赤き弔花‐12
『吐け! 吐け! 吐け――――!!』
真っ赤で綺麗なイチゴタルトが食べてみたい。
時間を忘れて夢の中、現に戻したのは母の姿だった。
小さい頃はどんな事があった。そう尋ねられて思い出すのは、いつもこの場面。
『吐け!』
怯えるケイトと隠れたチェーニャ。母様の細い指が僕の口の中に入り、胃の中をひっくり返そうとしている。嘔吐を促す強引な指の動きは数度に渡って行われ、僕はたちまち美味しかった……夢にまで見たタルトを、母様が用意したハンカチの上に吐き出した。
赤い、夢の残骸を泣きながら見つめていると、母様は僕を無理矢理立たせて引き摺って行く。後ろを振り返ると店の玄関口まで追いかけてきたトレイの姿を見て、ごめんなさいと謝る。ごめんなさいと泣き叫ぶ。傷付いた友達の顔。ごめんなさいを繰り返すのだ。
『母さんは、別にタルトを食べたことを怒っているわけじゃないのよ』
トレイのケーキ屋からそう長くはない帰路を隔てて、家の中。仁王立ちになる母と、フローリングの板張りに直接座らせた僕。まるで支配者と奴隷の対比を現す絵に、天井からぶら下がった灯りが煌々と照らすのであった。座らせられた僕の影と、直立した母親の影が壁に映る。
『母さんはタルトを食べたことを怒っているわけじゃありません。母さんが怒っているのは、勉強もせず遊び惚けていたこと。私の云いつけ――決まりを守らなかったことを怒っているんです』
『……決まり?』
『お母さんがいつも〝決めて〟いるでしょう。朝は魔法史と薬草学の勉強をして、午前をおえる。昼食を食べたら魔法工学の基礎である錬金術の勉強。夕食を食べたら夜は、法律書を読んでレポートに纏める』
いつもそう〝決めて〟いるでしょう。
母様はルールを云う。
『それだのにあなたは、遊び惚けてお菓子を食べた。お母さん、そんなこと〝決めて〟ないでしょう。あなたの一日に公園で遊んでタルトを食べるだなんて内容は、一つも決めてないんだけど、どうして云いつけを破ったのかしら?』
『ママ……ごめんなさい……』
『タルトを食べるのは、いいわ。どんなタルトだって構わない。チョコやベリー、そして今日無断で食べたイチゴタルトでも構わないのよ。でもそれは今、〝決められて〟ないでしょう? お母さん、あなたの今日のスケジュールにそんなことしていいよって〝決めて〟ないでしょう。だから、お母さんはとても怒ったの』
そうだ。
母様はいつも僕のためにスケジュールを決める。ルールを、定める。法律を決める。僕がその決まり事を破ったから、こうなってしまった。友達を――トレイとチェーニャを傷付けてしまった。ルールを守れば、何事もなく穏便に過ごせるのだ。波乱のない『何もなかった日』に出来るのだ。
ルールを破った僕が悪い。
母様には何の落ち度もない。
『それとも、あなたは友達と遊ぶことが勉強より重要なの? 母さんが決めたことよりも、何の学びもないことをすることが大事なのかしら? ルール破りが好きだなんて困った子ね』
『ママ……そんなことないよ……あのね、話を聞いて』
『今日は夕飯はいらないわね』
そう云って、テーブルに並べられた皿のひとつを手に取る。容赦なく……流れるような仕草で僕の分の夕飯は廃棄された。デザートとして用意されていたタルトタタンは、容赦なくゴミ箱に捨てられた。
『どうしてこうなったか、分かる? あなたがお母さんの云う事を聞かないから。ルールを破ったから、こうなったのよ』
話を聞いて。
決めつけてないで、僕の話を聞いて。
……どれだけ訴えても、その主張は母様には届かなかった。ルール違反をした無法者には何も云うことがないと云わんばかりの態度。
その時、僕は痛いほど学んだ。
ルールを破ることは悪いことなのだと。
そして――。
『まだ学校に入ったばかりなのに、学年首位なのは喜ばしいわ。でも、まだあなたはユニーク魔法が使えないのね』
パウンドケーキは捨てられた。
『その年になって、ようやくやっとユニーク魔法が使えるようになったのね。早熟よ。でも、魔法の精度が低いわね』
シュークリームは捨てられた。
『お母さん……そんな物、買っていいとは云ってないんだけどな。どうして余計なことをするの。自分で処分して』
その日、出来心で買ったキャラメル味のキャンディは、母様の命令で自らの手で廃棄した。
『学年首位を保ち続けるのは、当たり前のことよ。あなたは母さんの云い付けを守るから、誰よりも優秀なのね。そのままでいてちょうだい』
ショートケーキは食べることが出来た。
『……食事時間を五分オーバーしてるわ。母さんが決めた食事は、気に入らなかったのかしら?』
その夜、ガナッシュは捨てられた。
『あなたのことを決める母さんから離れて、ナイトレイブンカレッジに入学するの? 心の底では、お母さんを必要としていないのね』
イチゴタルトは、捨てられた。
……。……………………。
僕は本当は、母様を必要としていない。
そんなこと……ない……ないはずだ。
僕はいつだって母様を必要としている。
だから……そんなことはない……はずだ。
だから――。
話を聞いてよ、お母さん……。




