ロストタウンの囁き-2
ホリデー、冬季休暇当日。
場所は、闇の鏡がある大広間。自分たちは各々の寮生たちが、長期休暇のため荷物を手にしながら帰っていく様子を眺めていた。自分はこの世界においては、完全なる異物。もしかしたらグリムには帰るべき場所があるのではないかと学園長に訊ねたが、該当する故郷らしい故郷はないと述べられ、二人共々ナイトレイブンカレッジに居座ることが決定された。長期休暇に入ると、普段は賑やかしいメインストリートや大食堂が静かになることが予想されつつ、その茫漠に思うところがあった。
この間、グリム以外誰とも会えないのか……もしかしたら最悪、誰も帰ってこないのではないかと悪い想像を深めたところで、いつもの……安易には信用ならぬ人物の声が闇の鏡の間の中で響いていた。声の発信部を見ると、『いかにもバカンスを楽しんでござい』と云わんばかりの学園長がいる。その容姿はどうしても素顔を晒したくないのかいつもの仮面に、ミスマッチしたハイビスカスのアロハシャツ。大方、寒さを嫌って暖かいところで休日を楽しむと云う魂胆だろう。年月のほとんどを学園で過ごしている生徒の中でも、頭ひとつ抜きんでて浮かれていた。
……ムカつく。
自分は正直な感想を胸中で吐露しながら、闇の鏡の前に立った学園長を凝視する。彼は待望の休みを我慢できないウキウキな様子でワープ装置の役割を持つ、闇の鏡に生徒たちを順番通りに通過させていくのであった。
「さあ、皆さん列に並んで規則正しく。普段は隔絶された島ですが、一時的に結界にわずかな隙間たる通り道を作って皆さまを帰しているのです。転送中、荷物を手放さないように。ロストタウンに逆戻りしちゃいますよ~」
最早、その浮かれた声と姿に清々しさに笑いさえ出るほどだ。自分は……果たしてこの人は本当に自分が元の世界に戻るために働いてくれているのだろうかと視線を外したとこで、リドルとトレイに声がかけられる。
久しぶりの再会に挨拶を交わし終えると、リドルの手に紙袋がひとつあることに気付いた。グリムは「おいしそうな匂いなんだゾ~」と食欲旺盛な姿を見せる。グリムの言葉を向けられたルドルは「これかい?」と紙袋を持ち上げ、中に何が入っているのかを教えてくれた。
「この中に入っているのは、バタースコッチシナモンパイ。トレイと一緒になって作ったんだ。母さんにあげるために、ね」
リドルが意味深は口調でそう云うと、トレイは「ここ一か月、休みを見付けてはパイ作りの練習をしたんだぞ」と述べる。詳しく話を聞けば、リドルは母親とちゃんと話し合いをするための茶菓子としてパイの下準備を積んでいたことが知らされる。
「恐らく母さんは、『こんなもの作っていいだなんて決めてないんだけどな』と云うと思う……食べることすらしないだろうけど喧嘩覚悟で帰省するつもりだよ、僕は。暴力沙汰も辞さない。勿論、近所からの通報もね」
「お母さんの云い分……作っていいことを決めてないだなんて、まるではじめて会った時のリドルみたい……」
「それは、ハハ……」リドルの目線が彷徨う。完全に目が泳いでいた。「おや、監督生……きみ……タイが曲がっているじゃないか。いくら寮生の少ない監督生とは云えども、身嗜みはちゃんとしておかないと」
以前のリドルみたいだ。
その言及から完全に誤魔化すためにリドルは慣れた手つきで自分のネクタイを締め直すが、彼の母親については深く突っ込むのは野暮だろうと判断して、それ以上何も云うことはなかった。詳しくは分からないがリドルは彼なりの方法で、母親の呪縛から逃れようとしているのだろう。その奮闘は好ましい。
「ねえ……トレイ、僕の判断は間違ってはいないよね」
――と、突如話がふられたトレイ。これまでパイ作りの協力をし、母親とどういったやり取りをするのか自分よりも詳細に知っているだろう彼は、「ああ」と笑う。問いかけられた時、一瞬だけ目を丸くしたものの、たとえ親子喧嘩による最悪の結果を迎えようともリドルは間違っていないと背中を押す友達の姿があった。
