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ロストタウンの囁き-9

……今からおよそ百年前、バイパー一族はアルアジーム一族の主人だった。


だがしかし妖精との百年戦争の終戦後、彼らが持つ水のユニーク魔法を発端に徐々にその立場は崩壊し、今はアルアジーム一族がバイパー一族を支配している。


我が国は水の潤沢な国であり、祖国の異名は『世界の貯水』。


人間にとって……国の存続において、水がどれほど重要なものなのか、それは長い歴史が証明している。農作物への給水。家畜の水分補給。そして更に云えば、工業施設において水の存在は必要不可欠であり、飲み水に至ってはわざわざ語る間でもないだろう。


アルアジーム一族は、塩害等の危険性を一切考慮せず綺麗で清潔な水をユニーク魔法で提供することができる。


治水を制するものが、国を制する。


終戦後、平和な世の中になりアルアジーム一族が頭角をあらわにし、国そのものから必要とされ、立場が逆転するのは当然の結末であった。泰平の世の中で最も必要とされているのは、これ以上損なわない国の維持。我が祖国は戦争の混乱期、他国へ侵略されないどころか、非常に優位な立場となった。


水利権ただ、それだけで……。


カリムが使う一子相伝のユニーク魔法。ただ水が出せる魔法だと揶揄されがちであるが、もしもアルアジーム一族が水の輸出をやめれば、世界が乾く。


我が星、地球は水の惑星と呼ばれているが、そのほとんどは海水を占める。飲み水など1パーセント以下かもしれない。


人間は水を使用するにあたって塩の被害を考慮し、海水から濾過作業を行い、上水……飲用水をやっと作ることができる。もしも濾過作業を行わずに海水を田畑に撒けば、大地に塩が残り、その塩が農作物に多大なるダメージを残す。地下水であっても僅かながらに塩を含んでおり、地中から吸い上げた井戸水とは云えども、その危険性を考慮しなくてはいけない。


塩害の他にも、毒性を保有した鉱物が溶け込んだ可能性……天からの恵みである雨水であっても、すぐさま口にできるほど清潔な水ではない。それゆえ、非常に低い魔力で清潔な水を提供できるカリムの一族が、国の要と判断され必要とされた。


そこまでは、いい。別にいい。


俺には関係のないことだ。たとえ本来の立場が逆転してしまったとしても、一子相伝の魔法を有効活用しているのならば、賢明な判断だと思う。ただそれだけである。


だが、俺の周囲が、親が、親族がそれを許さなかった。


『アルアジーム一族の嫡子を殺害しろ』


密かに俺に下された下命、その内容はバイパー一族を支配するアルアジーム一族からの脱却であり、主従関係の逆転であった。


殊に、バイパー一族の老人は妄執に取りつかれたかのように、再びの覇権を夢見ていたのだ。


『ジャミル、お前は非常に良く出来た子だ。お前は一族の悲願を想って、アルアジームの嫡男に接触したのだろう? 暗殺の機会を窺うために、親しい仮面をつけて近寄った。今では嫡男はお前のことを親友と思っているらしいじゃないか。これは、逃すことの出来ない絶好の好機だぞ』


知らない。


そんなものは知らない。


俺はただ、子供特有の無知で世間や周囲の環境も知らずに、カリムと遊んでいただけだ。元から狙っていたわけじゃない。覇権を取り戻そうだとか、立場の逆転だとか、そういったことは知らない。


カリムは数ある遊び相手の一人。


ただ、それだけだったのに……。


周囲は普通の関係であることを許さなかった。


『アルアジーム一族は我が一族を警戒して、顔を合わせることさえもしない。復讐を恐れているのだ。再び支配されることを危惧しているのだ。だからジャミル……出会いは偶然かもしれないが、そのチャンスを逃すことなくしっかり掴んだ。幼いながらに聡明だ。両親の教育の賜物だろう』


『お前は本当に聡い子だよ。きっと、我が一族の悲願を果たしてくれるだろう』


『元々、使用人風情が主人である我々を支配しようなどと片腹痛い……』


『何が国の要だ。元々、我々があの能力を保護保有してやっていたのだ。それなのに恩さえ忘れて……他の一族が召使えていたら、どうなっていたことか。一子相伝の魔法さえなくなっていたことだろう。その重要性を一早く見破り、大事に扱ってきたのに……顔に泥を塗るどころの騒ぎではない』


……大人たちは云う。老人たちも云う。


聞くだけでも辟易とする内容を恥じ入ることもなく。聞けば醜聞に外聞もなく。


そもそも嫡男の一人とは云えども、殺めればバイパー一族の立場がどうなるのか……客観的な視点さえ忘れて、古錆びた手段で再び支配者の立場に戻ろうとしている。そもそも子供一人殺めたところで、どうなるのか……想像力が欠如している。


カリムを殺せば、バイパー一族は更に後退するだけだ。


少数ながらそう訴える者はいたが、その正論なる主張は妄執に取りつかれた老人の一喝で消し去ってしまう。


ああ、末期だ。


自分は我が一族のあり様を見て、自然とそう思った。


『さあ、ジャミル。あの忌々しい嫡子を殺しなさい』


『カリムを殺しなさい』


『ナイフを握る手が震えるの? それじゃ、我々が操作魔法をかけてあげるから』


『カリム・アルアジームを殺しなさい』


……殺したくはない。殺めたくはない、と思う。


その感情は別にカリムが特別だとか、親友だとか、そういった理由からくるものではない。あいつは俺にとって数多くいる友達の一人。それ以上でもそれ以下でもない。単なる友達。普通の関係。


だけど……それは、嫌だったから。


殺人を犯すと云う行為が嫌だったから。


カリムのことはどうでもいいが、潔癖ゆえ、自分の手を汚したくはなかっただけである。


大体……普通に考えて、積極的に殺人を犯したい人間など、この世にいないだろう。元来の性格か、俺が好むのは何気ない日常。同じことの繰り返し。平凡な毎日。それは一等正しくて眩くて優しくて好ましい。


何事もない順風満帆な、波風立てない凪……取るに足らない平穏な日々を過ごしたいのに、周囲が、大人がそれを許さなかった。


『カリム・アルアジームを殺しなさい』


やめろ。


そんなことは、やめろ!


