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雨の降る日は淋しくて、あなたにそばにいてほしい。〜碧の海とオレンジの空に。

作者: 友坂 悠

 ゆったりとした雨が街全体を包み込む、そんな金曜日の午後。あたしは通りの角にあったレトロな風情がする喫茶店の扉をあける。

 カランという音が鳴るのと同時に、「いらっしゃいませ」と耳障りの良い声がした。

 軽く会釈し一人ですと人差し指をたて小声で伝えると、「空いてますのでお好きな席にどうぞ」と笑顔でおっしゃる店員さん。

 窓際の奥、いつものお気に入りのソファーの席が空いているのを見ながらゆっくりそこまで歩いていった。

 天井から吊り下がった棚に並ぶ古びた本。飾られたセピア色の写真たち。場違いにも見えるちいさなクマのぬいぐるみがかわいくこちらをみているのに癒されながら、コートを脱ぎ軽く畳むとゆったりソファーに腰掛ける。

 ここに来ると、慌ただしい時間の流れから抜け出せたような気がする。

 それが、好き、だった。


 カウンターの前にはいくつものサイフォンが並んでいる。芳香な珈琲の香りも嫌いじゃないけれど、ここにきた時にはいつもロイヤルミルクティーを頼んでいる。

 猫舌なので少し待って、表面のミルクの膜がしっかりとできてからスプーンで掬って口に運ぶ。

 そうしてからカップに口をつけると、お砂糖は入れていないのにほんのりと甘く、それでいて紅茶の渋みはまったく感じない。

 まろやかで心地の良い温かさに、心の芯が溶けそうになる、そんな幸せなひとときを与えてくれた。


 この一番奥の席には飾り窓がついている。

 他の席とは違う、少し棚のある出窓には木製の彫刻が施された窓枠に、薄い緑色のガラスがはまり。

 棚には外から見てもかわいらしく見えるようにアンティークな小物、人形たちが並んでいた。

 外から見られるのが煩わしければ内側のカーテンをひけばよく、小物をよく見たい、小物の向こうの空を見たい時にはカーテンを開ける。

 あたしは主に開ける派で、そこからの景色を眺めるのが好きでわざわざこの端の席を選ぶのだったけれど、今日はまた格別に美しくみえ。

 雨のあたる窓はエメラルドにキラキラと輝いて、人形や小物たちもが幻想的にみえてくる。




 雨の降る日は淋しくて本当は一人で居たくないのに。




 一年前のあの雨の日の光景がフラッシュバックした。


「わかれよう」


 元カレから言われたそんなセリフ。


 もうダメかもしれないとは思っていた。心が離れてしまっている、そう感じることも多々あった。

 だけど、まだやり直せるはず。そう願っていたのに。


 ただ、涙を流して俯くしかできなかったあの時を。


 追い縋ることもできないでいたあの時の自分を。



 聞こえもしないのに、窓の外に当たる雨音を感じながらまた一口ミルクティーを啜る。

 悲しい記憶にまた蓋をして、外の雨と共に流してしまえたら良いのに。

 そんな、物思いに耽っていた、その時、だった。


「あおちゃん、どうしたの? 暗い顔をして」


 許しも乞わず目の前の席にどっかり座る彼。


「あ、俺、コーヒー。ミルクたっぷりのやつね」

「カフェオレでよろしかったでしょうか? それともラテにいたしましょうか?」

「はは。いいよ難しいのじゃなくって」

「では、カフェオレに致しますね。アイスとホットがございますがどちらにいたしましょう?」

「うん、アイスでいいや。たっぷりのサイズにしてね」

「承知いたしました。では、Lサイズのアイスカフェオレでございますね。少々お待ちくださいませ」


 メニューも見ずにそうオーダーする。もう、ちゃんとメニューを見て頼みさえすれば、こんなに店員さんに迷惑かけずに済んだだろうに。

 大雑把なんだから。


 見た目は爽やかな好青年、に、見えなくもない。

 二つ年上の彼、佐々木洋一郎さんは、大学の文芸サークルの先輩であたしにこうしてよく話しかけてくれる。


 最初の頃はメガネ越しのその瞳が知的に見えて。

 優しいその口ぶりにもある意味騙され。

