ヨンコイチ・駐車場付き・大好きなお母さん
お母さんは37歳の時にあたしを生んだ。
離婚した後で妊娠がわかって、再婚したけど結局ダメになったって言ってた。
へその緒の箱の裏の名前は、あたしだけ名字が違った。
戸籍の続柄も"長女"ではなくて"女"だった。
だから、お母さんのお気に入りだったパネルの中で、お母さんを抱き寄せて笑ってたあの人が本当にあたしのお父さんなのかはわからない。
お母さんはそっくりだって言ってたけど、どこが似ているのかあたしにはわからなかった。
あたしが7歳になるまでに、あたし達は4回引っ越した。
最初の記憶に出てくるのは、3回目に引っ越した家。
大阪の田舎の方で、ベンチもない小さなバス停が最寄りの、小さな四戸一。
車はないけど、お母さんが通園の為に買った、"めっちゃええやつ"の自転車と、たくさんの鉢植えが自慢だった。
「お母さん、どこ行くん?」
「お母さんとメイの、新しいお家になるかもしれへんところよ」
まっすぐな道は、4歳のあたしにはどこまでも続いてるように見えた。
お母さんがどことなく楽しそうで、あたしもなんだか嬉しくてソワソワした。
「お母さん、階段あるね!メイ、上に行ってもいい?」
小さな家の真ん中を分けるみたいな階段は、かなりせり出していて、人一人通るのがやっとだった。
「ええけど、階段、急やからゆっくり登りや」
階段ゆっくり登りや、というセリフを、お母さんは毎日のように言っていた。
心配してくれる優しいお母さんが大好きだった。
「お母さん、メイ、前のお家に帰りたい」
「そっかぁ。困ったねぇ」
あの頃、お母さんはあたしが新しい保育園に馴染めないさみしさからこういう事を言っていると思っていたらしい。
本当の理由は、汚れる事を嫌う子供だったあたしには、新しい園の裸足教育が大きなストレスだったのと、それはそれは強烈ないじめっこがいたからだ。
たたく、ひっぱる、園バックを水溜まりに投げられる…あたし以外にも何人かターゲットになっている子がいたけど、園児の多さからか先生は気付いていないようだった。
ある日、ターゲットの中でも一番大人しいSくんという男の子が、いじめっこの手の甲にえんぴつを突き立てた。
あの時の目の前の衝撃映像は、その後もずっと心に残り続けているし、いじめ、しない・させない・見逃さないというあたしの矜持の発端になっている。
この頃のことを、母は園の卒業文集の中で、"あまり熱心なお母さんじゃなかった"と書いていた。
だけど、階段を登るたびに「ゆっくり登りや」と声をかけてくれて、「お腹すいた」と言えば「すぐ作るね」と食事を用意してくれるお母さんの事が、あたしは本当に大好きだったし、毎日お迎えが早くなる想像をするくらい、いつもお母さんと一緒にいたかった。