誰も悪くない
小さい子供はアクシデントが起きやすくて、あたしも例にもれなかった。
何人かでプールに遊びに行った時、足のつかない場所で浮き輪からすっぽ抜けて溺れたり、自転車でころんだり。
中でも小学校一年生の時の、お風呂での火傷は悲惨だった。
夏休みのはじめ、近所の友達のSちゃんが泊まりがけで遊びに来てくれた。
家から家が見えるくらいの距離で、よく遊ぶ友達だった。
「メイ、お風呂のお湯してきてー」
「はぁい!」
夕飯を食べ終え、お母さんは洗い物をしながらあたしに言った。
お湯してくる、というのは"熱湯を止めて水で埋める"作業の事だ。ヨンコイチのお風呂は当時でも古いタイプで、お湯の温度は70度ほどで温度調節はできなかった。
そのレバーはあたしの身長では少し届かなくて、いつも風呂フタにのぼってお湯を止めていたのだけど、その日はどういうわけか風呂フタの向きが逆になっていた。
あたしは70度の熱湯の中に、服のまま転落しちゃったのだ。
あつい。いたい。こわい。おかあさん。おかあさん。
たぶん気を失ったのだと思う。
次に覚えてるのは、Sちゃんのお父さんに抱かれて救急車に運ばれているところだ。
後から聞いた話によれば、Sちゃんが走って家まで帰り、話を聞いたSちゃんのご家族が救急車を呼んでくれたんだそうだ。
道路の都合で家の前まで入ってこれなかったから、待機していたSちゃんのお父さんがいち早く運んでくれたのだろう。
お風呂から引き上げてくれたのもSちゃんのお父さんだったのかはわからない。
あたしのお母さんであってほしいと思う。
火傷自体はそんなに重いものではなく、跡も残らず綺麗に治った。
ただ、顔・お腹・お尻以外の皮膚がすべてめくれてしまったので、2週間の入院と1ヶ月ほどの車椅子生活をすることになった。
入院の期間中、とても辛かったことがある。
包帯の交換だ。皮膚がめくれたところに巻かなくてはならず、毎日交換をしなければならない。控えめに言って、激痛。
廊下に響くほど泣き叫ぶあたしの声に耐えきれなくて、お母さんは包帯の交換の時には病院にいないようにしたと言っていた。
子供の頃は、その話を聞いて、「お母さんは優しいから、痛がってるのに耐えられなかったんだな」と本気で思っていた。病院の売店で買ってくれた、花束を持ったもぐらのぬいぐるみに"ハナコ"と名付け、肌身はなさず持っていたのは、本当は、本当にさみしかったからなんだと思う。