「いつものリドルなら、正解の正否について尋ねることはない。自分はいつも正しいと思い判断して独断行動を起こす。判断が間違っていないかそう聞くこと自体、成長した証だと俺は思うぞ」
「……。ありがとうトレイ。もしかしたら、家を追い出されて世話になるかもしれないけど」
「学生の家出なんてありふれたものだろう。遅れてやってきた反抗期と云うやつだ。追い出されても……俺の家でイチゴタルトを焼いて待ってるぞ」
リドルとケイトは朗らかに笑い合いながら、闇の鏡に近付いていく。確か二人の故郷は同じ場所だったなと思いながら、自分に向けて手を振りワープ装置たる闇の鏡の中に入っていく二人を見送るのであった。
「進展があるといいね、グリム」
「親子喧嘩……親か~。俺様の親は――」
親について思慕を伸ばした所でグリムは若干ノイズのような頭痛が走る。顔が一瞬顰められた。
「まあいいか。俺様はどう足掻こうが俺様なんだし」
グリムは頭痛を振り払うため、かぶりを振る。ぶるぶると身震いする動作は、身体を洗う為に全身を濡らされた犬のようであった。
「おい、草食動物」
グリムの動きを見守っていると、聞いたことのある低い声が投げかけられる。見れば大量の荷物を手にしたラギーと、それとは正反対に非常に身軽な恰好をしたレオナの二人が大股で近付いてきていた。
「うわ、ラギーさん……大荷物ですね」
「ああ、これっスか」ラギーはシシシと笑う。「消費期限間近の品を購買と食堂で大量に貰ってきたんッスよ。近所の子供にあげるつもりだから、これでも足りないぐらいなんっスけどねえ」
「猫のポケットが欲しいところだね」
「? なんっスかソレ。監督生さんの故郷の諺?」
「ああ、いやそんなんじゃなくて」話題をそらす。「……ラギーに反してレオナさんは本当身軽。スマホか携帯ぐらいしか持って帰るつもりしかないな」
一応、ナイトレイブンカレッジは学園なので長期休暇中の課題や宿題を出しているのだが、それすら持って帰ろうとしないのは、もはや開き直った怠慢である。元々勉学に勤しむつもりがないことがその軽装で分かった。
「ハッ、くだらねえ。今更、勉強だなんて馬鹿らしいことに時間を割けるかよ」
「勉強しないから馬鹿になるのでは……」
「減らず口を叩くなよ草食動物。俺は国でやるべきことの為に下準備をしなくちゃならねえ。その為に勉強だなんて……一応、一国のオウジサマだからな俺は。宿題免除はすでに教師から許可を得ている。大事の前の小事って奴だ。個人の勉学より、政の方が重要。それこそ馬鹿でも分かるって奴だ」
「わあ、権力の行使だ。一教師に国家権力を使ってる。大人げない」
「本当にお前は煩いな。俺のことに構うより、ちゃんと元の世界に戻るための方法を探しな。あの浮かれポンチ……クロウリーは何もしてくれねえと思うぞ」
出来ることがあるのなら自力でやれ。
レオナはそう云ったかと思うと闇の鏡を通過する。自分はレオナに「自分は異世界人で元の世界に戻るために奮闘している」と告げたことがあっただろうかと思いながら、引き留めるため……尻尾を掴もうと、慌てて手を伸ばすが揺らめく尻尾の先端に触れることすらも出来なかった。
自分は異世界人である。
このことを教えたのは信頼のある友達、エースとデュースの二人に教えた記憶があるのだが……。
「それじゃ、監督生さん長い間お暇します。前回の期末試験で赤点取った生徒がいくらか残っていると思うから、そう淋しいもんじゃないと思いますよ」
「え……淋しいって……」
どうしてわかるのか。
そう口に出す前に、「だってあんた近所の悪ガキと同じっスよ」ラギーは云う。
「長期休暇が明けて、学園に戻る時の近所の子供たちの態度にそっくりっス。ああ……態度と云うより雰囲気の方が近いんですけどね。ともかく、休みが明けたらバイト仲間になると思うんで同僚としてよろしくお願いしますよ」
「えっ、それって……」
「廃棄品を貰う時に、サムさんの店で働く店でバイトすることに決めたんっスよ。そこなら監督生さんは先輩になりますね」
