鍵付きの半分の押入れ
※具体的な虐待の様子、辛辣な言葉かけの場面があります。
読むのが辛い人は本文は飛ばしてください。
あらすじ
母を助けようとお手伝いに励むようになったメイ。
しかし母の様子はどんどん変わり、言葉や暴力でメイを傷つけるようになる。
母は、3ヶ月ほどで紙製品を作る工場に就職が決まった。
その頃から、家にいても疲れて眠っている時間が増えて、よくわからない事で怒るようになった。
お手伝いをがんばるから、と子供用の包丁を買ってもらったあたしは料理・洗濯・掃除などを少しずつ覚えていった。
できることが増えたら、お母さんは楽になると思った。
そしたらまた遊んでくれたり、抱きしめてくれるんじゃないかっていう打算もあった。
まったく逆の事が起こるなんて夢にも思わなかった。
「お母さん、あのな、お友達のMちゃんってすごいねん。めっちゃ可愛くて、勉強も運動もできるねん!」
「お母さん、あんたのお友達の話聞いても別に嬉しくないわ。何をそんなに嬉しそうにしてるん?」
母は、あたしが友達の話をするのを嫌がった。というか、どんな話をしても少し前のように笑ってくれる事がなくなった。
"嫌がる"が"怒る"に変わり、"暴力"に変わるまでそんなに時間はかからなかった。
理由は、あればなんでも良かったんじゃないかと今は思う。
洗濯を取り込み忘れた、ごはんを炊いていなかった、何か気にさわる事を言ったーーー。
そういう何かがある度、母は長い時間大声で罵倒するようになった。
「なんやのその物の言い方は!」
「お母さん大変やのにあんたは!」
「泣いたら済む思てるんやろ!」
「なんであんたはそんなんなん!」
はじめは、そんなふうに。
「いい加減にしいや!」
「嫌がらせか!?」
「お兄ちゃんは優しかったのに!」
「あんたには思いやりのかけらもないわ!」
次に、そんなふうに。
「あんたなんか生まんかったら良かった」
「あんたは生きとったらあかんねや」
「あっちいき!どっかいき!」
「顔も見たないわ!」
こんなふうに言われる頃には、お風呂に顔を浸けられること、掃除機の柄の部分で叩かれること、鍵付きの半分の押入れに閉じ込められることも増えた。
真冬のベランダに放り出された事もあった。
高学年になると、母は1階、あたしは2階で寝るようになった。
夜になると、あたしが寝ていても、母が「うるさい!」と言って、また何か、あるいは素手で寝てるあたしを叩く。
寝ぼけたままでは体を丸めてやり過ごす事ができないから、あたしはベッドと押入れの隙間で耳をぴったりくっつけて寝るようになった。
母が起き出したら、すぐにわかるように。
そんな事ばかりしていたからか、今でも自然には寝返りがうてず、すぐに目が覚めてしまう。
2人だけの家で、止める人は誰もいなかった。