4話 「満ち欠け」
「───なぁんだ。やっぱ、アンタも転生者なんじゃん。」
崩れた口調。
彼が靴音を鳴らした途端、先程まで世界の中心にいた月が単なる背景素材に成り下がった。姿が明かされた彼は強かに、どこまでも強かにそこに佇んでいる。
「───転生者!?」
他に変え難いビジュアルもさることながら、強烈なのは彼の発言。素っ頓狂な展開に、素っ頓狂な声が出る。
(てんせいしゃ?アンタも?!ということは彼も、)
怒涛の流れにくらりと目眩がしたが、なんとか立て直し
「───どういうことですの?」
仰々しく咳払いを挟み、彼に向き合い直す。
事の説明を求める私に彼は心底愉快げに喉を鳴らすと、用意してたような笑みで
「悪役令嬢、婚約破棄・・・。転生系でありがちな展開じゃん?まさかな〜と思ってさ、カマかけてみたんだよね。俺にも規則性はわからないけど、この世界には“月が綺麗“の常套句もなければ“蜜月“の単語もない。ああ勿論、“ヨーロッパ”もな。伝わるとしたら、“この世界以外の人間“だけ。」
「・・・よく喋るわね。」
紳士ぶった敬語が剥がれ、彼本来の粗悪さが垣間見える口調。その節々には、私がいた元の世界特有の単語がある。本当に“転生者“なのだろう───彼も。
と事実としては認識できたのだが、正直驚きが隠せない。“悪役令嬢に成り代わった“こと以上に。
(悪役令嬢の成り代わりは一応、セオリー通りな感じしたけど・・・まさか、もう一人転生者がいるなんて。)
(普通、あのメル?とかいう女が転生者パターンでしょ。なんでその枠をイケメンが掻っ攫うの?)
改めて彼を見る。
初対面とは思えないほど馴れ馴れしい態度は、同郷の者という意識から来るものだろうか。
転生者と確信した途端、一気に砕けた気がする。
深い紺色の髪とオレンジの目が、雲隠れする月明かりの欠片で僅かに見える。
他が過剰に着飾ってる割に質素なシャツを着ていて、喉元の囚人のような首輪から垂れ下がった鎖が月光を反射して眩しい。彼の容姿はとても貴族には見えず、寧ろかなり低い階級の出に見えた。
(そういえば、一介の下人を自称してたっけ。)
まじまじと彼の容姿を上から下に総舐めしていると、気付いた彼は“サービス“とでも言いたげにウィンクを飛ばしてきた。
───別に、そういうのを求めてるわけではないんだけど。
「え、てかアンタって転生系?トラックに撥ねられたとか?」
金輪際耳にすることがないであろうセリフ。
遠慮を知らないほどにガンガン踏み込んでくる彼に、少し拒絶反応が起きた。デリカシーのないタイプ・・・有り体にいえば“苦手なタイプ“である。
「・・・成り代りってやつよ。それもついさっき、ね。
ついさっき死んで、気付いたら婚約破棄されたの。」
とはいえ言わぬ理由はないし、赤裸々に全てを打ち明ける。全てと言っても、たった数十文字で説明可能な程度の話だけれど。
(死ぬ時、痛かったなぁ・・・)
何気なしに話している内に悠久の痛みを思い出し、頭を抑える。彼のいうトラックに撥ねられるのも大概だと思うが、だいぶ惨い死に方をした自覚はあるわけで。
その経験をむざむざと掘り起こすような真似は控えてほしいと思うのは摂理だろう。何分、つい数十分前に経験した身であるからして。
死ぬ間際の、業火のような痛みがフラッシュバックしている中、犯人は呑気に「ふぅん」と生半可に返事をした。自分で聞いておいてなんだその態度、なんてのは野暮だろうか。彼も彼で性格に難ありなようだし、異世界ってこんなのばっかみたいだし───今更どうこういうのもね。せめて初対面時の礼儀正しい態度を仮初だろうが貫いてほしかったものではあるが、これが本性ならば致し方あるまい。
「さっき死んだばっか、なんだっけ?その割に結構冷静なんだな。俺が初めてこの世界に来た時なんて、信じられなすぎて鏡を3枚割ったぜ?」
「え、もっと他にすることなかったんですの?」
彼の経緯は兎も角として、指摘は真っ当かもしれない。
そりゃ私だって異世界に来ることなんて初めてだし、出生の瞬間からどころか婚約破棄という山場からスタートを決めたわけだ。事態は混沌を極め、それこそ鏡でも割ってしかるべき。
───だが、私は冷静だった。
勿論、彼の言う“の割に”が前提だが。
死んで悪役令嬢になった割に、おかしいくらい冷静。
それは客観的に見て正しい意見だろう。
