ティレシアスの水仙-1
「魔法は筋肉から!」
恒例の居残り授業、今回の担任はバルガスであった。
本来ならば青空教育名の下、運動場で授業するのかと思っていたのだが、これまで自分に教鞭をとってくれた先生と同様、空き教室を使っての授業が開始される。
……余談だが、グリムは例の如く、サボリである。その件については「参加しないと思う」といった胸をあらかじめバルガスに伝えておいたので、わざわざ不在の事実について突っ込まれることはなかった。
「扨、学園長に頼まれて特別居残り授業を任された俺だが、元来読書は苦手でな。監督生……お前が疑問に思ったことに答える質疑応答の形式で授業を進めていこうと思うんだが、どうだろうか?」
「自分は授業形式に意見はありません。そもそも教えてもらう立場の人間ですし、文句を云うのはお門違いかと……」
「おお、それは有難い。トレイン先生や他の教師みたく、教科書を開いて教えるのは特に苦手だ。マジカルシフトのルールブックや筋トレの参考書は、特に苦もなく読めるのにな。不思議なこともあるものだよ」
人は必ずしも得手不得手があるものだが……小説なんかは特に読めない。
バルガスはそう云いながら、手ぶらの状態を示すように両腕を広げる。これまでの教師らはチョークや教科書を開きながら自分に居残り授業をしてくれたというのに、教師である以上、ある程度勉学を重ねているものと思われるが、実技の方が得意であることはその自然体から云わずと知れた。
「では、監督生。お前は見学と云う形であったが、いつも俺の授業に参加していたな。その上で、何か疑問に思うことはなかったか?」
「あります」自分は即答した。「どうして、魔法士は箒を使って空を飛ぶんですか?」
「おお、ごもっともな疑問だな。質問に質問を返して悪いが、どうしてそのような疑問を抱いたんだ?」
「ディアフレンド……あー、学友がホリデー帰還中に聞いたんですけど、クルマや電車があると聞きました……明らかに箒より速い速度で走れる物体があるのに、古典的と申しましょうか……どうしてわざわざ箒に乗る飛行訓練を受けているのか、疑問に思ったんです」
「なるほど……どうして箒に乗るのか、か……確かにそう思われても仕方がない。実際、我が校ナイトレイブンカレッジを卒業した生徒の九割は、箒を移動の足に使うことなく、自動車や交通機関を使っていることだろう。海を渡る、空を飛ぶにしても、船や飛行機を使う。飛行訓練は実技科目なのに、どうして授業に組み込まれているのか……それは、一言で述べると、『伝統』だからだ」
「伝統……ですか」
「そうだ、伝統だ。昔々の大昔、魔法士が庭師と呼ばれていた時代にまで話は遡る。庭師……その言葉から連想される通り、己の敷地内で薬草として使う植物を育てていた。そう、薬の処方箋を提供していたと云うわけだな。時には祈祷師や呪術めいた儀式の際に必要な植物を育てていたが、庭師としての役割は概ね薬剤師、と云った方が適切だろう」
祈祷師や呪術。
恐らく、その儀式で必要とされた植物は人に幻覚を見せる危険な植物だ。直々に飲用させるか、火で燻り煙を済ませるなどの方法で幻を見せていた。
そのあたりは自分のいた世界と変わらないものなのだな、と少し思う。
「庭師時代の魔法使いは、植物の手入れを行っていた。その際、農具が必要となり、庭先を掃除するにあたって箒を必要としていたわけだ。だから庭師から名を変え、魔法士なる命名を受けたとしても根本を忘れてはいけない。魔法使いと箒は切っても切り外せない存在なのだよ。だから、『伝統』」
「え……でも、先生……元々は、薬草を煎じる植物の手入れをするために箒を使っていた。それは別にいいんですけど、箒を使って空を飛ぶ事と何の関係があると云うのですか?」
