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6話 「欲を知れ」




 

───幼い頃に一度だけ、魔法を見た事がある。

両親にはもちろん信じて貰えなかったが。

興奮のまま保育園の先生に話しても、話半分にあしらわれてしまったけど。あれは絶対に魔法だ。私は誓って、あの光景を生涯忘れたことはない。

思えば、大好きだったハンバーグに心躍らなくなったのは、魔法に魅入られた日からだ。

未発達の小さな脳に焼き付いた煌めきは、他のどれより私の興味を引いて止まなかった。




嗚呼、もう一度、あの点滅を目に出来れば。

光の粒子が踊り子になって舞い、現実から乖離させてくれたら。私の心に非日常を一摘み、入れてくれたら。




もう一度、魔法を目に出来れば───

 




 

「【(レスポンス)】」


それは今日放たれた魔法の中で、最も異質だった。

魔法が魔法たりうるのは、こういった幻想的なものを作り出すからだと本能で理解する。

結晶の、キラキラとしたエフェクトを纏った魔法とは違う。そこだけが次元を超えたように空気が変わっているのだ。

精一杯伸ばした青髪の男の左手に、剣が1本。


剣先から柄まで金属で、レイピアに近い形状の細長い剣だった。

波を閉じ込めたような、気泡が目立つシアン色の個体刀身に巻きついていて、柄の中央では淡いオレンジの光が輝いている。

一時の魔法にするにはあまりに惜しいほどに洗練された美しさを誇るそれに、ルージュは感嘆符を漏らした。

彼はそれを軌道が見えるほど素早く振り下ろした後、再度顔の横まで剣を上げ横に傾ける。

そのまま持ち手と反対の手で刀身をなぞると、


「【(メメント)】」


最後の念押し、と言わんばかりにバリアを追加。

武芸の達人のような仕草に、締まった表情。

深呼吸をそれは深く溢しているのは、神経統一を図っているからだろうか。


(───ガチじゃん。)


あれほど真摯さの欠片もなかった青髪の男の真剣な顔に圧倒されるルージュ。

魔法ありという土俵の上で、全く想像のつかない戦い。

それは、ルージュが“死“を忘れるほどのものだった。

───命の駆け引きではなく、純然なる力のねじ伏せ合い。

魔獣と青髪の男はそれをしているのだと感じたから。

だから、その時ルージュは“死“の概念を忘れ、彼らの戦闘に夢中になった。


それも仕方ないのかもしれない、だってこれは魔法。常軌を逸したファンタジー。

こんな展開、いやでも目が釘付けになるに決まってる。


「お前は柱の影にでも隠れとけよ。流れ弾、当たっても知らねーからな。」


別人を疑いたくなる表情に今までと同じ荒い口調を乗せ、彼はルージュに逃避を推奨した。

なんだか言い草的に“流れ弾“はクォーツ・ドラゴンではなく、青髪の男による攻撃によるものを指している気もするが。


(無責任な言い方ではあるけど、彼が言いたいのはきっと・・・)


「・・・わかったわ。」


(きっと、足手纏いになるから退け・・・だろうな。)


囮を買って出たルージュだったが、流石に彼の妨害までして自死する気はさらさらない。

逆らう余地のない彼女は、小さく頷いて柱へと駆け寄っていった。

震える足は子鹿のようだったが、そこは見ないふりをしてほしい。

それを横目で見届けると、青髪の男は肩を勇ましく上げる。

準備は万全、といった様子。


彼が事前に張っていたバリアたちは崩壊の兆しを見せ、同時にクォーツ・ドラゴンの結晶も一瞬枯渇する。

再度結晶を練り直そうと力を貯める動作に移行するクォーツ・ドラゴン


「今。」


───の隙を舐めるよう一瞥し、青髪の男は足に力を集中させ瞬間的な加速のまま懐に飛び込む。

両手で強く握りしめた彼の剣が閃き、皮膚の柔らかそうな灰色の首筋へと振り翳された。


「グ、アァアアグアァア!」


同時に響く、獣の断末魔のような咆哮。

鼓膜ごとやぶる勢いのそれに耳を塞ぎ、


(やったか?)