「ま、ラノベの主人公なんてそんなもんだよな。」
俺は違うけど、などと文末につきそうなお気楽声で彼は言う。どこか鼻につくような、皮肉でも交えたような言い方にムッとする私───こと“ルージュ・ダンデライオン“。間違いは正さないと気がすなまい性分なのか、気に食わないことには口出ししないと気がすまない性分なのか、その両方か。
自身の人物像を誠身勝手に決めつけられたことに気を立て、“ルージュ・ダンデライオン“は訳を話し始める。
「───私、自殺したのよ。」
(あ〜、言っちゃった・・・)
本来言わなくてもいいことを、あの苦い記憶を、自ら打ち明けてしまうだなんて。
それこそ墓場まで持っていくはずの話をいとも容易く口から漏らしてしまった。
後悔は後からやってきて、私は今更ながら頬をかく。
そう、私は先ほど自死を選んだ。
判で押したような日々、苦労はない。
死ぬほど辛かったかと言われれば全くだ。寧ろ、かなりぬるま湯にいたと思う。だからこそ、ふと糸が切れたように───途端に何もかもどうでも良く思えてしまって。私は自宅のマンションで自殺した、はずだ。
「だから、これはあくまで付録よ。私は既に死を受け入れて、もう何も考えずに死にたかった。
でも、死ぬ前にちょっとした人生の付録がついてきた───そのくらいの認識。驚きはしても、死んだ身で今更取り乱すのも馬鹿らしいでしょう?」
死を覚悟して痛みの中目を閉じたら、煌びやかな会場にいて。
「自死なんて選択をした時点で、これ以上何かを経験するのにはうんざり。こんなことを言うのは卑怯だけど・・・私、もう辛苦どうでもいいの。」
と、卑屈を羅列したところで息を呑む。
つらつらと余計なことを言ってしまった。これでは、よく喋る目の前の彼と同格だ。不幸自慢のようなことをしたと彼を伏せ目で見ると、
「───あ、ゴメン。途中から聞いてなかったわ。
え〜と、なんだっけ?これ以上何かするのはやだって?んなワガママ言うなよ。」
彼は私より月に興味をそそられたのか、話の途中から月を目を細めて眺めていた。こちらを一瞥する目は明らかに感情の起伏が乏しく、実験体への好奇心に似た無機質さを含んでいた。おそらく彼にとっても転生者と会う経験は相当稀有なものだろうに、他人に無頓着にも程があるのでは?私は彼の行動に半ば呆れつつ、自身への興味のなさが僅かに苛立つ。多分これも、“ルージュ・ダンデライオン“の感情だろうが。
「まあ・・・聞いてなかったのならいいわ。忘れて。
兎も角、私はこれ以上ここに留まる理由がない。婚約破棄もされたわけだし、この子には悪いけど・・・最悪もう一度死ぬことも考えてるわ。」
生に執着がないとは言えないが、生に執着があるとも言えない。婚約破棄なんて目に遭っているのだから、これから過酷な環境が続くだろう。
ならば、ここに留まって何になる。
前世以上に凄惨な目に遭って、それで何になると?なんだか段々と自暴自棄になってきて、私は呟くように言った。
「もう、どうでもいいでしょ───」
「でも俺、お前に死なれると困るんだよね。」
「───え。」
彼を見る。
月から私へ視線の先を写した彼の顔は、善意には見えない軽薄な笑みを湛えていた。私の死を願っていないはずなのに、到底そうは思えないような軽い笑みだ。
まるでナンパでもしているような───
「生きる理由がないなら、俺が作ってやるよ。」
「いや、えっと、私ら初対面よね????」
一世一代のプロポーズのような言葉を恥ずかしげもなく言ってのけた彼に、あらゆる意味で度肝を抜かれた。
こういった言葉をつらつらと並べられるのもそうだが、何より私たちは初対面である。
どうしてこうも熱烈に求愛できたものか。
(・・・まさか、この男。)
「・・・貴方、もしかして“ルージュ・ダンデライオン“のことが好きなの?」
一つ合点がいく可能性を思いつき、彼に憐れみすら感じてしまった。だってそうだろう。彼が私が転生する前の“ルージュ・ダンデライオン“に好意を寄せていたのであれば、この歯が浮くようなセリフだって納得がいく。
が、残念ながら私は彼女ではない。
私が彼女に成り代わった時点で、“ルージュ・ダンデライオン“は死んだも同然。肉体的には彼女そのものだったとしても、この意識は果たして“ルージュ・ダンデライオン“のものと言えるだろうか?
