレッジは、設立してから一度も退学者を出してはいない。そもそもこの学園に入学するにあたって優秀な魔法士を選別しているとの触れ込みですが、それにしてもおかしい。不自然です。明らかに異様……」
「一番最初の全教科赤点保持者をはじめとして、僕は歴代の、同じく全教科のテスト内容に名前を記載しなかった生徒たちについて調べました。年代や年齢こそ異なれど、共通点は『留年』の一言。学園内にいるのではないかと思い、絨毯爆撃よろしく隅々まで調べ上げたのですが、居た痕跡はあっても、去った痕跡はない。僕が抱いた印象としては、まるで攫われたかのような……そんな感慨を抱いたのです。もしくは、隔離、ですかね」
「学年内を遍く調べ上げ、最終的に気になったのはオンボロ寮です。我が校のメインストリートには各寮の代表者、高名な卒業生が石像として建てられているのですが、なぜかオンボロ寮の石像だけはない。もしや、そこが過去の留年生のたまり場……隔離場所になっているのではないのかと思い調査したのですが、多少不審な点はありつつも、古びた建物……それ以外の感想しかありませんでした」
「気になる物もあるにはありましたがね。例えば日記ですが、あれは誰が書いたのか。年季の入った代物です。オンボロ寮が古びた建物になる以前、そこに成績の悪い生徒がすし詰めよろしく缶詰になっているのかと思ったのですが……まあ、一種の合宿場ですね。そう思っていたのですが、埃を被ったものだけがあるだけで、明確に留年生の痕跡だと云えるような証拠を見付けることは出来ませんでした」
「本来……優先すべき第一の目的は僕の一族の汚名を払拭するために、陸でも珍しいものを探して海に持ち帰ろうとしていたのは事実ですが……というより留年生の云々よりも、稀有で希少なお宝探しをしていたのが、最も優先される目的で歴代の留年生云々は副次的な探し物です。故郷ではタコというだけで色眼鏡をかけて見られ、しかも博物館に飾られている本のことを考えれば、是非ともおばあ様の書いた本を手元に残しておきたい。自然な考えです。陸のお宝と物々交換しようと思っていたのですよ」
「……話が逸れましたね。とにかくオンボロ寮について独自の調査をしたのですが、二つの意味で目ぼしいものを見付けることは出来ませんでした。ですが……そう云えば、ロールシャッハじみた絵……謎の絵が飾られていたのですが、あの絵画を外した時に大量の蜘蛛を見ました。そうです、黒い蜘蛛です」
「あの蜘蛛が僕の全身を通り抜けた時から……若干、気怠さを感じていました。休みを取るほどじゃありませんが、若干気分が優れないような……体調不良とまではいきませんが、絶好調ではない。恥ずかしい話、オーバーブロットした後は数日寝込みましたが、体調に不備はありませんよ。日によっては良い目覚めさえあるほどです。しかし……」
「オーバーブロットした暴走時の記憶は、あやふやです。だけど、感覚として覚えている体感を口にすれば、無理矢理気落ちさせるような……暗い気分にさせるような……重たい気持ちに自ら赴く……気持ちが操られているような感じを覚えました。自ら深みに嵌まっていくような感じとでも云いましょうか。積極的に暗い感情に塗り潰されていこうと、自傷じみた精神の沈みを感じたのです」
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「ヴィル先輩、カリムにではなく俺に用ですか? その用は……え? はあ……いや、なんでオーバーブロットしたことを知っているんですか。誰かがリークした……情報を漏らした……いや、そうじゃない。オーバーブロットした者特有の魔力の残滓を感じる、ですか。そう云えば、公的に二人オーバーブロットしたことが判明してましたね。感付かれるのは、云うほど不自然じゃないか……」
「後学として知りたいのですが、オーバーブロット特有の魔力の残滓と云うのは、どういったものなんでしょうか? 『言葉にしづらいが独特な気配』……確かに俺がオーバーブロットした時の気持ちと云うか、精神状態は独特なものだったように思えます。あまり深く、詳細なことは覚えていないんですがね」
