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ロストタウンの囁き-6

喋る剣から残酷な真実を付けられた一行は、トボトボとした足取りで博物館を後にした。■■博物館とモザイクのようなものが掛かった表札を通り抜けて、これからどうやって元の世界に戻ろうか皆が考えていると、グリムは耳をピクピクと動かして四足歩行から二足歩行へと姿勢を変える。何事かと声を出す前に、「何か聞こえるんだゾ」と云ったかと思うと急速に駆けだした。


「グリム……どうしたの、ちょっと待って!」


ここは、剣曰く「世界の裏側」だ。何が起きるのか、そうして何が居るのか分からないと思いながら、素早く去っていくグリムを追いかける。背後で「監督生、待て!」と二人の制止の声が聞こえたが、それよりも何かを察知したグリムの方が重要だったので半ば無視をする形で、2Dの世界の路地裏へ入っていくのであった。


グリムは博物館で見せた曲がり角で待機してくれるような優しさを発揮することなく、石畳の路地を颯爽とかけていく。時にはヒョイと塀を乗り越えていくものだから、堪ったものではなかった。このまま姿を見失ってしまうのではないかと危惧しながら曲がり角を折れた先に、青い炎は佇んでいた。


「デイジ~、デイジ~、答えておくれ。おかしくなりそうさ、すべてがモノクロに。色褪せた青い青い空……四輪馬車は迎えに来ないけど、きっと墓地に現れるはずだ。デイジ~デイジ~……答えておくれ、おかしくなりそうさ……」


調子の狂った歌声が、デイジーベルを口ずさんでいる。


自分は立ち尽くすグリムの傍により、正面を見た。眼前に広がる風景は饒舌に尽くしがたい絶句の一言で、常軌を逸している。穴、穴、穴。角の円い長方形が幾つも、無数とも云える数の穴が掘られていたのであった。まるで、棺桶が入る前の墓穴のような風景である。言葉を失うのも不思議なことではなかった。


背後で自分を追いかけてきたカリムとジャミルの足音と気配を察知しながら、戸惑った様子のグリムを抱きかかえる。グリムはいつまでもデイジーベルを壊れたレコードのように歌いながらシャベルを動かして歌い続ける、穴を掘る者を眺めていたのであった。


「これは、一体……」


ザクザクと新しい長方形の穴を作る為に、スコップが地面を削る。スコップに溜まった土を他所へどかしながら、穴を掘る者は作業を続けていた。かの者は、かつては色鮮やかで清潔であっただろう衣服を身に纏っている。どこか見覚えのあるその衣服は土に塗れ、所々破れかぶれだ。この衣服は……と思案を続けていると、自分の脳裏にひとつだけ思い浮かんだものがあった。それは式典服。自分がはじめてナイトレイブンカレッジで目覚めた時に着用していたあの服ではなかろうかとそう思ったのである。


……はたと気付けば、穴を掘る者は、作業を中止してこちらを同じように見上げていた。声か、足音か、それとも気配に反応したのか分からないが、他者の訪問に反応して、おかしな調子で歌い続けていた歌をやめ、口を閉ざしている。自分の横に並んだカリムは長方形の穴だらけの光景を見て、「墓地か……?」と呟きながら一歩前に出る。ジャミルは止めることなく、目の前の有様に目を奪われているかのようであった。


「あー、とりあえず……こんにちは? 何をしてるんだ」


「……穴を、穴を掘ってる」


老いさらばえしわがれた声と云うより、渇きに飢えしゃがれた声だった。その低い声を耳にしながら他人の質問に耳を貸す余裕と、そうして応じる態度があることに少しだけ意外性を覚えた。


「穴、ねえ……」


カリムは細長い墓穴のような穴を見る。辺り一面、敷地内の広さが許す限り掘られた穴の数はその狂気性の深度を現しているかのようであった。


「穴なんか掘ってどうするつもりなんだ? お宝でも探しているのか」


カリムはよくもこう……遠慮なくズイズイと質問できるものである。配慮がないとも云えるが……客観的な意見……もしくは主観でしかないのだが、穴を掘る者は見た感じ、辛うじて正気を保っているかのような様子である。もっと詳しく述べるなら、何か些細なキッカケがあれば精神の均衡が容易く脆く崩れそうな危うさのある存在だ。直接的な表現を用いるならば危険人物のように見えるのだが、どうしてそのようにフラットに対応できるのだろう。