とトドメを刺し損ねたことを確実にするのは、影から見守るルージュ。


(・・・まあ、このセリフが出てきて倒せてることなんてある訳ないよね。)


案の定、ルージュが全文を述べる前に彼の攻撃は防がれた。

翻すようにクルリとドラゴンは後退し、傲慢なまでに巨大な翼を可動域の許す限り広げると


「・・・っ、すごい風。」


弧を描き振り、ガラスを更に壊滅させるほどの暴風を吹かせた。

最早魔法でもなんでもない、ただの物理的暴力。

柱の裏に待機していたルージュでさえ髪が舞い上がり、体ごとよろける凄まじい威力だ。

勿論、直にそれを食らった青髪の男はただでは済まない。


「───いっって!ガラスちょっと掠った。」


その割には“ちょっと“なんて言葉がつくほどには被害が少なかったらしいが。

風に飛ばされた途端に体を捻り一回転し、床に剣を深く突き刺ししがみつく。

そうして上手く受け流したようだ。


(魔法なしの身体能力であれなのかが気になるけど。素であれなら、だいぶ魔獣よりの身体能力してない?彼。)


吹き飛ばされた彼の頬には赤い線が2本。

無傷では済まなかったらしいが、顔にガラスが掠った程度で済んだのは驚異的な身体能力あってこそだろう。


しかし魔法での戦闘ばかりを視野に入れていた彼にとって、想像の範疇にない行動だったのか。

いずれにしろ、彼は短絡的思考を恥じるように頬を掻き、ついでに傷跡の血も拭き取った。

それを不安げに見つめるルージュ。


(あの人、大丈夫かな。自信ありげに突っ込んでったけど、あれじゃあジリ貧・・・。)

 

1度は水を差された魔法の準備を再開したクォーツ・ドラゴン。

彼にそれを阻止する術はあるのかと、ルージュは固唾を呑んで展開を見守る。

状況だけを見れば非常に不利なのは此方、ルージュは役に立たず、実質的な1対1。

───しかし、そんなルージュの思考は杞憂に終わる。


「なあるほどね。おっけー、もう勝てるわ。」

「【(レスポンス)】」


1回。


「【(レスポンス)】」


2回。


「【(レスポンス)】」


3回。


「【(レスポンス)】」


4回。


詠唱を重ねる度それは具現化する。

1本でさえ眩い存在感を放っていた剣は、複製されるとそれこそ第二の月のように明度を増し輝いた。


(幻想的なんて言葉じゃ収まらない。なんて、人智を超えた光景・・・!)


ルージュは頭が痛いほどの感銘に、感動に、身を震わせた。

ぱちぱち跳ねるお菓子を食べてるみたいな気分だ。

あれが脳の中で激しくぱちぱちと跳ねて、小さな爆発を起こし続けている。

そのくらい───魔法ってのは、綺麗だった。

 

青髪の男は自身のに持っていた剣さえ垂直に投げ出し、宙に規則正しく並んだ計5本の剣を見て自慢げに腕を組む。

柔らかい彼の藍色も剣のオレンジも、何故補色のくせに美しく映えるのだろう。

彼は少年心のままトパーズの瞳を輝かせ、最高に昂った顔で


「───【(レスポンス)】」


5回。

組んでいた腕を解き、その首取ったり!とでも言いたげに声高らかに


「歯ァ食いしばれよ!」


砲撃を開始するような手の振りで、悪辣なセリフを吐く彼。


(───悪役みたいなセリフ。)


彼の詠唱を命令と取ったよう、それを皮切りに暴れだすは6本の剣。

爆発寸前並みの光を最後に彼の手の導くまま飛んでいく。


剣は、目標を撃墜するため的確に───まるで意思があるかのように四方に分散した。

そして瞬く間に随所を刺す。

はね、くび、 あし、うで。

甲殻で覆われていない箇所を突くように、介錯の余地を与えず攻撃。

命の危機に瀕したクォーツ・ドラゴンはこちらに背を向け逃亡を図る、が。

その無防備な背中に、無慈悲に突き刺さるは追撃。

猛々しく声を荒らげようが、それはやがて悲痛な叫びになる。

それは、まるで狩猟の現場を目の当たりにしているような───、一方的な蹂躙だった。


(最初の状況が嘘みたい───!こんな、こんなに圧倒的な力があったなんて・・・!!)


