救国の獅子‐1
「授業を始めよう。私語は許さん」
基礎的な魔法について教えよう。
クロウリーに続いて居残り授業の担当を行うのは、トレイン先生だった。彼は本来、魔法史の授業を担当しているが歴史の数々だけではなく、魔法の種類、用途、そして魔法によって起きた出来事……それらの範疇も含まれているのか、何も知らない自分に特別授業を行ってくれるのであった。
「……聞いた話によるところ、一人と一匹が授業を受けると聞いていたのだが?」
「グリムはサボリです」
自分は申し訳なさそうに云う。彼はこの世界で有名だというマジカルシフトに夢中になり、学園長の授業と同じくすっぽかしていたのであった。そういうトレイン先生こそいつものように猫を連れていないじゃないかと内心不服を抱くが、彼がいつも授業中教卓の上にのせている長毛種の猫――ルチウスと一緒なのだが、そもそも猫というものはいくら使い魔とは云えども自由奔放で気まぐれな生き物だ。人間如きがその動きを制限してはいけないのである。
「そうか……不真面目な態度は褒められたものじゃないな」
「先生まさか……愛猫を裏切ってグリムを可愛がりたいんじゃ……」
「そういうわけではない。一生徒に対して教師として一般的な意見を述べただけだ。それに他の猫を可愛がる? あり得ない。私語どころか失言だな。気を付けたまえ」
トレイはわずかに眉を顰めた。硬い顔が更に硬く……険しい表情が更に強張ったように感じた。
「扨――雑談はこれまで。魔法について、基礎的な勉強をしよう」
機嫌を害した顔から真面目な顔に一瞬で切り替わったと思うと、トレイン先生はマジカルペンを取り出した。その物質は数度、見たことのある物であった。
「これは、マジカルペンと云う。ナイトレイブンカレッジに入学した皆に配布される、魔法の杖だ。これは魔法の使用が未熟な生徒の魔法に制限をかけている。魔法に使用可能な魔力量を増幅させたり、あるいは過度な魔力量を抑えたりする。分かり易く述べると、制限具にして矯正具と云うわけだ」
ちなみに、普通の万年筆として使用も出来る。トレイン先生は授業中、生徒がノートに筆記する時、マジカルペンを使っていた場面を見たことがあるだろうと述べた。自分は数十度受けた授業内容を思い出しながら、確かに座学中、皆がノートに向かって使っていたことを思い出す。
「マジカルペンには、制御にして矯正具でもある魔法石が万年筆の先端についている。在学中の生徒はペンを杖替わりとして使用しているが、別にペンの形じゃなくても良い。グリムの首輪の魔法石がマジカルペンの代わりになっているように、一部他の生徒も万年筆ではなく他の物質に魔法石を埋め込む改造を施している。校則違反――特に支障がないため、罰則に値するものではない。むしろ、本人が一番使い易い形にしているのだ。杖の形はどんなものだっていい」
「どんなもの……」
「どんなものと云っても、嵩張り、大きな物はさすがに注意する。適度な大きさであれば、文句はないと云うわけだ。逆に小さすぎるのも問題だな。過去に数例、小さく改造した杖を失い、再配布した愚かな生徒がいる。私の記憶する限り知っているのは……名前はたしかトラッポラと云ったか」
まあ、その生徒はすでに卒業しているわけだが。
自分はトラッポラと云う名前を聞いて、卒業しているのならエースの兄だろうかと思った。機会があれば話を聞いてみよう。
「マジカルペン……というよりペンに埋め込まれた魔法石は制御や矯正の役割だけではなく、魔法が巧く実現するようその成功率を上げてくれる。非常に魔法の使用の巧い人は魔法石を必要としていない場合がある」
だが、基本的に自分が魔法士であると証明するために飾りとして持ち歩いてはいる。身分証明証と代わりに所持していると云うわけだと、トレイン先生は云った。
「扨――これまでの話を纏めると、マジカルペンは魔法の出力を上げ、時には過度な魔力を抑え込む制御にして矯正――つまりは、補助道具だ。何か疑問に思ったことはあるか?」