掃除と飛行。
それぞれは結びついていないようであるが……。
自分は当然の質問をぶつけると、バルガスは「その話にはちょっとした続きがある」と一言先に付け加えた。
「魔法使いがなぜ空を飛ぶのか。そうだなぁ、端的に云うなら『無害さ』のアピールと云ったところだろう」
「無害さの、アピール……?」
「かつて、魔法士は……地域ごとに差があれども……差別をされ、迫害を受けていた。最もひどい地域では魔女狩りなるもので異端審問が行われ、屍山血河の恐ろしい有様となった。魔女や魔法使いだと無理矢理自白させるために作られた様々な拷問器具……血みどろで悍ましい、生かさず殺さずの拷問法……ではなぜ、魔法使いが斯様な目に遭ったのか、答えることはできるか?」
「魔法が使えるから……いいや、普通の人には使えない力が使える……魔法……非魔法使いからすれば、魔法が未知の力に見えた。恐ろしかった……恐怖の対象になったからですか?」
「半分正解だな。もう半分は、オーバーブロットにある」
オーバーブロット。
魔法士が一番陥ってはならない、獣性をあらわにした堕落した姿。
自分は数名ばかり、その状態に陥った生徒たちの姿を知っているが……確かに暗い欲望のままに暴れ回る姿は恐ろしいものだった。
「オーバーブロット。堕落した獣性。人ならざる人外の姿。謎の言語を喋り、思うままに周囲を蹂躙する。端的に述べて……魔法使いは――己は人に危害を加えない存在だと、愛嬌を振りまくためのアピールとして箒に乗った。時には子供達を乗せ、空を飛行したと云う。その当時、飛行機なるものは未だ発明されていない古い時代。空を飛ぶと云うことは、鳥かもしくは、背中に翼がない種族ではない限り実現不可能な出来事であった」
それはまさしく、夢。
夢のような出来事を魔法使いなら、実現することが出来る。
箒に乗って無害さをアピールした魔法使いの功績が巧く働いたのか、徐々にだが彼ら彼女らに対する差別は減っていったのだと云う。
「魔法使いは恐ろしい未知の呪術の使い手、そして化け物へ堕ちる可能性を危惧される存在から、夢を与える存在になったと云うわけだ。最初は微々たる変化だが、箒に乗って空を飛ぶ姿は……子供達を箒に乗せて空を泳ぐ姿は、魔法使いたちに対する認識の転換点となったわけだな。善い夢を見せてくれる魔法使いは、そう悪い存在ではない。人々がそう思い直すのに……悪いイメージを払拭するのに時間はかかっただろうが、その功労は認められた。我々魔法士は、その功績と実績を忘れないために形骸化したものとは云え、必修科目といって良いほど大切なものとして飛行術を授業に取り入れたと云うわけだ」
バルガスの言葉を受けて、「たしかに……」と自分は得心納得する。休み時間の合間であるが、エースやデュースの持つ箒に乗せてもらったことがあるのだが、飛行するその時間は非常に楽しいものであった。お手頃なジェットコースターと云うべきだろうか。自分の記憶の中に、楽しいひと時として明瞭に記憶されていたのである。
「伝統の他に飛行訓練は体力向上だけではなく、魔力の出力操作といった繊細なコントロールが求められる。体力向上は肉体の訓練……有り余る若人の元気を授業に使い、素行問題を減らす。変に元気が有り余っていると非行に走る輩がいるからな。膨大な暇ほど、人を腐食させるものだ」
一説によれば、普通の学校で部活動が取り入られている理由は、生徒たちの素行問題の軽減といった側面があると聞いた覚えがあった。教師の主張する通り、要は無駄な体力があるから非行に走るのだと云う。どうせならば、無駄に有り余った体力を良い方向へ活用すべく、運動部が設立したとのことらしいのだが、それが本当のことなのか分からない。眉唾程度の話だった。