ルージュの意識は、ここが戦場であることを忘れさせるほど別にあった。

いやでも惹かれる、その端正な横顔に。


「【(レスポンス)】───最後だ。」


それは彼も同じだったようだ。

歯を見せて大きく笑う彼は、戦いの愉悦でハイになって声を昂らせていた。

戦場であることなんて忘れたみたいに、自分の力に心底陶酔したように。

精一杯取り繕った端的なセリフを本当の最後に───断末魔。

結晶の塊がふと力を無くして墜落していく。


(本当に───本当に、倒しちゃった・・・。)


落ちたのは、魔獣の方だった。

低く唸ったような呻きを今際に残し、窓からふっと煙のように消える。

ここが何階なのかは知らないが、確実に息絶えるくらいの高度ではあるはずだ。


「・・・・・・・・・・・はぁ、」


終わった。

討伐を見届けたルージュは、柱に体重を預け足の力を抜く。

まるで自分が魔獣と対峙していたような疲労感だ。

青髪の男はというと、


「中の上って、案外大したことないのな。」


余裕綽々、というか一周まわって舐めた態度で決めゼリフ。


(腰、引けまくってたくせに・・・)


一部始終を観察していたルージュは手の返しように文句を付けたくなるが、すんでのところで飲み込む。

代わりに、本来言うべき言葉を告げた。


「・・・その、ありがと。助けてくれて。」


柱から一歩踏み出し顔を見せたルージュは、そう感謝を告げた。彼女が脳内で練習したものとはだいぶ違った、質素な感謝だった。

大規模な戦闘により僅かに汚れたドレスの裾をつまみ、そっぽを向いたとても誠意のない感謝。


(ルージュ・・・感謝の言葉くらい、素直に言えばいいのに。)


ルージュの体は、率直に物事を伝えるのには適していないらしい。

相変わらず天邪鬼な自身の体に不満はたまれど、感謝の意は本当だ。

死ぬんだ、なんてヒステリックなことを言ったルージュだったが、身を挺して守ってくれた青髪の男には感謝している。

ほんとの、本当にだ。


「ん?ああ、まあ感謝しろよ〜。俺いなきゃ死んでただろうし?」


が、まるでコンビニから帰ってきたみたいにひらひらとこちらに手を振るスカした彼に、


「───腰引けまくってたくせに。」


命の恩人だろうと文句の1つは言いたくなってしまった。

それに「まあね」なんてニヒルに微笑んだ彼に、ルージュはきゅっと息を止める。

別人みたいな笑顔だ。

最初の紳士的な彼とも、腰が引けてた彼とも、戦闘中の輝く彼とも、違う。

普通の、15歳の笑顔だ。


どういう訳か、ルージュはその笑みに思考が硬直したよう動きを止めてしまった。


「でさ、アンタやっぱり俺の話聞いてなかったろ?」


「・・・なんのことかしら?」


と、そこで唐突に出た“俺の話”という言葉に、ルージュは首を傾げる。

だが、思い当たる節を見つけて口を開けた。

青髪の男とルージュが交わした言葉は少ない。

その中で、思い当たらない話が存在することを思い当たったのだ。


(私が月見てた時のやつか。確かに何か言っていた気がするけど、内容が思い出せない・・・。)