「デイジ~、デイジ~……穴を掘る理由……それは青白い馬に乗って、棺桶から目覚めたからさ……ナーサリー、ナーサリ~……王の馬や家来でも俺たちは元には戻れなかった」


「うん、棺桶?」


カリムは首を傾げる。


穴を掘る者の云う「青白い馬に乗って、棺桶から目覚めた」と云う場所をなぞなぞでも解くように知識を総動員して謎解きをしているようであるが、答えのピースはジャミルが持っていた。


「多分アレなんじゃないのか。ナイトレイブンカレッジの入学式……俺たちはこの学校に来た時、棺桶から目覚めただろう?」


「いや、俺は編入してきたから。そっかー、ナイトレイブンカレッジでは棺桶から目覚めるのか。変わってるな」


「あぁ……そうだった。お前は元々……」


カリムとジャミルは二人が持つ共通認識を頷き合いながら、その齟齬を解消する。穴を掘る者は両者の会話の中に、敏感に反応する部分があったのか勢いよく首を動かした。その激しい動作で被っていたフードが舞い上がり、素顔があらわになるのだが、その顔面にあるのは……。


「……ハートのスート」


頬に小さく、黒色のハートのスートがあった。


自分は穴を掘る者を凝視しながらほぼ確信的に思うのは、この人はナイトレイブンカレッジ、ハーツラビュル寮の生徒。「青白い馬に乗って、棺桶から目覚めた」と云う発言の意図と意味は、入学式前馬車に乗って連れられ、学園内の棺桶から起き上がったと云う入学式のことを指しているのだろうと思われた。


見慣れたスートを見て自分は多少後ろによろめきながら、生徒が「裏の世界」にいる事実に愕然としながら、穴を掘る者の顔を眺めていたのだが、その顔を見るにつれて……見れば見るほどに思うのは、一人の親しい友人の顔。自分は最悪の想定をしながら、「どうか外れてくれ」と思いながらも、真実を確かめずにはいられなかった。


「あなたの、お名前は……?」


ごくりと生唾を呑む。


緊張のあまりグリムを抱きかかえる手に力がこもる。


「……トラッポラ」


「――――」


……その時、自分は悲愴さのあまり泣き出しそうな表情になっていたものだろう。どうして同じ苗字なのだと思いながら、天地がひっくり返るような衝撃を受けていた。名を告げられる前、グリムを強く触れており痛みの講義を受けていたのだが、「トラッポラ」の名前が告げられると同時に、自分と同様その動きが止まったのである。


「ど――どうして、こんなところにいるのですか?」


これは事故ではなく、偶然だ。


人為的な事故ではなく、何者かの意思によって世界の裏側に閉じ込められたのではなく、偶発的な事故により、ここに至ってしまったのだと……そう云ってくれ。


願いのような……祈りの感情が出る。


だが、しかし……。


「ここへ、来た理由……デイジー、デイジー……俺は名前をかけなかった……百年の呪い……あれほど刷り込まされた授業を忘れて、名前を書けなかったから、ここに閉ざされたんだ。デイジー、デイジ~、おかしくなりそうだ」


エースには兄がいると聞いたことがある。


聞けば音信不通で卒業後、一度も顔を合わせたことがないらしい。


自分は穴を掘る者を眺めながら、この状態をどうしたら良いものかと……背筋に嫌な汗が流れ、手の指先が冷たくなっていく感覚を覚えながら、これだけは誓った。今、自分たちも裏の世界から表の世界へ……元の場所に戻れる保証はない。