「……あります。マジカルペンに埋め込まれた魔法石の大きさは適度なものが望ましいと云っていましたが、魔法石の大きさが大きければ大きいほど使い勝手の良い物になるんじゃないですか? つまり補助具として大きな効果を発揮する……」
「それは関係ない。ただ本当に嵩張るだけだ。使い勝手の良い……確かに質の良い魔法石があることにはあるが、基本良質な魔法石は魔道具に埋め込まれている。魔導工学の分野では質の良い魔法石が求められているが、人間には……魔法士の杖としては関係のない話だ。結局のところ、魔法の成功、出来の良さと云うのは本人の力量に依存する」
魔道具。
かつて大食堂で永久機関の灯りを灯すシャンデリアを破壊した時に、学園長が「はじめて平和利用された歴史的な遺物」だと述べていたが、その照明器具の中には良質な魔法石が埋め込まれていたのだろうかと推察する。
「……これは与太話になるが、学園長に聞いた話によれば、良質ではなく異質な魔法石を所持していた人物がいたらしい……いや、あれは所持なのか……」
「異質――ですか?」
「百年ほど前、偉大な精神性を有する学寮があった頃の話だ。その当時、魔法石というものは学園から配布されるものではなく自前で揃えていたらしい。その中で異質な魔法石を使う人がいたのだが、その人物は魔法で魂に石を埋め込んだ。詳しくは知らないが……昔は魔法石の適切な大きさが明確に定まっていた時代ではない。大きすぎたのか小さすぎたのかその石のサイズは分からないが……異質な魔法石を魂に癒着させるなんて尋常ならざる出来事だ」
制御装置にして矯正器具を魂と融合させていたのだ。
まともとは思えない……と云う。
「百年も前の出来事だ。その異質な魔法石を使う人物は、妖精でも獣人でもなく、普通の人間。年齢的に考えて、とっくに亡くなられているだろう。ただゴーストとして存在している場合、本来幽霊には使えないユニーク魔法を使えるようになっているかもしれない」
「幽霊……」オンボロ寮だけではなく学園の様々なところにゴーストがいることを思い出す。「幽霊って何なんですか?」
「未練があって現実の世界を楽しんでいる実体だ。ゴーストの実態については実際に死んでみないと分からないな。何せ生者には足を踏み込めない死者の領域の話なのだから。かの有名なスティークスでさえも、分からないことばかりだろう。まああの組織はそもそもオーバーブロットの研究を主題にしているので、管轄外なのだが……」
「あの……そもそも、オーバーブロットとは?」
「あぁ、その説明はまだだったな」
オーバーブロットとは、というトレイン先生。その言葉を聞いて、自分は魔法士が一番陥ってはいけない状態、暴走状態となったリドルのことを思い出していた。
「オーバーブロットとは、魔法士が絶対陥ってはならない状態のことを指す。ブロット化する条件は、過度な魔法の酷使。それだけではなく、日々の些細な小さな魔法でもその疲れが蓄積すると前触れもなくブロット化することさえある」
「それってつまり……魔法士は誰でもブロット化する……と云うことですか。魔法が使えない人間……特別な力が使える代わりに常にリスクを背負っていると云うわけですか?」
「有り体に云えばそうなる。ナイトレイブンカレッジやロイヤルソードアカデミーのように魔法士だけが通う学園が出来る前、魔法士の扱いは悲惨なものだった。何せブロット化する条件や理屈さえわかっていない前時代の話だ。人間扱いされていなかった……獣……動物当然の扱いだ」
自分は言葉を失った。
閉口する自分にトレイン先生は、重たい表情のまま云う。
「昔……魔法士は、魔法が使えると魔女狩りの如く捕縛され、隔離施設に入れられて実験動物と同じ扱いを受けていた。研究内容はオーバーブロットする条件の発見と、ブロット化を阻止する緩和法。凄惨な過去……人権なき時代を隔ててようやく、オーバーブロットする条件やそれを緩和する方法が見付かったと云うわけだ」
「…………」
「健全なる魂は健全なる肉体に宿る。確かにブロット化する条件は魔法士である以上、皆が抱えている問題ではあるが、非道な研究の末、その対策は見付かった。些細な魔法とは云えども、魔力を使用し続ければすれば魂に濁りが生じる。だが、十分な休息と安眠を取れば、その淀みは解消される」