いくら頭を捻ろうが、右から左に流していた内容を明確に思い出せるわけが無い。

そんなルージュを見かねてか、「しょうがねえな」と青髪の男。

先程の言葉を反復してくれるらしい。


「だからさ、俺はアンタと同じ転生者なんだよ。

 正確にはちょっと違うけど。

 俺は・・・生まれ変わり?って言うの?急に悪役令嬢になったアンタとは違って、俺は生まれた瞬間から俺なワケ。」


「ああ、異世界転生と成り代わりの違いよね。

 貴方の場合、意識も体も貴方のものだと。」


「そうそう、流石に生まれた瞬間の記憶は無いから絶対では無いけど、多分そうなんだよな。

 で、てことはだよ。俺、典型的な“なろう系主人公”じゃん。」


途端に稚拙な言葉が飛び出してきて、ルージュは一瞬「ん?」と宇宙を見そうになる。

がすぐに引き戻り、彼の言葉を理解した。


「なろう系主人公」───ルージュの完全なる独断と偏見から推測するに、チート能力で無双・・・する?アレのことを指しているのだろう。

大抵は天から与えられた才能なんかでゲームでいうチート、この世のパワーバランスから逸脱したインフレを起こすとんでもない力を持っていたりする。

───と、ルージュは心得ている。あくまで偏見だが。


「まあ確かに、聞く限りはテンプレすぎるくらいにそうね。」


聞く限りではなく、見た限りでもそうだったが。

この世界の一般的な魔法がどの程度かなんてルージュの知る限りではないが、クォーツ・ドラゴンを圧倒する彼は彼は相当の実力の持ち主なのだと悟った。


(あの規模感の魔法が誰にでも使える世界があってたまるか。)


彼の言う限り、クォーツ・ドラゴンとやらは中の上澄みらしい。

この若さにして中の上澄みを相手取れる実力があれば十分すぎるくらいの力はあるのだろう。


「だろ?力を実戦で示せて良かったよ。

 おかげで話がスムーズに進む。」


以前の面影すらない程に開放的になった窓(窓ですらないかも)から吹き込む生ぬるい風が頬を撫でるのを、焦れったく感じた青髪の男は髪を手で押さえつける。

ふとした仕草なのに、妙に色っぽいような彼のそれを追いかけながらルージュもドレスを抑えた。


やはり神妙な面の彼に、重要な話が待ち受けているのだと理解するルージュ。

告白でもするように重く、そして軽薄に彼は


「───俺は、きっと世界一になれる人間だ。

 そうなるべく生まれてきた。だって、俺は主人公だから。」

「生まれながらに“チート”で、全て持ってる。」

「俺は、世界一になる人間だ。」


始まったのは自慢で埋められた言辞である。

彼の突拍子もない自画自賛には慣れたため、ルージュは大人しく頷いた。

彼が事実を述べているのかはこの際重要ではない。

重要なのは、彼がこれからルージュに何を話すか。


「でも、ただ世界一になるだけじゃダメだ。

 “チート”と来たら“ハーレム”も必要だろ?

 折角助けたんだし、アンタも生きて俺の囲いの1人になって貰おうと思ってさぁ。」

「俺が魔法で色々してあげる代わりに、アンタはハーレム要員になる。それって利害の一致ってやつじゃね?」


「──────やっぱりクズね。クズで、傲慢。」


ルージュはもう少しばかり謙虚な話題を期待していたというのに、青髪の男から出るのは俗な単語ばかり。

彼を貶す言葉を並べるルージュだが、それをのらりくらりと躱し彼は続ける。


辛辣な言葉を吐くものの、ルージュは彼の話の腰を折ろうとはしなかった。


「そう?俺は自分をクズとも傲慢だとも思ったことは無いけど。これは人間の性だと思うんだ。突然学校にやってきたテロリストをぶっ飛ばす、石油王と結婚する、チート能力で無双する・・・。それが本当にしたいことだ。社会の一部なんかしてるより、そっちの方がずっと楽しいし。」

「自分の不幸を望むやつなんてそういない。

 みんな自己顕示欲が心の奥底にあって、みんな自分の幸せを望んでいる。それを“隠してる“、だからいい人に見えるだけ。───世界は、クズまみれだ。」


青髪の男の演説に、ルージュはこの世界に来てから1番露骨なしかめ面をした。

長ったらしく詭弁のようなものを喋り、自分を正当化させているように見えてならない。

たかだか15歳(中身の年齢は知らないが)の癖にいかにもそうな理屈を並べるものだと言いたげなルージュに、苦笑する彼。


「・・・理屈がわからないわけではないけど、案外小難しいことを言うのね貴方。

 それで?俺が“ハーレム“したいのも、みんな“隠してる“だけで正当な欲求だと?」

 「(わたくし)がクズと呼んでる人間は、欲求を“隠さない“人のことよ。

 どんな欲求があろうが、ある程度の自制心がなければそれはただの傲慢じゃない。」


ルージュの気遣いや人間性を捨てた嫌味の暴力に、青髪の男は居心地悪そうに身動ぎ。

返答の予想から大幅にズレた持論を持ち出してきたルージュに、多少なりとも困惑しているらしい。

その仕草にはたとして、


(言い過ぎちゃった・・・?)