だから、希望を抱かせないよう……残酷な可能性を見せないように、夢を抱かせないように「エース・トラッポラ」の情報を押し込んで黙り込むことにしたのである。確実に兄だとその情報が確定したわけではないが、ほぼ……と云えるほどに可能性が高いのだ。もしも、云えば狂う。外の世界へ出ようと穴を掘り続ける者が親族……現在在学中の兄弟の名を聞けば、狂気に堕ちる。どうかそれだけは、避けなければならない。云えばきっと廃人になるだろうから。


「……トラッポラさん、確かにナイトレイブンカレッジ入学時、棺桶から目覚めました」


ジャミルは、幾つもの穴……棺桶を設置する前の長方形の素朴な穴を眺めながら云う。


「聞いたところによると、ここは裏の世界。穴を掘っても元の世界には戻れないと思います。別の方法を一緒に探しませんか?」


その作業は無意味だ。


非常に遠回しかつソフトにジャミルは云うのだが、穴を掘る者はシャベルの柄を手にして穴を掘り始める。ザクザクと地面がえぐれる音を響かせながら、彼は作業に戻ったのであった。寡黙な労働作業……それは真実から目を背ける逃避行為であった。


再び墓標作りの作業に熱中していく、彼。その様子にどうしたらいいのだろうと皆が無言で視線を合わせた時、「墓から来たのなら、墓を作ってそこから戻ればいい。彼は彼なりの理屈で動いているのだよ」と聞き覚えのある声が聞こえて来た。見れば、博物館で見た一本の剣が垂直に石畳の道の中央に浮かんでいた。


「ふな! お前、ついてきたのか!」


ぎょっとした様子でグリムが声を上げる。皆も意外な登場人(?)物に驚いていると、剣はスー……と静かに自分の方に近寄って来た。その時に、非常に僅かにではあるが、ペタペタと素足で地面を歩くような足音が聞こえたのは気の所為だろうか。まるで不可視の存在が剣を垂直に持って、ここに来たのかのような……そのような考えが、脳裏を掠める。


「私の再来が本当に意外なようだね? でも、ちょっと気になることがあって、戻ってきたのだけれど……キミ、何か持っているだろう」


グリムが再び自分の足元に抱き着く。ふわふわとした体毛を感じながら、「スマホぐらいしか持っていませんけど」と、自身に向けて話しかけているのだろうと思いながら答える。剣は「いいや」と自分の返事にやんわり答えた。もしも、目視可能な人体が剣を所有しているのなら、恐らく首を左右に振っていたことだろう。


「君は魔法が使えない。魔力のない……破壊する者の種子を宿さない人間だ。そうしてきっとこの世界ではありえない、特別な……」


剣なりの気遣いなのか、「異世界から来た人間」だとは直接言葉にしなかった。


「私は自身の形さえ忘れてしまったほど、記憶力の危うい存在であるが、『物』であるがゆえに、そういったことには敏感でね……特に武器に対して、私より優秀な物があれば思わず嫉妬さえしてしまうほどだよ。そんな物より私を使いたまえ! ってね」


話が逸れたが……。


閑話休題。


剣は少しの間、沈黙した後、自分に向き直り続けるのであった。


「……ともかく、君は何か特別な物を持っている。所持している。すまほ? と云ったがそれ以外に何か特別なものがないか、持ち物を再確認したまえよ。身を改めるとまでは云わないが、再確認と云った作業は思っているよりも重要だったりするんだよ」


「えっと、何かあったかな……」


自分は剣に促される形で、自身の所持品を検めて顧みることにした。所持している品は学園長から渡された誰にも繋がらない電話、適度な金額の入った財布……そして……。


「――ゴーストカメラ」


自分は過去……もうそれこそ最初期に渡され、中々使用する機械がなかったがゆえに忘却の彼方に行きそうになりかけていた、物品を取り出すのであった。剣はゴーストカメラを見た瞬間、「あるじゃないか!」と云いながら僅かに跳ねた。剣が上下し、ジャンプらしき挙動を見せるのである。