答えは勿論、否である。
つまり彼女の精神は死んでいて、残った肉体も私が死ねば消えてしまう。
(私が成り代わったことで、“ルージュ・ダンデライオン“は“ルージュ・ダンデライオン“ではなくなったんだよね・・・)
今更ながら“ガワ“である彼女に同情の念が湧いたが、私からすれば彼女は所詮今知ったばかりの他人である。
血も涙も身も蓋もないことを言うが、彼女がどうなろうと知ったことではないのだ。
本当に申し訳なくはあるが、こっちは人生にケリをつける覚悟で自殺した。なりふり構ってはいられない。
「───はっ!俺がルージュ・ダンデライオンのことが好き?な訳ねーじゃん、面白いこと言うねアンタ。」
「・・・ぅん、何よその言い方・・・私がジョークを言ってるとでも・・・?」
彼はつくづく“ルージュ・ダンデライオン“の気を逆撫でするのがお上手のようだ。
露骨にバカにされる。
自惚れたことを言った罪なのだろうか、にしたって言い方ってものがあるだろう。鼻から抜けるような笑い声で笑った彼に、
「じゃあなんで私に死んでほしくないなんて言ったのよ。」
やはり体が若干の怒りをはらんだまま、私は腕を組んで問いかけた。
尚この質問は、私の純粋な疑問半分、“ルージュ・ダンデライオン“による自尊心からくる疑問半分で構成されている。彼が誰でも口説くような軽薄な男に見えるのは否定しないが、順序立てもなしにいきなり詰め寄ってきたワケは知りたい。
「・・・・・・んーと。」
彼は唇を曲げて視線を落とし、魚張りに目を泳がせた。
その姿はまるで、秘密ごとを告白する男子さながらで。
私は首を傾げる。
彼は口を開いて、やっぱり閉じて、もう一度小さく開いて、更に口を窄めて言った。
「───顔。」
「顔?」
「顔面が、俺の好みだから・・・死んで欲しくない。」
両者の間に、冷えた沈黙が走る。
ここで感情を整理するならば、まず第一に外見を褒められたという優越感と喜び。
これは“ルージュ・ダンデライオン“の体によるものだろう。
「───理由、くだらな。」
第二に、顔だけで人を見極め、挙句卑しい思考が丸見えな彼に対する軽蔑。これは“ルージュ・ダンデライオン“と、私の意見が一致している故の結論だと思う。
二つの感情が交差し、先行したのは第二の感情だった。
思わず苦い顔、右頬を大袈裟に引き攣らせ苦言を溢してしまう。
「顔?顔、顔って、ほんとにそれだけ?」
「いやいやいや、普通に人の死に関与するのが気分悪いってのもあるよ?」
「おまけ程度に言われたって響かないわよ。」
呆れた。そう顔に出し、私は溜息をついた。
最もらしいこと言っておけば、私だって自死なんて踏みとどまるかもしれないのに。この人、いい意味でも悪い意味でも正直すぎる。そういう素直さは嫌いじゃないけど───今に限ってその素直さは裏目だろう。
しかし、安直な彼の姿勢に毒気を抜かれたのも事実。
肩の力がふと抜けて、なんだか自分が馬鹿らしくなってきた。
(はあ。第一、私が自殺しようとしたきっかけってなんだっけ。)
ん?なんだっけ。
なんで私は、死んだんだっけ?