俺の手を汚させるな!


やりたければ、あんたら大人がやればいい!


なのに……それだのに、俺に操作魔法をかけナイフを握らせて、カリムの傍へと近寄らせる。心の中では罪を犯せば自身が汚れる潔癖を訴え叫ぶも、下命と操作魔法で傀儡と化した肉体は凶器を手放さない。


カリムのことは、どうでもいい。


ただ……自分が汚れるのが悍ましい。


血は汚い。流血は汚物だ。臓物など……更に忌まわしい。


……嫌悪と忌避感の結果、自分の激しい抵抗ゆえナイフを振り下ろされることなく、暗殺は失敗に終わったのだが、大人たちは成功するよう、次から次へと駆り立てた。


暗殺に証拠を残してはいけない。あなたは聡い子だから、操作魔法に抗ったんだね……なんて見当違いな自己解釈をしながら、暗殺の精度を高めるため、暗がりの才能は研ぎ澄まされていく。


己の意思に反して。


正直、終わっていると思った。


本当は俺が心の底からナイフを振りかざすことに抵抗したのを知っているだろうに、何が聡い子だ。今は駄目だと時期早々を悟り、暗殺を中止したのではない。俺が激しい抵抗を見せたから失敗に終わったんだ。


だけど、妄執に取りつかれた周囲の目はめしいており、現実を直視しない。現実を絶対に見てはくれない。暗い希望にいつまでもいつまでも追い縋るさらばえた手。子供の身体に呪いのようにしがみつく枯れ木のような肉体。


汚い。


嫌悪した。身震いした。身の毛が弥立った。


醜い。


老人が子供に一縷の望みを託している……足元に這いつくばり、追い縋っている。その両の目は爛々と過去の栄光を夢見て、羨望している。


その熱量に、恐怖さえ覚えた。


『カリム・アルアジームを殺しなさい』


『カリム・アルアジームを殺しなさい』


なぜ、自分が殺めなければならないのか。俺はやりたくないんだ。平凡な毎日が好きなんだ。欠伸が出るような退屈な日常の焼き回しが好きなんだ。ずっと潔白でいたいんだ。俺は汚らしいものが嫌いなんだ。流血なんて以ての外……しかもその実行者になるなど、到底我慢できるようなものじゃない。


だから、離れた。


カリムから距離を取った。


半ば下命から逃げるような形でナイトレイブンカレッジに入学し、平凡な日常を享受する。そんな退屈の中で、目にもしたくないあいつの存在が現れた。


カリム・アルアジーム。


どうしてお前はこの学校に編入してきた。


これじゃあ、元の木阿弥じゃないか。ただ親がいないだけで、下命が撤回されていない以上、それを達成しなくてはならない。


俺はやった。


半ば諦めに似た感情を抱きながら、自ら殺されに来たカリムを殺めるためにその手段を取っていた。


でも、すべては不発に終わった。暗殺に成功することはなかった。


カリムは運がいい。


毒を混ぜた食事。奴は偶然、床に落とした。


夜半、研ぎ澄ましたナイフを手に寮長室に。あいつは寮生を集め、勉学に勤しんでいた。


暗殺はすべて失敗に終わる。


俺はそのことに安堵すると同時に、この責め苦から解放されないのかと痛感するのである。カリムを自分の手で殺めない限り、この懊悩は解けないのだと悟るのだった。


だから、裏の世界に来た時……この世界は世界の廃棄場、人殺しさえも起きるブラックボックス。一目を憚らず、何でもできると知ったのなら……。素知らぬ顔で元の世界に戻れると分かったら……たとえ、甘い胡乱な言葉であったとしても暗い感情に逆らうことは出来なかった。


俺は呪う。


根源を呪う。


そもそも戦争さえ起きなければ、バイパー一族とアルアジーム一族の立場逆転なる事象が起きなかったはずだ。老人たちがかつての栄光を取り戻そうと躍起にならなかったはずである。支配されていたカリムの一族には悪い事だと思うけど、俺にとってはそのままの方が良かったのだ。上の立場で居続けたかった……などではなく、人殺しの運命の支配され続けるのであれば、立場が逆転するようなことが起きなかったら良かったのに……と思うのだ。


俺は呪詛を呟く。


戦争さえなかったら、こんなことにはならなかったのに……。


『カリム・アルアジームを殺しなさい』


俺はいつになったら、この呪縛から解き放たれ自由になれることが出来るのだろう……?


俺は他人に支配されるのは、嫌いだ。


だから、いかなる『共犯者』と云え、いくら有力な力添えとは云えども、操作魔法をかけて傀儡にするなど、我慢できない。


最早、本能的に受け付けられないのだ。


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