「魔力の精密なコントロールは、箒にまたがり飛行した際に必要とされる。人間は本来地に立って歩く二足歩行の動物だ。それなのに……翼がないのだと云うのに、空を飛ぶのだから非常に精密な魔力操作が必要とされるのだ。魔力は強く出力してはいけない、弱すぎてもダメ。絶妙なラインを保ちつつ、空中に浮く。一口に箒で飛ぶと云っても、非常に難しいものなのだ」
「まだ箒の操作に慣れていない生徒を見たことはあります」
「それは恐らく一年生だな。入学したてだから、扱い方が分からないんだろう。でも二年生に進学する頃になれば、思うよう、好きなままに乗ることは出来る。コツさえ掴めば、どうにでもなるものだ」
それと……。
と、前置き。バルガスは魔法士が箒に乗る理由について情報を付け足すのであった。
「魔法使いは箒に乗るもの……無害さのアピールだが、非魔法士……魔法が使えない人たちにアピールした共通認識にも意味がある。監督生、魔法士はだな『呪術や魔法を使う人』よりも『箒に乗る』と認識された方が、魔法士は力が弱まるんだ」
「力が弱まる……弱体化、ですか」
「ああ、そうだ……弱体化。多くの人々が恐れを抱けば魔法士の力が強まり、逆に恐怖心が薄まれば弱体化する。いや、もっと詳しく云えば人々が抱く集合認識が変われば、魔法士の持つ魔力の出力が変わるのだ。魔法士にとって弱体化することは――箒に乗って無害をアピールする姿は大事なんだよ。集団意識の影響を受けて、魔法士の在り方は変化する不思議なものなのだ。ミームみたいなものだ」
「でも力が弱まるって……そんなの……いいんですか?」
「いいんだよ、それで。無暗に恐怖を与え、迫害されるよりも随分マシだ。実際、禁忌を犯すほど強くなるぐらいなら、弱くなった方がいい。人を容易に害するほど力があるのなら、ひたすら弱体化に努めるまでだ」
まあ総じて……。
バルガスは話のまとめに入るため、閑話休題。一言付け加えるのであった。
「……総じて、魔法士にとって箒というものは伝統でもあり、魔力コントロールの基礎力の向上と、弱体化が目的にある。基礎が覚束ない状態だと、基本的な魔法の使用さえ難しい。箒に乗ることは単なる伝統だが、実用性があるとするならば自分の力量を推し量る良い天秤となっているわけだ」
……魔法士は限界を越えれば、オーバーブロットしてしまうのだから。
最悪の事態を招かないためにも、魔力コントロールを手慣れたものとする。単なる運動で終わる話ではないと、述べるのであった。
「……魔力のコントロール……その為に飛行訓練があると述べたが、実は本当に箒でなくても良かったりするのだが、まあそこはご愛敬と云うことで……」
「そうなんですか。魔法使いにとって箒と云うものは本当に形だけなのですね。ただ、守破離の段階として大事なもの……」
ところで……。
自分は、ふと思い出したようにバルガスに尋ねる。
「魔法士は弱体化した方がいいと述べましたが、その中に『禁忌を犯す』と云っていました。『危険思想』……なるものがあるらしいのですが、それと関係あるのですか? 『危険思想』とは何なんですか?」
「うーん? 『危険思想』……よく、分からないなあ」一瞬だがバルガスの表情が硬くなった。「一般的なものじゃないのか? 例えば、ホラ暴力とか。何振り構わず、誰彼問わず殴りたいだなんて、それこそ危ない思想だろう? 恐らく、そう云ったことなのだろう」
「そうですか……では、危険思想を持つ魔法士を見分ける方法とかあったりします? 自分は魔法が使えないので……自衛の為に知っておきたいんですが……」
「見分ける方法か……実は簡単だったりする。テスト。筆記テストの名前欄に自分の名前が書けなかった生徒は、禁忌を犯す可能性が非常に高いものなのだよ」