自身の過ぎた発言を猛省するルージュ。

過去の諸々から恨みつらみが不意に発露してしまったのに加え、彼女の体がそれを倍加速させていた。

普段の彼女はもっと控えめで、もっと臆病だというのに。


(ああでも、普段はこんなこと絶対言えなかった。

 言いたいことが言えるって、こんな感じなんだ。)

 

「ま、小難しい話はいいや。

 とにかく、俺は俺の欲望に従って動いてる。

 特に深い理由なんてないよ。ただ自分が()()()()()なれる世界を目指してるだけ。」


人は何故、娯楽小説(ライトノベル)を読むか。

簡単だ。最強の天才になって、チヤホヤされたいからだ。


それは嘘偽りない、純粋な欲やエゴだった。

ただの1つも悪意のない。

ルージュにそれを強要しているというより、ただ黙って賛同して欲しいという独りよがりさしかない。

なんて低俗で卑しい理論だ。そんなの、許されるわけない。

そんなの、ネットならば炎上するし、学校なら白い目で見られるし、出来るわけないと常識を疑われる。

でも───


「何度でも言うけど、ここは“異世界”で、俺は“チート”。

 アンタはまだ魔法を知らないだけ、ファンタジーに脳を侵されてないだけ!ここがどれだけ自由で、我儘に生きれる世界かを───知らないだけだ。」


荒唐無稽に捲し立て、青髪の男はくるりと手先を回した。

すると、そこに存在しなかったはずの赤い花が姿を現す。ポピーに似た可憐でしおらしい花。

これも魔法の一環なのだろうか、なんて考えるより先に、ルージュは握っていた拳を解いた。

なんだか無茶苦茶な理論だが、妙に胸にすんと落ちるのは。


彼の言うように、本能が疼いてしまったからだ。

空想上として描いてきたファンタジー、誰もが夢見るそれが今、少し手を伸ばせば届く場所にある。

死のうと思っていた、ルージュの前に。


「まだ決断には早すぎる。」


彼の囁きが脳に溶けては消える。

ルージュは今、かつてない感情に苛まれていた。


「ここで魔法を知らず、欲を知らずに死ぬか。

 俺の手を取り、生きて、全てを知るか。」

「選ぶのはアンタだよ───“ルージュ・ダンデライオン”。」


心臓の奥が着火したように、じわじわと熱を持つこの感覚。

苦しいほど滾るこの感覚。

足が浮き、手が浮くこの感覚。


(人生で初めて本を開いた時の感覚と同じ。)


自分では経験しえないと思っていたそれを、目の当たりにした感覚。

ルージュは、いや“私”は、ファンタジーに魅せられていた。

小説の中という箱でしか実現できなかったそれに――手が、届く。


この新しい世界で、日本じゃないどこかで。

まだ見ぬファンタジーが広がっている。


(あんな魔法見せられたら、)


「───ほんと物好きね。貴方も、私も。」


困り顔で笑い、誰にも拾われないほどの声量で言葉を落とすルージュ。笑い声が喉から出たのは、自暴自棄になっていた自分が馬鹿らしくてどうにも笑えてしまったからだ。

 