「カメラ……映像を、空間を切り取る叡知の結晶だね。カメラが登場する以前、昔の人間は風景や人物を絵筆を使って描く方法でしか、空間を保存することしかできなかった。今から百年ほど前に訪れたと云われる未来の訪問者、現在普及しているであろう『カメラの原型』の所持者がこの世界に現れなかったら、未だにこの文明はあらゆる並行世界に遅れをとった中世時代のままであったことであろう。我々は知恵者が持つカメラを分析し、同じように模造品を創造する。その中で水銀の蒸発に中てられ失明した者などがいたが……そこは割愛。いずれ技術のプロフェッショナルが明かす情報だろうから、詳しくは述べないさ」


「はあ……」


自分はゴーストカメラを見る。学園長曰く、記憶の断片を写し出すことが出来る魔法のカメラだと云う。映像が動くといったこともあるらしく、その時デュースは心霊写真じゃないかと騒いでいたが、一体全体このカメラがこの裏の世界においてどういった役割を持っているのか、そもそも役に立つのだろうかと考えを深くさせる。


「ゴーストカメラといったね。それは歴史上、はじめて知恵者の持つカメラから複製製造できたレプリカだ。だが、完全再現とまではいかないが、よくできた魔道具であると私は思うよ」


「あの……これが、一体全体どうしたと云うのですか?」


「ああ、疑問があるようだね……だが、ひとまずはレンズを覗いてみたまえ。ここは平面の世界だ。カメラは空間を切り取り、保存する物である。形どって手に取ることの出来ない二次元を、三次元へ落とし込めることが可能な技術の結晶。平面を立体的に……裏の世界において、効果はあるだろう」


でも、あくまで覗いてみるだけ。何が起こるのか分からないから、不用意にシャッターは切らないように……。


剣は静かにそう忠告しながら、自分は恐る恐るポラロイドカメラのレンズの覗き穴に顔を接近させた。まるで仮面を被るようにカメラを顔面に被せて二次元の世界を見渡したのだが、一瞥して数秒後、恐怖のあまりカメラを落とした。硬質な音を響かせて石畳の上にゴーストカメラが転がる中、自分が見た光景は正気のものなのかと思わず疑いをかける。無意識の内であるが、呼気が早まっていた。


「おい、どうしたんだ監督生。カメラ越しに何を見た?」


「ジャミルさん!?」


瞠目し呆然としてる中、気付かぬうちにジャミルが地に落としたゴーストカメラを手にして先程の自分と同じように、レンズ越しに2Dの世界を覗き込んでいた。先程直視した光景が真実のものであるのか未だ信じられない自分はやめるように、制止の手を伸ばすのであったのだが、それは空振りに終わる。正確にはレンズ越しに何かを見るのを、止めることが出来なかったのであった。


「な、んだ……これは……!?」


身震いしながら、震えた声を出すジャミル。それもそのはずであろう、何せカメラ越しでようやく見えることのできる、裏の世界の真実は恐怖の再現そのものであるのだから。


ジャミルは身体に纏わり付いた蟲を払うような仕草で、身体をサッと払う。カメラの覗き穴を凝視したまま、慌てながらよろめき後方に下がる。その時、その動作があまりにも激しいものであったがゆえに、付近に立っていたカリムにぶつかってしまった。


ジャミルはカメラ越しに見た『者』とぶつかってしまったのではないかと思いながら、ほぼ恐慌状態のまま振り返り、カリムの方向に向き直る。彼はジャミルがぶつかった衝撃で……その行動は予想外の衝撃であったが為に、簡単に身体が倒れ、そのまま重力の流れに従い墓穴の中に落ちていくのであった。


「ジャミルさん、もう見ないで! 見てはいけません! 多分見てはいけないものがそこら辺にいるのだと思います!」


自分は穴に落ちたカリムを気にかけるより先に、人が落ちた墓穴を未だカメラ越しに見ているジャミルの手から、半ば強引にゴーストカメラを奪った。そうして、元の正常……と云えるのか分からないが、モノクロの色合いを見せる平面世界の視界の中、ジャミルは背中から穴に落ちたカリムを見詰めるのであった。緊張のあまりごくりと生唾を呑みながら、落ちた様子を凝視する。顎からやたらと濃度を有する汗が滴りながら、ポタリと地面に落ちた。