そもそも死因は?焼死?溺死?落下死?失血死?
(・・・?)
あれ、私。
死んだ時のこと、何にも覚えてないや。
(すっごく痛かったのは覚えてるんだけど、な?
他の“一切”が思い出せない。)
痛みによるショックだろうか。にしては、前後不覚がすぎる。何故死のうと思ったのかもよく分からない。
なんで分からないの?なんで私、自分のことなのに。
ルージュの記憶がないのと同様に、私の記憶も混濁してるってこと?でも、死ぬ前までの日常生活は鮮明に思い出せるし、自殺を選ぶ程の出来事はなかったのも分かる。平凡な日常で、ふと糸が切れたみたいに何もかもどうでも良くなった───ような気が、さっきはしたけど。そんな曖昧な理由で、私は死なない筈だ。
(頭が、とても痛い。)
ルージュの体の記憶を掘り起こそうとした時と同格の痛みが、脳を蝕む。
人は、ショッキングすぎる出来事は忘れるとは言うが、これはあまりに出来すぎていないか?
なんで、なんでなんで。なんで分からないの。
───異世界に来てから感じていた払拭できない違和感に気付いてしまい、私は心臓が煩くなるのを肌で感じた。何故私は死のうとしている?
言葉にするとより強烈な異物感に襲われ、背筋には冷たい汗が流れた。
この、“死にたい”の強迫観念はなんだ?私は元々こんなに希死念慮の強い人間じゃなかったはず。
(私、なんで自殺なんて考えて───)
「なあなあ、聞いてる?」
男の言辞に、目を見開く。
思考の坩堝にハマってたみたいな、そんな感覚。
気付けば頬に汗が伝っていて、手足が痺れそうに震えていた。彼はそんな私をあっけらかんと下から覗き見ると、数回手を振った。朦朧とする視界の中、ぼんやりと彼の姿が見える。「おーい、生きてる〜?」って、そりゃあ生きてるに決まってる。死ぬにしたって立ったまま死ぬ訳ないだろう。
「俺っていう爆イケ美青年が目の前にいながら、よく他の事考えられんね?」
「・・・貴方の顔なんて、ちゃんと見えないもの。月明かりしかないし、私の影でよく見えないわ。」
「ああ、そっか。ならしょうがない。」
彼の相手などしている余裕のない脳みそが、適当に返答を弾き出す。雑にあしらっただけだったのだが、彼は勝手に納得してくれたようだ。
しかし不覚かな、一瞬彼に思考を持っていかれたうちに、自分が何を考えていたのかを忘れてしまった。
(───私、さっき何を考えてたんだっけ。)
なんだかおぞましいことに気付いたような、気付かなかったような。ううん、なんだっけ。
瞬きの間に失念するようなことなのだから、大したことでもないのだろうけど。それにしても不自然な程に思い出せない。濃い霧がたちこめ、思考を阻害してくるようだ。もっと言えば、誰かが人為的に消したかのように。
(ま・・・いっか。きっとそのうち思い出すよね。)
そして、瞼を上げて、窓に視線を向けた。
目の前の彼がしていたように、貴方の言葉には聞く耳持たないという意思を露わにするように、月を見た。
彼は何かを羅列しているが、私は気にも留めず、見えない蝶を追うように空を眺める。
(死ぬとしたら、月のお膝元で死にたいな。)
なんて考えながら。
月は煌々と辺りの夜を消し、光を地上に運んでいた。
今日は満月らしい。影の1つも見えない丸が、夜空にぽっかり浮かんでいてとても綺麗だ。
そう、影1つのない、欠けることのない月が───
「・・・?」
彼の弁舌も聞かず、私は窓ガラスに手を添える。
外気を吸い込んで温度をなくしたガラスが、私の手に吸い付いた。誘惑されるように、私はただ月の一点だけを見る。丸ではなくなった、それを。
「月、欠けたんだけど・・・」
「───は?」
次の瞬間
「──────な、!」
無数のガラスの破片が、ラメのように周囲を照らし出した。暴力的な破壊音の連続と、一匹の怪物と共に。