救国の獅子‐9
もし俺が長子として生まれていてば、こう云われていただろう。
『第一王子は慈悲深く、我々貧困層のことを第一に考えてくれる』
『あの第二王子は能天気で、王座に胡坐をかいてばかりだ』
……しかし現実は俺が第二王子で、力も何もない。民が抱える苦しみに対して出来ることなんて限られている。ほんの一握り、たった一掴みの恵みは一時的なものでしかなく、全ての解決には至らない。
今日もどこかで、路地裏の観光名所――スラム街の人々は品貧困にあえぎ苦しんでいると云うのに、俺は冠を被ることすら許されないお飾りの王族で、身に纏う上質な衣服はただの虚飾だった。
砂上の楼閣。
全てを砂に変えることが出来る俺にとって、これ以上皮肉な言葉は見付からない。砂は砂でも砂金であるならば、どれほど救われたことだろう。
我が国の現状は、外見だけを繕うことだけに注力された伏魔殿。
どうして、第一王子は……この国一番の責任者は、本当に苦しんでいる者を見て見ぬふりをするのか。蛤が作り出す蜃気楼はハリボテの摩天楼だ。その事実について幻惑だと分かっているだろうに、理由をつけて知らぬ存ぜぬを貫き通す。
その無能さに腹が立つ。
いや、それ以上に自身の無力さに苛立ちが募る。
権力も人脈も金もない俺は、一体どうすれば弱者を救うことが出来る。
どうすれば、その貧しさを癒すことが出来るのだろう……。
『第二王子、市街地の視察ですか?』
国の御目付、従者である一人はそう云う。俺は頷きながら、その従者の同行を許した。
……たしかその時分は、齢十四。
この学園に入学する前の――そして、本当に救済すべき弱者を知ることになる日のことだった。
市街地への視察目的に王宮を出ることは間違いではない。ただその当時、幼く未熟だった俺は第一王子が作り出した表面上の市民たちの様子を見て、何事も問題がないと判断して帰る。いつも通りの視察に終わるはずだった。
毎日、人々は何を食べているのか。
何を見て、何が娯楽として楽しまれているのか。
表面上繕われた市街地を通り、市井の様子を確認する。その時は単なる気紛れで立ち寄った下町の古本屋で古代呪文に関する本を購入した時に、『その声』はかけられた。
『……お兄さん、女はどうです』
下町の古本屋を出た時、上質な衣服を身に纏っていたことから単なる金持ちだと、商人の富豪か何かだと判断され、下品た笑いを出す老婆に引っ張りだされた。暗がりのある路地裏へ連れ込まれていくのだが、第二王子であることさえも知らない無教育――無知さを隠そうともしない年老いた女衒は痘痕を隠すこともなく、『商品』を俺に見せる。
『どれもこれも若い商品が揃っていますよ。金さえ支払ってくれれば、どんなことをしても構いません。食い扶持を稼ぐことすらできない哀れな玩具です。焼くなり煮るなり、どうぞお好きに。へへへ……変態の相手には慣れておりますので』
絶句した。
女衒が商品と紹介する、貧困層の獣人。我が国の住民たちは手足や首に逃げられないように重たい鉄の縛めで押さえつけられている。その瞳には生気や生きる活力というものはなく、ただただ消費されることに慣れ切ったかのような無反応。感情を無くした生きた人形が並べられていたのであった。
『さあ、お前たちお客様の前だよ。媚びるんだ。芋虫! お前は商品の中じゃ一番人気なんだから、愛想良くしないか!』
老婆は手足のない女性の首についた鎖を引っ張り、仰臥していた状態から無理矢理引き起こす。ボロ布さえ身に纏った四肢のないその女性は、ニコリと魂と感情のない形だけの笑みを作った。その仄暗い瞳を見て咄嗟に、口を押える。四肢がないことに吐き気を覚えたのではない。気色悪いと思ったのではない。路地裏の名物――真の貧しさに苦しみ喘ぐ人々の姿を直視して、思わず出そうになった叫び声を抑えたのだ。
『――――っ!』
俺は古本屋から買った古書を落として、その場から逃げだした。狭い路地裏をどう走ったのか分からない。貧しい家屋の壁に手をついて、思わず溢れ出し流れ落ちそうになる涙をこらえていると、服の裾を掴まれた。俺の姿を見失った近衛兵が見付け出したのだと思ったのだが、そうではなかった。振り返るとそこにいたのは、片目を潰された小さな子供が物乞いの為に話しかけてきたのである。
『なにか、ください。なにか、ください』