「唯一、深く記憶していることがあるとすれば……そうですね。正義感……正しさがそこにあったと思います。自分のやっていることは正義なんだ。正しいことなんだ……そう云った気持ちが強く渦巻いていました。正義感にかられる……後ろめたさを持たない暴力と云うのは本当に危険ですからね。ネットリンチが顕著です。コイツは悪者だから批判していい……そういった行き過ぎた正義感が、俺の気持ちの中にあったような気がします」
「本来、正義感を持っている性格なのか? いいえ……俺はどちらかと云えば、平凡を望む性格です。しかも自分の手は可能な限り汚したくない潔癖でさえある。些細な暴力を命じられても、実行犯には絶対になりたくない。その感情は正義感からくるものではありません。エゴ、もしくは自己保身……ですかね。他人に退屈だと云われようが、荒波立てない凪のような日常が好きなんです。もしも自分の手を汚すことがあるとするならば、平凡な日常を崩す爆弾を潰す時でしょうか……」
「ともかく俺は、正義漢じゃあないんですよ。そういったタイプじゃないんです。それなのに……オーバーブロットした際は、行き過ぎて強すぎた正義感が自分を突き動かしていました。コイツは殺すべきだ……悪者――俺にとって都合の悪い存在だから、邪魔だから、好ましくないから殺めても構わない。そんな気持ちがあったんです。いや違うな、無理矢理その気持ちを掘り起こされたかのような印象がありました」
「誰を殺そうとしたのか、ですか。そこら辺は黙秘したい気分ですかね。折角期間限定の友達になれたんだ。そのことを漏らせば……ヴィルさんは無暗に人の秘密を口にするタイプじゃないと思いますけど、自分の中でその事実を口にすれば終わってしまいそうな感じがするんです。限定期間中の友達を、俺はわざわざ失いたくない。だから、黙秘で構いませんね?」
「……『そこまで詮索する気はない。悪かった』。ありがとうございます。口にしたいことじゃありませんから……ただ無理矢理わき上がった、染められた正義感ですが、それに関する心当たり……思えば、オーバーブロットする前、精神的にかなり不安定な状態だったんですが、誰かに話しかけられたような気がします。聞いたことのない声でした。あそこの住民だったのか、それとも……」
「誰の声なのか、分かりません。何せ、初めて聞いた声でしたから。ただ、胡乱じみたその声を聞いて気付いた時には、オーバーブロット化していました。自己正当の気持ちばかりが強くなり、一切後ろ暗さを持たない。一早く殺めて責務から逃れようと躍起になっていたんです。俺は潔癖で、平和を何より望んでいると云うのに、殺人だなんて……何よりも忌避すべきことを自ら起こしていたんですよ。端的に述べて正体不明の声の持ち主が、オーバーブロットへ堕としたのだと思います」
「でも……元来潔癖であり続けたい性根と、他人に操られたくない二つの感情、心があった所為か、正体不明の声の持ち主が俺を縛ろうとした時に、反発心が出ました。自分の意思が、底意地が出たんだと思います。けしかける……仕向けるならまだしも、意図的に他人を操ろうとする。俺にとっては唾棄すべきトラウマです。幼少の頃、操作魔法で他人を殺めかけた過去がありますが、それがトリガーだったのか……自分を操ろうとした正体不明の声の持ち主が強引に操作しようとした途端、強く抵抗しました」
「俺を操ろうとする声の持ち主からすれば、反発だなんて予想外の出来事だったんでしょうね。でも、それがきっかけで俺は自分の手を汚さずに済んだ。最も忌避すべき事態から退くことができたんです。あのまま、操られるような真似をしなければ、俺は他人を殺めていたかもしれない……いや、たらればなんてもんじゃない。確実に一人だけではなく、あの場にいた全員を殺していたことでしょう」
「蜘蛛をみたか、ですか……蜘蛛? そう云えばあの時、手の平サイズほどの蜘蛛が自分に触れたと云うのに、恐怖心はなかったな……あれほど大きいんだ。虫嫌いじゃなくても、驚くはずです。ですが……堕ちそうな状態が些細な驚きを払ったのだと思いますが……」
「でも、あの蜘蛛は単なる虫ではないと思いますよ。確証のない単なるカンですが、誰かの使い魔……そんな感じがするんです」




