表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/16

第8話 懐中の手榴弾

 カエソルは腕を組み、エリー・ウェイドの部屋の外、廊下の壁に寄りかかりながら、腰の「千変せんぺん」を強く握りしめていた。


 この制服がむず痒いというのもあるが、それ以上に彼を居心地悪くさせているのは、脳裏から離れない違和感だった。


 昨夜、テラスで聞いたあの低い唸り声。虫の羽音のようでもあり、鼓膜を電流が走るような微かなブーンという音。


 あの時、エリー・ウェイド嬢はそれを()()()()()()()()()()()だと言った。


 俺は信じたのか? いや、無理やり信じ込もうとしたのか? ここは前線であり、敵地だ。どんな奇妙な音がしてもおかしくはない。それに加え、あの時の彼女の、凍えて震える可憐な姿……。クソッ、カエソル、お前は本当に大馬鹿野郎だ。


 彼は苛立ち紛れに髪をかきむしった。上着にはまだ彼女の体温が残っているようで、それが判断力を一層鈍らせていた。


 昨夜の出来事が頭を巡る中、今朝の勤務定例会での光景が蘇る――。


「私は今日一日、彼女の護衛ですか?」カエソルは驚愕し、公爵の副官を見つめた。


 目の前の副官――レオニード・ヴェインは、どこにでもいる書記官のように見えた。引き締まった細身の体躯、一分の隙もない制服、筋肉の隆起など見当たらず、その存在感は傍らの侍女よりも希薄だった。


「兵士よ。連邦では教わらなかったのか? 任務に疑問を持つなと」レオニードは彼を一瞥した。


 彼は面白がるように笑い、その視線を走らせた。それはまるで上空から獲物を狙う鷲のように、遠慮会釈なくカエソルを頭の先からつま先まで品定めするものだった。任務出発前、連邦の指揮本部で護衛隊を選抜した時と同じ目だ。


 カエソルは言葉に詰まり、直立不動の姿勢をとった。「報告します。ありません」


 疑問がない? そんなわけがあるか。なぜ俺なんだ? なぜ連邦の軍曹が、問題ありげな王国の官僚を守らなきゃならない? まあいい。任務の最初からそうだ。このバイジャの亜人は大勢の中から護衛を選び、俺はなぜかその当たりくじを引き、小隊を率いることになった。あの時すでに疑問符だらけだったが、今はそれがもう一つ増えただけだ。


「よろしい。公爵閣下は本来、連邦の――兵士になど興味はない。閣下にとっては大局こそが重要だからな。だが、公爵もそこまで無慈悲ではない。貴賓の警護を命じる以上、そんなガラクタを持たせるわけにはいかないだろう」副官はカエソルの背負ったライフルに目をやった。「これは貸し(・・)てやるものだ。任務が終われば返却してもらう」


 傍らの侍女が銀の盆を捧げ持ってきた。その上には、灰銀色の剣柄けんぺいが置かれていた。その剣柄には、バイジャ王国軍の紋章――虚空の銀手(こくうのぎんしゅ)が刻まれていた。板金の手甲が燃え盛る火球を握りしめ、それぞれの指には古の楔形文字くさびがたもじがびっしりと刻まれている。見ているだけで、奇妙な圧力を感じる代物だ。


「これはまさか――千変せんぺん?」カエソルは息を呑んだ。


 千変せんぺん。バイジャ軍が誇る高名な魔導兵器だ。魔法使いの護衛隊のために特別に作られたとされ、護衛はたった一つの武器を携帯するだけで、あらゆる戦況に対応できるという。闇市場では天文学的な値がつき、金があっても買えない。バイジャでは高位の将校であれば誰もが所持しているという。


「どうやら我らの兵士殿は目利きらしい。使い方は分かるか? おや、もし知っているのなら、帰ってから身辺調査が必要になるかもしれんがね」副官は大笑いしたが、その目は冷ややかだった。