……とてもではないが、年端もいかぬ子供の云うことではなかった。本来これぐらいの年齢、幼児にほど近い小さな生命が出す言葉は、両親の注意を引く言葉。思わずこちらが微笑みそうになる温かい無邪気さではないのか……。
俺ははじめて訪れるスラム街の洗礼を受け、貧しい家屋から新参者を嘲笑う老人の嗤い声を聞きながら、懐から金を出した。それはほんの少額、小遣い程度の値段であったが、手足は棒のように、そして腹部は餓鬼のように膨らんだ幼児の食事三日分ほど約束された金である。
『たりない、たりない。なにか、ください。なにか、ください』
俺はもう出せないと首を横に振る。対して子供は……本来親の暖かな庇護下にあるべき子供は片目の潰れた顔で見上げながら、物乞いを繰り返し行う。このスラム街の親から学んだのであろう両親の言葉をオウム返ししながら、何度も何度も……。俺にとってそれは、自身の愚かさ。この国の実態を知ろうともせず、上辺だけで満足していたと云う事実を過酷に突きつける苦痛の時間だった。
やがて――どれだけ乞うても何も得ることが出来ないと判断した幼児は、骨の形がはっきり分かるほどの足を動かしながら、近くの家屋に入った。飼育小屋と同等、もしくはそれ以下のボロ屋に戻っていったのであったが、数秒待たずして響く金切り声。
『この程度の金でどうしようってんだい! もっと出来たはずだろう!!』
女性……恐らくは、あの幼児の母親のしわがれた怒鳴り声。罵声を浴びせられた幼児の泣き声が聞こえた。俺は思わず駆け出し、その家屋の中を見る。玄関には扉どころか、布一枚かけられていなかった。
『わざわざ私がお前の片目を潰したと云うのに、この役立たず! お前には哀れさが足りないんだ! 恵まれた無知な馬鹿共から可哀想だと思われて金を貰うには、憐れみが足りないんだ!!』
母親は感情を爆発させながら、包丁を取り出す。突き飛ばされたのか地面に倒れた我が子の腹部を踏みつけていた。幼児はもう泣いていない。その顔は絶望を通り越した諦観があり、身動ぎすることなく無抵抗でその先の未来を受け止めていた。ただ名残りとして涙の粒が地に落ちているだけだった。
……片目を潰したと云った。恐らく、あの子は二度目の経験をすることになるのだろう。
母親は一切躊躇することなく、包丁を我が子へと振り下ろした。それは、飢えによりか細くなった片腕を切り落とそうとする一撃だ。包丁自体はどこの家庭にもある普通程度の調理器具。むしろ錆び付き欠けた刃でまともにモノを切ることは出来ないだろうが、大人の力で何度も何度も振りかざせば、脆い骨を持つ腕の一本ぐらいは切断することが出来るかもしれない。
『やめろ――――!』
俺は叫んだ。
片腕を伸ばして、凶行を阻止しようと身を乗り出していた。
……その後のことは、よく覚えていない。
ただ、どうにか自力で路地裏のスラム街から出て、近衛兵と同行し王宮に帰り、水浴びをしながら何度も何度も考えるのは、一連の出来事。
四肢を無くした女性。空虚な微笑み。
この国ではおよそ百年間、戦争は行われていない。それなのに自身の歳と変わらない女性の両手足がない理由は、あの片目を潰された子供のように人為的に行われた……。
恐らく、彼女だけではない。そして、あの幼児だけではない。
肉体の欠損は――同情を誘い、物乞う姿に変えられた人間の数はもっとある。もっといるはずだ。
スラムの洗礼を受け新参者を嘲笑う老人の笑い声が頭の中で反響しながら、俺はその事実を……真相を認めたのだ。
『……兄貴、スラム街のことで話がある』
それから数日後、表面上の政の会議を終えたチャンスを狙って第一王子に話しかけた。俺は詳細に路地裏でどのようなことがあり問題としてあるのか語ったが、国の責任者から出された言葉は――。
『……勿論、スラム街でのことは知っている。俺も解決しようと考えてはいる。だがな、議員の中に利用者がいるんだ。悪趣味とはいえ風俗の利用なんて誰でもやる。奸臣として糾弾しようにしても、少し理由が弱い。それに度し難いことに優秀な奴ほど……。お前は知らないだろうが、この国にはしがらみが多い。王族とは云ってもな、思ったよりも身動きが取れるようなものじゃないんだ』
第一王子は第二王子のように直接市街地を視察することはできない。スラム街なんて到底足を踏み込むことはできず、報告として知らされるのは、さして闇や問題を抱えていない充実した生活を送る裕福層の現状だ。
兄は云う。
