1話 「死んだ花嫁」
人は何故、呼吸するのだろう。
簡単だ。生きる為だ。
人は何故、ハンバーグを食べるのだろう。
簡単だ。美味しいからだ。
ならば人は何故、月を見上げるのだろう。
簡単だ。まだ見ぬ世界へ思いを馳せるからだ。
「彼女なら、やると思ってたわ。」
───そんな言葉で始まった喧騒が耳に入り込み、炸裂する。
煌びやかな場所には似つかない悪辣な言葉が飛び交うのを、彼女は唇を噛み締めて聞いていた。
シャンデリアが彼女を嘲笑うようにぶら下がって、レッドカーペットを照らしている。
結婚式場かと見紛うそこは、端から端まで高級品揃い。
そこに人が円状に広がり、なんだかんだと噂立てているのだ。人々の注目を一身に浴びるは3人の人物。
人混みの中心で、かたや1人顔を俯かせた彼女、かたや熟年夫婦のように身を寄せ合った男女。
「ルージュ・ダンデライオン!」
名を呼ばれた彼女は、端正な顔立ちを妬みで歪め顔を上げる。
ドレスが擦れ合うのも、宝石を模ったアクセサリーが肌にぶつかるのも、さほど気にならない。
兎にも角にも、目の前の男女が憎くて憎くてしょうがないのだ。
「ギル様・・・これは一体、どういうおつもりですの?」
彼女は可能な限り平静を装いながら、崩れる顔を正した。心中は燃えるような感情でいっぱいだったが、それを決して悟られないように。
彼女の問い掛けに石を投げるかの如く、喧騒は勢いを増す。
「どういうつもりって、ねえ?まだ状況が理解できてないんだってよ。」
「ええっ、それは言わないお約束だって。可哀想じゃん。」
くすくすと擬音じみた声。
四方八方彼女を貶める下劣な言葉ばかり。
それに拳を振るわせながらも、彼女は確固たる姿勢を崩さない。
しかし、彼女も理解していた。
───これが、どういう状況なのか。理解していながらも、納得がいかない。
「きゃ、睨まないでくださいっ・・・」
「は?」
彼女が男を荒んだ目で睨んでいると、男の隣で腕にしがみ付いていた女が高い声を上げる。
女なんか、文字通り彼女の眼中になかったというのに。───なんて驕った考えなのだろう、私の眼中に貴方がいれると思っているなんて。
そこで初めて彼女は女を一瞥し、キツく睨みつけた。
「!」
女は本当に睨まれるだなんて考えていなかったのだろうか、息を詰まらせ萎縮する。
すると、そんな彼女の視線を遮るように男が前に出た。
「お前という女はっ・・・!どこまでいっても心身共に醜女なのだな!もういい、お前とは───ッ」
嗚呼、ついに来たか。
そう、彼女は知っていた。
男が言うであろうセリフ、自らが取るべき行動、ひいてはこれから起きることまで。
運命を傍受したように、静かに目を瞑って先を待つ彼女。
(私───)
「お前とは、今日をもって婚約を破棄させてもらう!」
正々堂々、男の宣言。
(───私、悪役令嬢になってしまったらしい。)
それにざわめく周囲の人間云々置き去りにして、
彼女は予定調和の"婚約破棄"には目もくれず、1人密かに現状を憂うばかりであった。