───彼女も、1人の人間に過ぎなかった。

日本で生まれた彼女にとって彼の演説は眩しすぎて、しかし激しく心を揺さぶった。

彼女は焦がれていた。

青髪の男の見せる、全ての魔法に。

彼女の目はそれはそれは強いフラッシュを前にしたように、泣きそうなほど細く狭まっていく。

それを不思議そうに見た彼に


「ルージュ・ダンデライオンじゃないわ。

 ───“門松 燐堂(かどまつ りんどう)“よ、私は。」


手を伸ばし、赤い花にかざす。

前世の、もう二度と名乗らないと思っていた名を告げ。

“クズ“な彼へと手を。


「ふぅん、ヘンな名前。」


彼女の名乗りを不遜な態度で貶し、しかし上機嫌に吟味する青髪の男。

ルージュの顔を表情が柔らかくなったのを確認すると、


「わ、なにすんのよ」


彼はいとも容易く花を手折ってしまった。

理不尽に散った花を哀れみながら、ルージュは不満を垂らす。

自身で創造したものを自分で壊す破天荒な性格は───確かにまあ彼らしいが。

折れて茎を断たれた花は、やがて光の粒子となり世界に溶け込んでいった。

花が、魔法によるまやかしであったことを示唆するかのように。

異世界人にとっては子供騙しにすぎないちゃちな手品だろうが、ルージュにとっては新鮮そのものな光景。

彼女は光の粒たちの行方を目で追う。

自由の身となった光の粒子は、いっそそれが望みであったかのように気ままに消えていく。


「───ルイヴィ。」


男が不意に、言う。


「え、」


「ルイヴィ。

 ルイヴィ・ロア・ドゥ。それが俺のナマエ。」


彼───ルイヴィ・ロア・ドゥは、長ったらしいかつ噛みそうな名前をもつらつらと読み上げ咳払い。

呆気に取られるルージュを蕩けるような細めで一瞥すると、



 


「いずれ、歴史上で最も偉大になる名だよ。

アンタが死にたいと思う暇ないくらい、ずうっとイカれるくらいの感動で生かし続けてやる。

 アンタは俺の栄光を、隣で見てるだけでいい。

 だから着いてこいよ、ルージュ・ダンデライオン・・・ああそう、違うな。中にいる“アンタ“に言ってるんだった。」



 


それは確かに、歴史上で最も偉大な名場面で。

そしてルージュ・ダンデライオンの人生において、門松燐堂の人生において、最も重要な名場面であった。

後に世界を丸ごと手に入れる男との───出会い。

それが吉兆か、始まりの音色か、知る由は既にない。

只今は、心を脈打たせる彼の手を、



 


「随分と調子のった男ですわね、ほんと。」




取るべきだと。

否───取りたいと、そう“私“が強く願った。


そうして、両者は初めて互いに触れる。






「ルージュ」


しばし噛み締めるような沈黙が続いた後のことだった。

ルイヴィ・ロア・ドゥ。偉大なる彼が口を開く。

彼の言葉に――どく、とルージュの心臓が嫌な高鳴り方をした。

剣が心臓を貫いた感覚、という比喩が真っ先に浮かんだの彼のせいだし、多分この高鳴りも彼のせいだ。


(名前、呼ばれちゃった・・・)


と、咄嗟に浮かぶうつつを抜かした考えに首を振った。

中学生でも異性に名を呼ばれているだけでませたりしない。

そんなものとっくに卒業しているし、今更初対面の男にときめいたりなんてするものか。

ルージュは苦虫を噛んで吐き出すような顔を見せた。


(でもなんか・・・すごく、ドキドキする・・・なんで?)


意識するまでもなく針糸のようにするりと横切った考えに、


(な、なに乙女みたいな反応してんの・・・!まさかは思うけどこれ・・・っ)


積もっていた()()()の正体を勘付き始めるルージュ。

しかしそれは気づくべきではないということも───同時に勘付いた。

ルージュは黒い毛先を梳くように指を通す。

何故こんなにも心情を乱されているのかといえば、


「アンタの顔は好きなんだけどさ、」


――目の前のコイツのせいだ。

そう、“私“は確かに彼に心を揺さぶられた。

しかしそれは決して彼の人柄や容姿だのにではなく、彼の“魔法“───端的にいえば力に惹かれたはずだ。


(だっていうのに・・・)


だというのに、ルージュの心臓は未だ鼓動を加速し続けている。

軌道に乗った車並みのスピードでだ。

この高鳴りは、魔法に関する興味関心ではない。

恐らく、彼───ルイヴィ・ロア・ドゥ本人による一挙手一投足に心を掻き回されてる。


そしてルージュはこの体験に覚えがあった。

婚約破棄された時の()()と同じだ。

体の制御が効かない、心臓まで届く感情の波。

“ルージュ・ダンデライオン“の、内なる激情に呑まれそうになるこの感じ。

 

───間違いない。

非常に、非常に不服だが。

至って不可解で不愉快で理解できないのだが、ルージュの体は確かに彼に


「やっぱ、今みたいな顔が1番かわいいよ。」


「───はわ」


恋に、落ちているらしい。


 

床に散らばる、鏡の断片。

そこに映るルージュの顔は、ピンク色の髪と判別がつかないほど耳先まで赤く。


(ああ───趣味が悪すぎるって、ルージュ。)


抱いてもない恋慕を自覚した門松 燐堂は、

乙女心は全開のまま――人生最悪の顰め面を見せた。


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