つまり、精神的に不安定にならず、規則正しい生活を送っていればよほどの事がない限りブロット化することはない。
「魔法の使用は自己の魂を削って顕現する事象の改竄だ。もしくは現実を改変した代償として、魂そのものに負荷がかけられる。精神的な安定と、健康的な生活を送っていればそのリスクは最小限なものとる。未だオーバーブロットは未知の領域だが、過度なストレスや不健全な生活を送らない限り、安易に堕落することはない」
魔法養成学校は魔法の上達だけではなく、日々の日常でその術を学ぶ。
ナイトレイブンカレッジは、ブロット化の抑制方法を学習させる養成施設として、非常に優れた学園として高名である。
「……だから、前に述べた異質な魔法石を魂に埋め込んだ者の所業は正気の沙汰ではない。このことを語っていた学園長はドブネズミと嫌悪の声と共に云っていたが、以上の理屈を踏まえると、どれほどおかしいことなのか実感させられるな……」
「魂を削る魔法……」
まさか摩耗した魂の穴を防ぐ代わりに魔法石を埋め込んだのではないだろうかと思っていると、トレイン先生は「次の項目に移るが」と前置きして語り出す。
「オーバーブロットの話から、魔法の種類についての話をしよう」
「種類……いくつか、聞いたことがあります」自分はマロンタルトを作っていた時に教えられた内容を反芻する。「改変とか何とか……それ以外にもあるんですか」
「素晴らしい。事前に学習をしているとは」僅かだがトレイン先生の口角が上がった。「魔法は大きく分けて、三つの魔法に分類される。混合型のそれもあるが……とりあえずは、改変、短縮、物質化……まずは基本的なこの三つを頭に入れてもらいたい。操作や幻惑、時間逆行など数十種類あるが、まずは三大基礎について学んでもらおう」
まず改変魔法についてだが……。
「改変魔法は現実の改変。事実を塗り替える魔法だ。たとえばここに、赤い花があるとしよう。だが、その花弁の花の色を青色に変えたい場合、使用されるのが改変魔法と云うわけだ」
それはハーツラビュル寮の、『何もなかった日』の準備で見た魔法だ。
「改変魔法の完全習得は大人でも難しい。泥のついた衣服の汚れを取り除いたり、紅茶をコーヒーに変えるのが、改変魔法に属する。現実の上塗り。学生は短時間しか使えず、大人の魔法士でも数十日しか保てない高度な魔法。事実や事象の上塗り……形を保てたメッキでも、魔法が成功したなら大したものであるがな」
大規模になると、天候さえも変えることが出来る。
更に高度になれば、宇宙に改変魔法で事実の上塗りが出来るだろう。
「次は短縮魔法だが、こちらの魔法は習得が容易い基礎的な魔法だ。短縮と云う名の通り、時間を省略する魔法の一種。物を突如出現させたり、衣類を一瞬で着替えさせる。植物の成長を促進させたり雨を降らせるなど、様々な用途で使用される。この魔法が使えない魔法士が存在しないほど、非常に簡単な魔法だ。時間短縮の真逆の魔法として逆行魔法があるが、こちらの場合割れたガラスを元に戻すなどといった魔法にあたる。時間を進めるのが短縮で、戻すのが逆行だ」
「会得が簡単なのは、つまり……魔法を使用した後の様子がイメージできるから。二度目……一度目ではなく二度目の再現をしているからですか?」
「その通り。時間短縮と述べているものの、再現なんだ。欠点として……再現されていない事実は魔法として成立しない。現実で一度も起きていないことは魔法として成立しない」
「えっと、友達が……大釜を出現させたり、突風魔法が得意なんですが、これも短縮魔法の一種類でいいんですか?」
だとすれば、特にデュースは大釜を落下した事実があると云うことになる。巨大な物質をぶつけるに至る過去。どんな事があったのだろうか。