「見えただろう?」


剣はそう云いながら、『何か』を薙ぐように切り裂いた。ペタペタと足音を響かせながら動く様子は、カメラ越しに見えた風景がレンズを有さなくても剣には常時見えているのか、障害物を避けて移動するかのような……ジクザグかつ不規則に直進するのであった。


「見え……ました。見てしまいました……辛うじて『目が合う』ことはありませんでしたが、あなたはいつもあの風景が見えていると云うのですか!?」


「ハッハッハ。私のことは気にしなくてもいいよ? そんなことより、墓穴に落ちた友人を救出しなさい。その穴は渾身の願いと力で掘られたものだ。ひとつひとつが力作なのさ。だから、こんな縁起でもない場所で演技でもない真似をしていると、まさに洒落にならない。実現したら、どうなるか。穴に落ちるということは、境界を超えるのと同義である。最悪、取り込まれるだろうね」


カメラ越しに、平面世界の真実を見たのだが忘れようにも忘れられない光景ゆえ、焦りを一押しするかのような剣の言葉を受けて、自分は急いで穴へと向かった。カリムの落ちた墓穴へ手を伸ばすのだが、彼は目を見開いたまま固まっている。まるで、死後硬直のように……。


「カリムさん反応して! 手を伸ばして! ジャミルさんも手伝ってください!」


「おい、どうしたんだゾ、ジャミル! それに子分も何を見たんだ?」


「いるんだよ、アレが!」


自分は半ば叫ぶように云った。穴の縁に手を突きながら、カリムの衣服を掴む。握った個所は胸元であるが、まるで気絶したかのような状態の人間を起こし引き上げる際、腕等を引っ張るよりもこちらの方が適切だろうと思っての行動だ。胸倉を引っ張れば上半身が起き上がる。それゆえ穴から出し易いだろうと判断したのであった。


「多分、あそこにも、そこら中にいる! みっちりと隙間なくアレがいる……あの時、ドワーフ鉱山で見たものより酷い状態のナニカ……最早、インクを頭から被っているんじゃない……黒い液体そのもの……泥状の液体になって周囲で蠢ている!」


デイジー、デイジー……気が狂いそうだよ。


ああ、穴を掘る者の狂った調子の壊れたレコードのような歌声が響く。自分は本当にその通りだと思いながら、ジャミルに向かって「手を貸してください!」と大声を出した。彼は未だ……先程見たものが正気の沙汰ではありえない、狂気を凝縮化した風景に心が奪われているのか……それとも目を開いたまま墓穴で横たわるカリムを見て何か思うところがあるのか分からないが、嫌な印象を与える笑み……半笑いのまま直立していたのである。


「ジャミルさん!?」


まさか、真実の光景に心を失った?


自分はカメラ越しに見た……まるでオーバーブロット化した成れの果てのものが蠢ている様子……無数にいた黒い泥と目が合ったのではないかと思うのである。


自分は今、二人の人間の正気の命綱を持っている状態だった。ジャミルは成れの果ての者を見たショック……カリムは境界なる墓穴に落ち気絶した不吉の再演……そのどちらを、救出を優先させるべきかと思った矢先、ハッと息を呑む声が聞こえた。


その呼気の音は水中に足を引きずられもがくことで漸く水上に顔を出し酸素を吸い込むことが出来たかのような……悪夢から目覚めたかの如く……覚醒の息吹であった。カリムは焦点の定まらない虚ろになりかけていた目を正気に戻させ、まるで「もう大丈夫」と云わんばかりに自分の腕を掴む。


穴の中で湿り気のある土……まるでカメラ越しに見た泥が自ら濡らしたかのような柔らかい土を踏みながら立ち上がり、墓穴から這い出る。穴から出た直後、カリムはジャミル同様、まるで蟲を追い払うような仕草で身体中を綺麗にするかのような動きをする。土ではなく穢れを払うように執拗に肉体をはたいた後、嫌悪感で身震いするのであった。