ラギーは大荷物を重たそうに抱えながら、重力を感じさせない身軽な動作でヒョイと闇の鏡の中に入っていった。取り残された自分は、学園に帰ってくると約束した事実……よりもバイト仲間が増える嬉しさに自然と口角を上げていると、エースとデュースの二人が声を掛けに来た。二人の荷物は平均的……ラギーのように多くはなく、レオナのように少なすぎるわけではない普通の量であった。
「おい、監督生。これから間もなく僕たちは帰省するのだが、本当にこのまま学園に居残って大丈夫か? 僕の家に来てもいいんだぞ」
デュースは非常に心配そうな口調で云う。
自分はホリデー前に「帰るところがオンボロ寮しかない」と告げた時、デュースが秒を待たず自宅への招待することを宣言した。デュース本人に悪い印象どころか、良い友達として認識している。だからこそ安易に一緒に帰省することを断ってしまったのだが、彼としては心残りがあるのか、再度の勧誘の言葉をかけてくるのである。
気持ちは有難かった。
「うん、デュース。本当にありがとう。でも気持ちだけ、受け取っておくよ」
二、三日の外泊ではないのだ。
数十日以上の寝泊りは、彼の母親の負担になるだろう。
「まあ期末試験で赤点とった生徒もいくらかいるみたいだし、そんなに心配しなくても大丈夫なんじゃない。いざとなれば監督生は、町に降りて過ごすって云う手もあるしな」
「町ってあれだよね。賢者の島……ナイトレイブンカレッジとロイヤルソードアカデミーの中間に位置している町、ロストタウン。どんなところなのだろう」
ロストタウンの説明については、過去、居残り授業で軽く……名前に触れる程度ではあるが学園長の口から教えてもらっていた。町に行くには許可が必要らしいのだが、一体どういった町なのか非常に気になるところではある。
「ロストタウンね~。町に行ってみようと思っても、購買でほぼ何でも揃うからな。行ったことはない……」
それに一々許可を得るのが面倒だしと、エース。
「ロストタウンは観光地として有名と云うわけではなさそうだからな。僕もどういったところなのか分からない。移民を受け入れているとか何とか……あとは百年戦争に纏わる博物館があるぐらいしか知らないな。二年生になると来館するとか……勉強の一環で」
あと町の住民に卒業生も混ざっているらしいと、デュース。
「学校卒業してもこの島に居残り続けるなんて底抜け学校好きか。信じらんね~。俺の感覚ではそう云うのはないね。むしろ離れたい」
「卒業生と云えば、エースのお兄さんもナイトレイブンカレッジの卒業生なんだよね。何してるの?」
「さあ? 卒業してから何年も会ってないからな。連絡も寄越さない音信不通。まあ便りがないのは元気な証拠だし、俺は気にしちゃいないけどね」
三人が話し込む中、周囲の喧噪が徐々に小さくなっていく。
もう少し時間が経過しグリムが大欠伸をする頃には、闇の鏡の間には大勢いた生徒の数が半分以下になり、あと一時間もしない内に全員が闇の鏡を通過することが予想された。
「そう云えば……ロストタウンで思い出したんだが、賢者の島では購買でも購入できないリンゴジュースが名産品らしいぞ」
「サムさんのお店でも手に入れられないジュース!? なにそれ……すごい」
自分はグリムにも内緒でバイトしていた日々を思い出す。サムのお店に並んでいる品々は一般的なものから珍妙から珍品といった数々数多の豊富な種類が揃っている。サム曰く「世界にひとつしかない品でも取り寄せ出来る」ことが自慢らしいのだが……。デュースの言葉に驚いていると、記憶力が覚束ないのか難しい顔をしながら云う。
「いや、そのリンゴジュースは非常に美味だかそう物珍しいものではない。ただ、この賢者の島の特産品を作ろうとなった際に農家と取り引きして、ロストタウンにのみ購入可能な名産品を作ったらしい。サムさんが取り寄せようと思えばできるんだろうが、多分意図的にやっていないんだろうな」
町の名産品は村おこしの一環だ。正確には村ではなく、町であるが。
それゆえ意図的に購買で買えないようにしているのかもしれない……と云う話らしかった。
「へえ……名産品のリンゴジュースね。俺もいつか飲んでみたいわ。町でしか飲めないぐらいだから相当味に自信があるんだろうな」
むにゃむにゃ。