 カエソルは苦笑し、答えなかった。こういう時は黙っているのが一番安全だ。


 副官は剣柄を手に取り、無造作に振った。


 ブーン――


 カエソルのこめかみが、ドクリと跳ねた。


 あの音だ。あの低く、鼓膜を震わせる唸り声。昨夜のテラスでの音と全く同じだ。


 剣柄の先端からエネルギーの柱が射出され、瞬時に凝結して光の刃を持つ長剣となった。


「最も重要なのはこれだろう」副官は次に剣柄を水平に握った。


 キーン――


 今度は鋭い高周波音が、針のようにカエソルの脳髄を刺した。剣柄の両端から放射された光の柱は、たちまち半身を覆う高弾性の光瑠璃ひかりるりの盾を形成した。


「君のように魔力を持たない、あるいは微量な魔力しか持たない兵士でも、チャージされたエネルギーで短時間は維持できる――十分程度なら問題ないだろう」


 カエソルの内心は激しく波打っていた。この音は一体――? 彼は努めて表情を崩さずに尋ねた。「質問をお許しください、長官。もし魔力がある場合は?」


「ならば、この武器は単なる媒介となる。使おうと思えば、いつまででも使える」副官は手遊びをするように武器を弄び、そして剣柄を彼に放り投げた。「試してみろ!」


 カエソルは剣柄を受け止めた。冷たく、重い。その内部で、まるで心臓がゆっくりと脈打っているかのようだ。


「使い方が分からないか? 武器の形をイメージするんだ。例えば、刀とか、剣とかな」副官はため息をつき、笑いものにする準備をしているようだった。


 カエソルは深く息を吸い、剣柄を強く握った。刀剣をイメージする……イメージ……。


 脳裏に浮かんだのは、昨夜のテラスで、彼に背を向けていたエリー・ウェイドの姿だった。


 ブーン――


 エネルギーの刀身が猛然と噴出し、一直線に真下へ伸びた。あわやカエソルの軍靴を削ぎ落とすところだった。


「おい! どこの誰が刃を真下に出すんだ? 軍曹、君は――」副官は驚き、言葉を途中で飲み込んだ。


 カエソルは動じなかった。刃が床に触れる寸前、手首を返し、エネルギー刃を跳ね上げたのだ。空中に美しい防御の弧を描き、最後は剣柄をしっかりと握り直し、二、三度振ってみせた。危機を一転、好機に変えたのだ。


 副官は出かかった馬鹿(・・)という言葉を歯の隙間に押し戻し、感嘆して言った。「ほう? 悪くない身のこなしだ。どうやら私の見立ては間違っていなかったらしい」


 カエソルが念じてエネルギーを収束させると、刃は消失した。だが、掌には冷や汗が滲んでいた。起動した瞬間、あの音が再び現れたのだ。電流のような痺れと共に腕から脳へと伝わり、昨夜の記憶と完璧に重なった。


 それは、魔力の音だ。カエソルは続けて剣柄を水平に握り、エネルギーシールドを展開した。


 エリー・ウェイド。彼女は昨日、テラスで夜景を見ていたわけでも、機械が動いていたわけでもない。魔導具だ。彼女は魔導具を使ったのだ。彼女は嘘をついていた。


 エネルギーシールドが剣柄の両端から現れ、一、二分後に消えた。カエソルがいくら振っても、もう何も起こらなかった。


「八分、そんなところか。軍曹、使うのはここぞという時だけにしろ」副官は時間を確認し、カエソルを遮った。


「報告します、長官。連邦には戦闘用ナイフが支給されています」カエソルは会話で内心の動揺を隠そうとした。


「兵士よ。ここぞという時だと言ったはずだ」


「報告します。下官にはもう一つ質問があります」カエソルは喉が渇きつくのを感じた。


 副官は頷いた。「言ってみろ」


「ありがとうございます。下官が使用した際、一陣の……低い唸り声のような音が聞こえました。あるいは、鋭い高周波音が」


 副官の鋭かった眼差しが不意に和らぎ、わずかな憐れみを帯びた。「分かるよ。戦場に長くいて、砲撃音を聞きすぎたんだ。静かになると逆に奇妙な音が聞こえる」彼は手を振り、まるで傷病兵を慰めるような口調になった。「幻聴、耳鳴り、神経過敏。それは老兵症候群ソルジャー・シンドローム、あるいは爆撃後遺症だ。あまり無理をするな、軍曹。ここは安全だ。迫撃砲が落ちてくることもない」