「あー、死んだかと思った。穴に落ちた一瞬、あの世にでも逝ったのかと……」


「カリムさん、比喩表現……例えでも、今はそういったことは……」


「……すまない、監督生。よく覚えてないが……防衛反応が働いたのか分からないが、あまり覚えていない。だが、チラっと見たぜ。恐らくお前がカメラ越しに見た風景と似たような……いや、それよりも深いものだったんだろう。インクのような黒い泥状の液の中に顔を突っ込んだみたいな、息苦しさがあった。アレはダメだ。見るだけで正気を失う。もしも目が合ったらと考えたら……」


二次元の町、ロストタウン……裏の世界の真実を見たジャミルの狼狽に巻き込まれる形で、カリムは墓穴の中にへと落ちた。穴の土は『泥のようにやたらと湿っている』がゆえに、打ち所が悪かったから気絶したのではなく、恐らくカリムは穴に落ちた拍子に何かを見た……墓穴たる境界線を越えた先で、何かに『顔を埋めた』のであろう。真実の世界の住民、肉眼ではそう易々とみることのできないミッチリと犇めいた何かに正面衝突したのだと思う。


剣は「縁起でもない場所で演技でもない真似をしていると」と述べていたが、墓穴に落ちたことが世界を見通す起点となり、カリムはゴーストカメラを使わなくても世界の真相を知ってしまったのだろう。そして自然と思うのは、深淵を見る者は……等といった俗諺の如く、こちらが気付いたことにあちらも気付いた。レンズ越しに見たオーバーブロットの成れの果てが蠢くこの町、世界において自分らが知覚したと同時に、あちらも知覚した。気付いたことに気付かれた。そうでなければ、自身がカメラから目を離す刹那前、『まるで身体を折り曲げて覗き込む』ような行動を起こさなかったはずである。


自分は、覗き穴を見たら黒い物しか見えなかった……覗き穴から見えたその黒い物の正体は瞳であったと云う……都市伝説たるホラーストーリーを思い出しながら、ジャミルを見る。未だ、嫌な感じの半笑いを浮かべているが、正気を保っている。辛うじて、正気を維持しているように見える。


ギリギリの状態。


端的に述べれば、穴を掘る者のように些細な衝撃で、狂気に走りそうな気配があった。


「そう……『死んだかと思った』……ね」


ジャミルはカリムの言葉を鸚鵡返しする。反芻する声は震えていた。恐怖ではなく、喜びに。


「ハ、ハハハハ……アハハハハ……裏の世界、廃棄場……殺人……。隠れ場所……」


「お、おい――ジャミル、どうしたんだ……」


まさかお前、目が合ったのか。


と……カリムが問いながら触れようとした矢先、ジャミルは飛びのく。恐怖による敏感な怯えではなく、明確な拒絶反応であった。彼の顔にはもう、嫌な印象を与える半笑いの表情はない。上がっていた口角は固く一文字に結ばれており、嫌悪そのものが露出していたのであった。


「ジャミル……?」


カリムの何かを確かめるような言葉。様子を窺う言の葉。続いて慎重に、繊細に接しようとした矢先、ジャミルは弾かれたようにロストタウンを走り出す。まるで逃げ出すかのように、裏の世界をあてもなく走り出すのであった。


「おい、ジャミル! どうしたって云うんだ、一体……!」


「中てられたようだね」


中てられた。


自分はその一声で、カメラから目を離す刹那、こちらを覗き込もうと身体を折り曲げる黒い泥の成れの果てを思い出す。あのままコンマ一秒でも遅れていたら、目が合っていたことであろう。


「今、君たちが見た黒い泥のようなものは、ナイトレイブンカレッジの卒業生、もしくは留年生……裏の世界に閉じ込められ、狂気に走った成れの果てさ。そして案の定、想定通りオーバーブロットし、蠢くように存在するだけのモノ。自分が何者か忘却した、亡霊みたいなものさ」


