仕事と責任~その発生源と範囲決定のメカニズム~
はじめに断っておくことがある。
多くの批判・反論はあるだろうが、今回は「当てはまるケース」について論じたい。
つまり従業員個人の資質として「やるべき仕事の範囲」が分かっていない、あるいは間違って認識している、というケースだ。
従って、企業の責任とかハラスメントや過重労働といった諸問題については、横に置いておく。
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大雑把に言うと、労働契約とは「労働」と「お金」を「=」で結ぶものだ。
決められただけ働く代わりに、決められただけの給料を受け取る。
労働=お金
この公式を成り立たせるのが「=で結ぶ」という約束――労働契約だ。
理解を深めるため、「そうでない場合」と比較してみよう。
まず「労働」だけが存在する場合。
給料なし。労働のみ。
つまりボランティアということだ。
自分のために自分でやる家事なんかも、これに当たる。
あるいは「母親」という労働。職種でいえば総合現場監督。24時間労働、休日なし。給料なし。時には一晩中「顧客」の話を聞かねばならず、発生したあらゆる状況の責任を追う。たとえ自分は悪くない場合でも。
お金ではない利益――幸福を直接享受するというメリットはあるが、今回は横に置いておこう。これらは労働契約を結んでいない労働である、という事だけ伝わればいい。今この時点で重要なのは「労働契約とは何か」ということを大雑把に理解してもらうことだ。だからあえて「他のもの」を引き合いに出して、比べてもらっている。
では今度は逆に「お金」だけが存在する場合を見てみよう。
プレゼント、あるいは寄付や募金などと呼ばれる。
生活保護もこれに当たる。
あとは「返す必要のない奨学金」なんかも。
次に「=ではない」場合を見てみよう。
まずは「労働」が大きい場合。これは残業しても給料が出ない、というような状況だ。
逆の場合は、給料は満額支払われるのにサボってばかりで働かない。
「労働=お金」の公式になっておらず、「労働>お金」とか「労働<お金」という不等式になっているわけだ。
こうなると「約束と違う!」と文句を言える。「労働=お金」にする約束なのだから、未払の給料を払えとか、サボらずきちんと働け、と言えるわけだ。そういう約束じゃないか、と。
重要なのは、ここだ。先に述べた「労働だけの場合」や「お金だけの場合」には、誰にも文句を言えないし、言われない。
つまり、労働契約からは「仕事の責任」というものが生まれるわけだ。
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実際のところ、雇用契約書を見ると、労働の内容は、職種・勤務時間・勤務地といったものが明記され、あたかも「決まった時間に決まった場所で決まった作業をやればよい」と書いてあるように見える。
(念の為もう1度断っておくが、これは「大雑把に言えば」ということだ。非常に単純化されたモデルである。実際にはこれに当てはまらない労働形態も数多くあるが、単純化すると「これだけ働け」というものである点で共通するだろう)
だが実際にはボーナスの査定などで「十分に働いたか?」という評価がなされ、「お金」が増減することになる。
契約書にある通り「決まった時間に決まった場所で決まった作業」をやっていても「十分に働いていない」と評価されて「お金」が減る場合があるわけだ。あるいはその逆に増えるケースも。
これは「労働=お金」という約束に反するように見える。
同じ時間、同じ場所で、同じ仕事をして、どうして給料が違うんだ?