 カエソルは呆気にとられた。老兵症候群? 幻聴? いや、あれは幻聴なんかじゃない。あの音はあまりに鮮明で、鼓膜から頭蓋骨へと直接突き抜けてくるような感覚だった。


「いいえ、長官。そのような音ではありません」カエソルは首を振り、断固とした口調で言った。「私の想像ではありません。この千変(・・)が起動した瞬間――起動した時だけ、聞こえたのです」


 副官の手袋を直す手が止まった。顔を上げ、目の前の連邦軍曹を、まるで希少動物でも見るかのような目で見つめた。


「君は、魔導具が起動した時だけ聞こえると言うのか?」


「はい、長官」


「ああ、わかった。君は魔力波の変化を感知できる、数少ない体質の持ち主か」副官は驚いた様子だった。「まさか、こんな場所で出会えるとは思わなかった。魔力波に敏感で、その変化に応じて地鳴りのような音や高周波音を聞く者がいるとは聞いていたが。それは良いことだ。戦場では誰よりも早く魔法使いを察知できる」


「――まさか、こんな場所で『破魔の耳(はまのみみ)』の特性を持つ兵士に会えるとはな」副官はカエソルの反応がないのを見て、独り言のように続けた。「バイジャの古い騎士の史書には、魔法使いの行動を事前に察知できる騎士の記述がある。現代風に言えば、私が今言ったような体質だ。兵士にとっては祝福そのものだ。魔導具の発動をいち早く知ることで、命拾いすることもあるだろう。うん、実に興味深い。やはり私の見立ては間違っていなかった――」副官は最後、ぶつぶつと呟いていた。


 魔力波の変化を感知する体質? 魔導具の発動を知る? その言葉は、狙撃手が霧の中で標的の心臓を撃ち抜くように、カエソルの脳内の迷いを容赦なく撃ち抜いた。その言葉が幻聴(・・)の可能性を否定したのだ。


 俺が幻聴を聞いたのではないとすれば。昨夜のあれも――幻聴ではないはずだ。


 最も可能性が高いのは――王国特使団の秘書官が、深夜のテラスで、何らかの魔力波を発する装置を使用したということだ。そして見つかった時、都市の騒音だと嘘をつき、さらに凍えるふりをして同情を買った。彼女はスパイか? 少なくとも、ただの秘書官ではない。


 カエソルが握る千変の指は、力が入りすぎて白くなっていた。


 言うべきか? 目の前にいるのはバイジャ公爵の副官だ。今ここで俺が口を開き、「報告します、長官。昨夜、客人の元でも同じ音を聞きました」と言えば、すべてが終わる。保安局が介入し、エリー・ウェイドは連行され、公爵は嫌疑を避けるために関係を断つだろう。彼女はどこか名もなき尋問室で消されることになる。


 だが――俺は彼女を救った。車の中での彼女の一瞬の恐怖は、本物だった。王国軍が傍観していたことへの怒りも、本物だった。もし彼女がスパイだとしても……彼女もまた、自国に見捨てられた哀れな人間に過ぎないのではないか。


「軍曹? 他に質問は?」副官が不機嫌そうに尋ねた。


 カエソルは自分が分岐点に立っているのを感じた。俺は忠実な兵士か? それとも裏切り者か? 共犯者か? 昨夜、エリー・ウェイドが俺の上着を羽織った時、その指先の冷たい感触が再び蘇る。


 カエソルは深く息を吸い、湧き上がる衝動を無理やり心の最深部へと押し込んだ。


「ありません。ご回答に感謝します、長官」


 彼は千変を腰に帯びた。冷たい金属が大腿部に張り付き、ずしりと重い。


 カエソルは知っていた。口を閉ざすと決めたその瞬間から、まるで自ら手榴弾しゅりゅうだんのピンを抜き、それをふところにねじ込んだようなものだと。


 彼は副官に敬礼し、きびすを返した。


 カエソルは分かっていた。この部屋を出たが最後、安全レバーを死に物狂いで押さえつけ、この命を賭けて、懐の中の手榴弾――エリー・ウェイド――が爆発しないほうに賭けるしかないのだと。


 彼はドアを閉めた。


 元々は任務だけだった。今は武器が増え、さらに秘密まで抱えてしまった。カエソルの一歩一歩が、誰もいない長い廊下に重く沈んでいった。

お読みくださり、ありがとうございます。

ブックマーク、感想、評価は、 執筆の励みとなります。

また次回、お会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