グリムはとうに話に飽きて、眠りに入っている。自分が抱き上げるとタイミング良く「残りはお二人さんだけですよ~」と学園長から声が掛かった。二人はその言葉を聞いた瞬間、まるで楽しい時間が終わったかのような……少し名残り惜しそうな表情を浮かべる。
「トラッポラくんに、スペードくん。残りはお二人だけです。ささ……早く鏡の中に入ってお家にお帰りください。ご家族がきっと二人の帰りを楽しみにしていますよ」
「結構粘ったんだけどな……ここまでかぁ」
仕方がない。
エースが荷物を持ち上げてから少しして、「ちょっと、あなた」と声が掛かる。何事かと思い浮かれた調子の学園長を見ると、その手にはスマホが握られていた。
「はい、これを。監督生さん、あなたに」
「スマホじゃん! ケチでいい加減で嘘くさい学園長がなんで!?」
自分が常日頃から学園長に対して抱いていた印象をエースが全部口にした。目前で悪し様に云われた学園長は、むすっとした表情を浮かべながらも一応スマホを渡す説明を行う。
「失礼な。私ほど真摯で親切で心優しい教師はこの世にいないほどですよ。それなのに、ケチでいい加減、嘘くさいだなんて悲しくて涙が出そうです。よよよ~」
「それでスマホを渡した理由はなんですか?」
自分は泣き真似をする学園長を無視した。わざとらしいのではなく、いかにもわざとである演技に付き合う必要はない。
「ああ、それですか。理由は単純です。あなたには保護者がいないでしょう。いざと云う時、何かあったら困りますからね。身の回りで不審な出来事があった、身の危険に及ぶ出来事がありそうだと思ったら、すぐに連絡してください」
ここ最近、あり得ないぐらい物騒ですからね。
……と学園長は非常に小さく、シリアスで低い声で云ったのを聞き逃さなかった。確かにリドル、レオナ、そしてアズールといった三名の魔法士が短期間でオーバーブロットする非常事態が巻き起こっている。リドルとレオナの件は学園長の耳に確実に届いているだろうが、アズールのことは分からない。その理由について……アズールは自己申告すると述べていたが、レオナに止められていたからである。実に曖昧なところだ。
「それに、お友達と連絡が取れないのは淋しいですからね。朝のおはようから、昼のいただきます、夜のおやすみまで頻繁に連絡を取り合うのは不健全ですが、適切な使い方であれば好きなように使ってもらっても構いません」
『――――!』
聞くが早いがエースとデュースは身を乗り出して、「連絡先の交換をしよう!」と大声で叫んだ。二人に圧されがちになりながらスマホを渡すと、二人はすぐさま渡されたスマホに連絡先を入れる。その様子を学園長は「いいお友達ですね~」とどこか呑気に呟くのであった。だがしかし、どこか懐かし気な口調で眩しいものを見ているかのような……。
「……連絡先の交換は終わりましたか? 終わりましたね? それではトラッポラくん、スペードくん、闇の鏡を通ってください。もう開園の時間ですよ」
学園長に促された二人は荷物を持って、闇の鏡の正面に立つ。二人は「またな、監督生」と再会の約束を交わすような言葉を残して、ワープ装置の中に入っていく。自分は寝ているグリムの片手を持ち上げ左右に動かし、消えていく二人の背中を見送ったのである。
「……名残惜しいのは分かりますが、闇の鏡の間を閉めますよ」
「はい、学園長」
自分はグリムを片腕で抱き上げたまま、もう片方の余った手で今しがた連絡先を交換したスマホの画面を見つめるのである。これであの二人と連絡を取るのであれば淋しくないと思いながら、嬉しさのあまり目を細めた。
自分が一足先に闇の間から出、次いで学園長が続く。彼は「パンフレット、パンフレット」と旅行先の情報を入手するために情報紙の存在を求めながら、廊下を歩むのであった。
そして、誰もいなくなった闇の鏡の間。
今までどこに潜んでいたのか……部屋の四隅から数えきれないほどの大量の小蜘蛛が現れ、それらは一斉に闇の鏡の中へと飛び込んだ。無数の小蜘蛛は数十秒もしないうちに消えたのだが、その行く先を知る者は誰もいない。