「大釜の出現は、釜が保管されているところから、持ち運びたい場所へ時間短縮を行っているのか、釜が落下した事実を見て再現した……もしくは人や物にぶつけた経験があるのだろう。突風魔法は植物の成長促進に似ている。種から開花させ一輪の花になる時間短縮……そよ風から突風へ……もしかしたら攻撃に値する突風魔法を受けた事実の再現をしているかもしれないが、そればっかりは本人に聞かないと分からないな」
「実際にそんなことがあったのではなく、時間の短縮であってほしいですね」
特に大釜。
重量のあるものをぶつけるって、一体……。
「次に、最後……物質化の魔法だが、これは夢想の具現化だ」
科学の基礎となった錬金術のそれとは異なる。寧ろ、真逆だ。
「分かり難いかもしれないが……物質化魔法は、あり得ない妄想を現実性を強く薄めて定着化させる。本人の空想を現実に顕現させる不条理かつ不規則なもの。この魔法は、実際に見た方が早いのだが私には使えないからな……」
想像ではなく、妄想。
短縮魔法は完成図の想像をある程度、頭の中に思い浮かべておく必要があるが、物質化魔法が特別必要としているのは、妄想であると云うのであった。
たとえば、衣服を別のものへ着替える。
物質化魔法を使って衣類を変える場合、現実世界には一切存在しないたった一つのオーダーメイド。妄想を材料に排出された、物質化の魔法というわけだ。
「通称、夢の魔法。会得が非常に難しく、使える人はごく少数だ。才能と云うより、使える人と使えない人が二分化されている……どちらかと云うとユニーク魔法に近いな。だが、物質化の魔法の顕現は千差万別、種類豊富に様々な魔法を使うことができる。選ばれた者だけが使える不条理な魔法、道理にそぐわない夢の現実化」
ユニーク魔法は一人につき一種類。近しいところがあるが、異なるものであると述べた。
「あの、ユニーク魔法と云うのは……?」
「その人固有のオリジナル魔法だ。三大基礎の魔法の他に、操作、逆行、幻惑……様々な魔法の混合型……もしくは一種類に特化した固有魔法。一子相伝のユニーク魔法もあるが……アジーム家やシュラウド家がソレだな。ユニーク魔法を極めれば、概念の域にまで及ぶことが出来る。概念に到達した者は、私はまだ見たことがないな」
「特技の研鑽、ですか。でも、概念って……」
「……もし、ユニーク魔法を極めればいくら魔法を使っても、魂の消費……ブラット化することがなく、広範囲かつ高度な魔法が使える。操作系であれば、本人の肉体だけでなく、意思さえも操ることが出来る。認識を好きなように変えることも、な……」
「……え?」
「何せ個人が概念の域にまで達した魔法だ。いや、そこまでくると魔法と云っていいのか分からないが、ユニーク魔法に関しては破格の状態に陥っている」
通常、ユニーク魔法は一度での使用でも多大な魔力を消費する。
だが、概念の域にまで到達すれば魔力の消費を必要としていない。
ボーナスステージだ、と自分は思った。
「これは余談だが、混合型のユニーク魔法より一種類に特化した魔法の方が概念の到達に及び易いらしい。学園長はこの学園に就任して長い。ユニーク魔法が概念の域にまで到達した生徒を数名見たことがあるらしいのだが……学園長曰く、正気を保った状態でブラット化しているんじゃないかと口にしていた」
オーバーブロットは魂の堕落、獣性をむき出しにした暴走状態。
だが、ユニーク魔法を概念にまで極めれば、正気と人間性を保ったまま、健全なる魂と健全なる肉体を保つことが出来、無尽蔵に魔法が使える。
「ユニーク魔法を極めるには、その魔法を根源まで理解するために、幾度となく使用する必要がある。だが、ユニーク魔法の乱用はブラット化を促進する愚行でしかない。いくら健康的な食生活と睡眠を繊細に管理したとしても、魔法そのものが魂を削る以上、休息による安静は間に合わない。極限に至ろうとしても、その途中で脱落するだろう」
世界で指折りの魔法士でさえ、極められるかどうか……。
「まあ、それこそ夢のような――ありもしない魔法のような存在と捉えていい。あの……胡散臭い……学園長が云っていただけだ。何かの冗談だと思う方が現実的だろうな」
基礎的な魔法については学んだな。
トレイン先生がそう云った途端、丁度良くチャイムの音が鳴り響いた。