これは「労働」の内容を「量」でしか見ていないからだ。
ボーナスの査定は、仕事の「量」ではなく「質」を問うている。
従業員は会社の歯車だ。大きさも形も色も様々だが、組織の一員として働くことは「1人で全部はできない」という意味で「1人1人は部品にすぎない」ということになる。
会社は歯車として十分な機能を果たすことを求めている。
つつがなく業務が回るだけの仕事をせよ、ということだ。
従業員は、右の歯車から受け取った動力を、左の歯車へ伝えるのが仕事であり責任である。
たとえば報連相が不十分な従業員は、「情報」という動力を十分に伝えられない「欠陥品の歯車」ということになる。
サイズ(こなした仕事の範囲)が小さすぎて、動力(情報)が伝わらない。これでは歯車として機能が不十分である、というわけだ。
提出物なんかもこれと同じで、受け取った先の人が十分に仕事をこなせるように内容を充実させ、提出期限を守らないといけない。
そうでない歯車は、サイズが小さすぎたり歯がかけたりして空転してしまい、動力が伝わらない。
期限を過ぎてから提出する、なんてのは歯車でいうと「大きすぎて隣の歯車とぶつかってしまう」状態だ。これもまた、回らなくなってしまう。
もちろん最初は誰だって「欠陥品の歯車」だ。無機物の歯車と違って、人間は訓練することで成長できるし、訓練なしには必要十分な能力を発揮できない(一部の天才を除く)。
スポーツをやると実感できる通り、人間は自分の肉体すら、完全に思い通りに動かすことは困難だ。ましてや、自分の労働成果を通して他人を動かすことになる「仕事」というものは、思い通りに行くことのほうが珍しい。毎日のように「思いがけないこと」が起きる。だが「事故」を起こすわけにはいかない。
だからこそ、正社員とアルバイトでは責任の範囲が大きく違う。
正社員にとって「つつがなく業務が回るだけの仕事」というのは、何も知らない人に「これお願いね」と渡しても事故なく遂行できるだけの「必要になる全てのものを用意すること」が仕事であり責任の範囲になるわけだ。
念のため断っておくが「無限に責任を負うべきだ」という意味ではない。受け取った相手は「用意したもの」をミスなく使いこなせるだけの能力がある。そして実際にミスなく使いこなした。それでも「事故」が起きる場合は「不十分な仕事だった」ということになる、という意味だ。
だから敏腕従業員が受け取ってくれると非常に助かる。受け取る相手がその仕事をよく知っていて、ほとんど説明の必要がない場合は、用意する必要のないものが多くて、仕事が減るわけだ。しかも事故につながる欠陥を独自にカバーしてくれたりすると、感謝と尊敬の念に堪えない。
一方でアルバイトの場合は、「言われたことだけを言われた通りにおこなうこと」が仕事であり責任の範囲になる。
ここで「言われてないけど必要になりそうだから、ついでにやっておこう」なんて事をすると、場合によっては「越権行為」となり、処罰されかねない。
特に金銭の管理に関する内容は、アルバイトが手を出してはいけない。それは「大きすぎる歯車」だ。しかもぶつかった相手を破壊して無理矢理そこに収まった形となる。
こうなると正社員は、大きすぎる歯車をそこから取り除き、破壊された歯車を修繕して、正しく回るように戻し、きちんと回るかどうか点検もして……という膨大な作業に追われることになる。つまり金額の見直し作業だ。
人手不足が深刻な昨今、この「越権行為」をやらないと仕事が回らないというケースが増えている。つまり「労働>お金」の状態になっているわけだ。だから「労働」のほうを減らせないなら、「お金」のほうを増やすべきだ、「労働=お金」の状態に戻せ、と同一賃金同一労働と銘打った運動が起きる。
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仕事の責任というのは、このようにして発生し、その範囲が決定する。
右の歯車から、ちゃんと動力を受け取れているだろうか?
左の歯車へ、ちゃんと動力が伝わっているだろうか?
もし右の歯車と左の歯車が同じように回っていたら、それは「きちんと責任を果たした」という証拠だ。
最後に、1つだけ反論を投じておきたい。
それは「仕事の責任を理解できない原因は、本当に従業員の資質だけなのか?」ということだ。
教えても相手が理解できない、という結果は「相手の理解力が足りない」という可能性のほかに「教える側の『教える能力』が足りない」という可能性もある。
自分でやる能力と、他人に教える能力は、まったくの別物だ。超一流のプロ選手が、他人に教えるのはヘタクソで後進が育たないというのは、よくある話。逆に、自分はそれほど上手でもないくせに、教えるのだけは異常にうまいせいでトッププレーヤーが育った、なんていう例もある。
教えることに苦労している方々へ。
この拙い文章が、いくらかでも役立つことを願って。