「そつぎょうせい……」


今回ばかりは剣の云う言葉が素直に呑み込められなかった。水か何か潤滑油が必要だと思いながら、トラッポラと名乗った穴を掘る者の作業音を耳にする。調子の狂った歌声が相も変わらず聞こえてくる。剣の云う言葉が本当なら、いずれあの者も同じように……。


「そう、卒業生。裏の世界の使われ方の一つの中に、こういったものがある。ナイトレイブンカレッジにおいて、魔法士の中で将来『オーバーブロットする可能性が高い者を隔離』した空間。たまに在学中の生徒が来ることもあるけどね」


無事に学校を卒業したとしても、いずれかの地で魔法士の暴走が起きては困る。だから、その災厄の芽をあらかじめ摘むように、生徒は卒業したと同時に裏の世界に閉じ込められる。


自分は剣からそう聞いて、穴を掘る者がどうしてここにいるのかと……エースの兄である可能性が著しく高い人がどうして音信不通になったのか、それを認知するのであった。


「魔法士が学園で数年後、暴走しないように押さえつける必要がある。獣を制御してきた。普段は暗号化されているが、君たちが受けている授業の教科書、そして筆記テストには隠された行動制限のまじないが施されているんだよ」


暗号化された、おまじない。


百年間、洗礼された呪い。


それは、魔法士の精神を安定化させる洗脳のような刷り込みであり、精神安定剤と同様のものだと、剣は補足情報を付け足した。


「そのまじないの効果は、精神の均衡を保つものだがその他に、魔法が使えないものに魔法を行使しない。危険思想を持たない……などといった基本的な素行行動の強固な刷り込みも込められている」


剣は云う。


「裏の世界は、廃棄場。世界……学園長からすれば『世間』か……不都合なものが押し付けられるゴミ捨て場。彼が教師になってから約百年間、在学の生徒がオーバーブロットした事件が数件ほど起きた。だが、留年と云う形で一時的に堕ちた者を隔離し、元の安定した状態に戻らなければそのまま裏の世界へ直行し、秘匿する。そして日常生活を続けるのさ。幽閉したことを隠してね」


オーバーブロット。


魔法士の堕ちた姿。


獣性をむき出しにした、黒い本性。


自分はいくつかその現場を目撃してきた。そうして事件終了後、学園から出された処罰は、保留の如き、『謹慎処分』。普通の教育機関なら殺人未遂の事件を起こしているというのに、『退学者』は出ていない。そして、話にも聞いたことがなかった。


「ふふ……きみは何かを察知したようだね。先回りするように云っておくけど、この百年間、ナイトレイブンカレッジはただの一人も退学者を出してはいない。率直に述べると、退学するよりも前に裏の世界へ閉じ込められるのだから。そうさね……例えるならここは、留年者の吹き溜まりと表現してもよさそうだ」


自分は剣の云うことが半分も理解できないまま、場違いにも思ったのはレオナのことである。


彼はやたらと『留年者』と思われたがるのを嫌がっていた。


「さて、留年者の吹き溜まり。オーバーブロットの成れの果て……その姿を、正気をかき乱す獣を見て、ジャミル君はどうしたのか。私の推察するところ、彼には英雄的素質は全くない。暗がりの才能を研ぎ澄ましているばかり。日当たりの悪い才覚を伸ばしているようだ。そんな彼が――ジャミル君が、成れの果てを見て中てられた。悪影響を受けた。きっとその黒い魅力は、饒舌に尽くしがたいほど甘美であることだろう」


「つまり?」


カリムは剣の言葉を促す。


今、想定される最悪の事態を否定欲しい……そんな懇願を込めて……。


「魅惑に引きずりこまれて、同化するだろう。些細なキッカケで悲惨な顛末におちる。このまま放っておけば、君たちは友人を永遠にこの場に置き去りにしなくてはならない」


その言葉の意味は、わざわざ再確認、裏どりするまでもなく直ぐに知れた。今回ばかりは素直に呑み込めた。


「ジャミルくんは、このままだとオーバーブロットする。その一言に尽きるね」


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