『俺は立場的にスラム街の現状を、議題の中で取り上げることは出来ない。だが第二王子……直接路地裏の現場を見た身軽な立場のお前が提議するなら、話は変わるだろうよ』
『なら、すぐにでも――』
『国の会議は税金で成り立っている』兄は云う。『貧困に苦しむ人を救う話し合いには、議員以外の人間、来客を招くために金が必要となる。賓客を招くために遠方から客人を持て成す為に宿泊施設の手配、食事、交通費など金はどこから出るものだと思う?』
『なんだよ、それ……』
俺は茫然としながら呟いた。
兄貴の云わんとすることを一早く察知して、震えた声で云うのである。
『貧しい人を救うには、更なる血税が必要だって云うのかよ! 貧困層が一番望む金を巻き上げ、苦しめて追い詰める必要があるって云うのか!? 一番救いたい民を苦しめる重税を行わないとどうすることも出来ないってか……なんだよそれ……ふざけんじゃねえ!!』
『だが、それが現実だ。どれだけ安く見積もっても、一度の会議で百万マドル程度の金が必要になる』
俺は第二王子、第一王子ほどの権力や力はない。
それ以前にまだ会議に参加できるほどの年齢に達してはいない。
未成年。
早急な解決が望まれていると云うのに、時間が必要だと云う。貧困層の問題を直接会議に出せる立場の俺が成人するまでの間に、一体どれほどの苦痛が募るのだろう。
無力。
飾りだけの存在。
だがそれでも……些細なことであっても出来ることはあるはずだ。
俺は趣味で集めていた古本や不必要な調度品をすべて売り払い、金を工面した。未成年である俺は国の重要人として会議に参加することは出来ないが、かき集めた金を使ってスラム街で炊き出しを行う。
せめて一時的なしのぎであっても、今晩だけは空腹ではなく満腹の状態で眠ってもらうため……この国はスラム街を救う意思があることを示すために行われた慈善活動であったのだが、そこで行われたのはほぼ暴動と変わらない奪い合い。搾取された者特有の余裕のない行動。結果、まともに配膳することすら叶わなかった。
どうして弱者はこんなにも醜いのだろう。
俺は暴動でなぎ倒された食器の破片を拾いながら、思う。
どうして本当に救いたいものは救われる形をしていないのだろう。
女衒の下品な笑いを思い出す。
どうして俺は、こんなにも無力なのだろう。
金が欲しい。
権力が欲しい。
力が欲しい。
ナイトレイブンガレッジに在学する間にも、その考えは変わらなかった。
俺は横の繋がりを得るため国税でこの学園へ入学したのだが、その税の重みが国民……欠損したスラム街の住人に圧し掛かっていると思うと、夜毎魘された。叫び声と共に飛び起き、意識を奪うのは四肢切断された女性の微笑、そして片目を潰された幼児。
俺は留学しない程度に学業を疎かにさせながら、卒業後、国での立ち回りを意識しながら人脈を広げる。
まず最初に目についたのは、同年のマレウス。俺は懇々と我が国の現状を説明するも、帰って来た答えは、実に妖精らしい悠長なものであった。
その次に、話を持ち掛けたのはカリム。奴は同調してくれたものの、出された答えは俺が望む答えではなかった。非常に能天気で現実味に薄れたものであり、半ば失望したほどだ。
人脈構成は他に目星になりそうな生徒に向けられ、微力ながらも力を得ていく。だがしかし、その程度の力では現状打破からほど遠い、根本から問題を解決するには至らないものであり、第二王子自ら会議を起こすことが出来ないほど微小なものであった。
そんな折、寮長会議でクロウリーから出された提案。
寮対抗マジフト大会に優勝すれば、賞金を授与します。
その金額は丁度、会議一回分の金額に相当する。
たった一度での会議ではスラム街の問題があがった程度で、根本の解決にならないのは確かだろう。だが、外国から来賓を招いて現状を直訴する。俺が成人になるまで待つより、物事を早く取り込めることが可能な下準備となる。物事を盤石に進める為の第一手となる。一度の会議で何もかも解決するわけではないが、その希望に追い縋るのは仕方のないことだった。
千載一遇のチャンス。これ以上ない機会だった。
今学園では想定しない未知の事態が引き起っている。だからこそ、俺はどんな手でも卑怯な真似でもした。
数日安静が必要な怪我……?
そんなもの、恵まれたお前たちからすればどうにでもなることだろう。
肉体が欠損したわけでもあるまいに、軽傷で何をそこまで大騒ぎしている。
俺には、金が必要なんだ。




