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ロストタウンの囁き-7

「……クソ」


ロストタウン、世界の裏側のどこかの路地裏。


カリムが穴に落ちた時、思わず抱いた『発想』に暗い悦びを覚えながらも否定し……否定し拒絶することが、ジャミルにはどうしてもできなかった。乱れた意識の中、煉瓦造りと思しき壁に手をつきながら、呼吸を整える。


嫌だ、と思う。


自分はやりたくないと強く思う。


下命とは云えども、それだけは避けたいと思うのだが、その誘惑は強い。その誘いは実に甘美なものであった。


「いまちあまめち まめあきり き□るらあ□そあかつれえる□まひ~♪」


「――! 誰だ!」


ジャミルは内密に下された目標を達成する……そのような仄暗い妄想が――自分のやり遂げた姿を想像した途端、歌声が聞こえてきた。穴を掘る者が歌う壊れた調子の歌声とは異なる、だが異質な歌声。ジャミルは勢いよく背後を振り返りながら、周囲を見渡すも平面的な光景がどこまでも広がっているだけで、誰も見付けることは出来なかった。無人である。


「なんだ、誰かいるのか……出てこい……出て来いよ!」


試しに叫んでみても周囲は無言で、ジャミルの声が木霊するばかり。大声で発した焦りの怒鳴り声は周囲に広がっていくにつれ、路地裏の隅で「わあん」と不協和音らしき音を響かせる。密かな暗がりが、音を吸い込んでいたのであった。


「カメラ越しに見たあの化け物か? ここにもいるのか……?」



『それは違うよ』



声は応えた。


ジャミルは不安そうに周囲をキョロキョロと見回しながら、煉瓦の塀にピッタリと背中をくっつける。その怯えた様子がおかしかったのか、路地裏の四隅の暗がりは笑う。


「笑うなぁ! 何がおかしんだ、俺を笑うな! やめろやめろやめろ! 俺を自由にしてくれ! もう縛られたくないんだ……やりたくないんだ、そんなこと。だから、ちょっと魔が差しただけじゃないか……死んだような姿を見て、このままであってくれとちょっと思っただけじゃないか」


ジャミルはあの時……カリムが墓穴に落ちた時の様子を思い出す。


瞠目した両目。


ぴくりとも動かない、横たわる身体。


眠り。


死。


いずれ、ハエが瞳の上を歩きだしそうな、その姿を見て思ったのは……。


「うっ……!」


ジャミルは嬉しさのあまり口角が上がったかと思った直後、強烈な吐き気を覚えた。口を押え、胃の逆流を抑えようと躍起になるも、戻すのを止めることができない。今日食べた物を全て吐き出してもなお、胃は痙攣し、胃酸が急きあがる。胃袋の中にもう何もないと云うのに、逆流は止まらないのであった。



『君は、友人の死をひどく望んでいるようだけど――』



路地裏の闇の濃度が強くなり、ジャミルを取り囲むように広がる。まるで周囲に人だかりができているようだと、嘔吐のあまり涙目になったジャミルはどこか他人事のようにそう思うのであった。


彼の周囲にある闇が囁く。


ロストタウンの囁き。


闇の中で蠢いているのは、誰だろう……?



『思い出して』



ヒソヒソ。


闇は蠢くと同時に、ジャミルの身体が泥のように重たくなるような……飢餓状態の人間が香ばしい食事の香りを嗅いだ時のように、抗えぬ魅力がそこにはあった。自身が望むことを口にする囁き声。なんて素晴らしい提案をしてくれるのだろうか。いつも苦渋の選択に迫られた彼にとって、苦しみを取り払ってくれるような蠱惑的な声。思わず、聞き入ってしまう。たとえどんな最悪な提案でも。



『そもそも、思い出してみて。

 ここはロストタウン、世界の裏側だ。

 生物兵器たる未使用の赤ん坊さえも捨てられた。

 秘匿したい情報の隠し場所。

 ここには常に、黒い秘密が渦巻いている。

 あの剣が云っていたように、勿論殺人さえもあった。

 あらゆる最悪がこの場所に眠る』


『思い返して。

 ここは見捨てられたモノが集う廃棄場。

 どんな悪事を働いてもバレやしない。

 存在意義もない猟犬さえも捨てられた。

 自分の手を汚したくない君にとって理想的な場所。

 事が終われば、何食わぬ顔で帰ればいい』



ジャミルは、否定できない。拒絶できない。その魅力に抗えない。


唯一、潔白でありたいと強く思っていた願望さえ、この場を去ればすべてが終わると告げる。綺麗な振りをして、日常に戻れるのだと甘美な魅力を持つ声が囁くのだ。


闇がカサコソと足音を立てる。


小さい蜘蛛が自分の影の中に入っていくのだが、恐怖を忘れて平然とした様子で眺めるだけ。


今、彼の頭の中にあるのは、自由への渇望。


下命の達成、ただそれだけ。重荷が取れ安堵の溜息を出す達成の瞬間がすぐ傍まで来ているのだ。苦労の塊を地面に置くことが、ようやくやっと出来るのだ。



『――幸い、ここには墓守がいる。

 毎日穴を掘っているデイジーベル。

 彼が作った墓標を一つぐらい拝借しても構わないだろう。

 元々、棺桶を入れるつもりで造られた墓穴だ。

 仏を作って魂入れずだなんて魂消たものだ。

 本物の墓を造ろうじゃないか』



そもそも、この裏の世界に来た時から思っていたことだろう……と見透かしたような声が響く。最初からやってみようと思っていたのだろうと、囁き声はジャミルの図星を指摘するのであった。いつもチャンスを窺っているのだろうと、まるで知っているかのように……。


彼は、何も云えなかった。


だって……云ってほしい言葉をくれるから。理解者のように、味方の『ように』、望みの言葉をくれるのだから、どうして振りほどき耳を塞ぐことが出来ようか。地獄の道は善意で舗装されていると云うが、それこそ正しく……。



『大丈夫、全ては一瞬で終わる。

 目撃者がいたとしても、同じように殺してしまえばいい』



どちゃり。


ジャミルの魂に黒い液状の塊がぶつかった。質量のあるタール状の液体は、ねばつきながら黒く滴る。それは粘着性があるだけでなく、魂にぶつかった衝撃でその表面がひしゃげてしまった。封じ込めていた黒い願望を割るように、蓋をしていた箇所に罅割れを入れるのである。



『自分は、君の秘密の共犯者』



ぐちゅり……と、魂が染まる。



『勇気が足りないと云うのなら、この自分が力添えをしよう』



さぁ、立ち上がって。


ジャミルは…………。


……………………………………………………………………………………。…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。


「………………アハ」



ばしゃり。


黒い気配が煙を上げた。


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