 入学したばっかりのあたしとしては、頼り甲斐があって優しそうな先輩、と、ほんのり淡い気持ちを抱いたのも嘘じゃない。

 ちょうど失恋したばっかりの頃で恋に対して臆病になっていたあの時期じゃなかったら、そのまま恋に恋する自分を演じていたところだったろう。

 でも。


「相席、許可していませんけど」


「つれないなぁあおちゃん。俺と君との仲じゃない」


「どんな仲、ですか! 先輩、そんなふうだから軽いって言われるんですよ!」


 そう軽口を言い合いながらもそれでも本当に他の席に移って欲しい訳でもなくて。


 こんな雨の日は、こんな先輩でもそばにいてくれることが嬉しかった。




「まぁ、良かったよ。君がそれほど落ち込んでいなくて、さ」


「どういう、こと、ですか?」


「あのこと、聞いたんだろう?」


 え?


 だって。


「まあ、あいつはね、ああいうやつだから。好きなくせに、好きだからこそ、遠ざけたんだとは思うけどな」


 そんな、先輩? 何を言ってるの?


「真面目なやつだったからさ。俺とは全然似てなくって……」


 先輩の顔がカレとダブって見える。

 なんで気がつかなかったんだろう。

 イメージ、違いすぎたから?

 よく見たら、ここも、そこも、こんなにも似ているのに。

 先輩の瞳にも、じわっと涙が浮いている。


「先輩。直之さんのこと、ご存知だったんですか……?」


「鹿島直之は俺の弟だよ。子供の頃両親が離婚してさ。俺は長男だからって父親に、あいつは母親に引き取られたせいで姓は違ったんだけどね。それでもずっと大事な弟だと、思っていたんだ……」


 いつの間にか雨粒が大きくなって、窓に激しくあたるようになった。クラシカルなBGMがゆったり流れる店内にも、うっすらとザーっとした雑音が聞こえてくる。


 雨、ひどくなっちゃった。

 帰り、濡れちゃうな。


 意識をそちらに持っていかないと、我慢ができそうになかった。

 慟哭がすぐ胸の奥のその下の壁を突き破ろうとしているのがわかる。




「いいでしょ、このお店。なんだか落ち着くよね」

 そう言ってあたしにこのお店を教えてくれた直之さん。


 別れたのは彼と別の大学になってしまったせいだと思ってた。

 4月があっという間に過ぎ、5月ももう終わろうとしていたそんな時期。

 久しぶりにこの街に帰ってきたという直之さんに呼び出され、そして唐突に放たれたあの別れの言葉。

 淡い、淡すぎるくらいに淡い初恋だった。

 ううん、きっとあたしは恋に恋して、世にいう普通の恋人ごっこがしたかっただけ。

 真剣に彼のこと、知ろうとした?

 ううん、多分、何もわかっていなかった。彼がどんな気持ちであのセリフを言ったのか。

「わかれよう」だなんて口にしたのか。


 ぜんぜんわかっていなかったじゃない!!

 あたしは、ぜんぜん彼の気持ちなんか考えていなかったじゃない!!

 ただただ、彼の返信がないことに不満を持ち。

 ただただ、会えないことを悲しみ。

 そしてただただ泣いて被害者ぶっていただけ!!


 あたしになんか、カレの事を悲しむ資格なんかない。しかくなんか、ないんだよ……。



「できたらでいいんだけど、あいつの顔見にきてやってくれないかな。明日がお通夜で明後日が葬式になったけど、式は家族葬でするから手ぶらでいいから明日の晩、港葬祭だから」


「先輩があたしにかまってくれたのは、直之さんに頼まれたから? ですか?」


「まぁ、ね。様子をみてくれとは聞いてたかな。あいつもさ、余命一年だなんてあおちゃんには言えなかったんだ。勘弁してやって」




 お母様から電話があったのは、今日のお昼。直之さんの携帯を見てお電話されたんだって。

 まさか、と、思った。

 信じられなくって、どうしていいか分からなくって。

 心を落ち着けたくってここにきた、のに……。


 大粒の涙があふれ、止まらなくなった。

 不思議と声は出なかった。

 轟々と心の底から豪雨のような音が聞こえる。

 こんなところで泣いちゃ、いけないのに。

 こんなところで泣いちゃ、先輩に迷惑かける、のに。


「ごめんよ。あおちゃん……」


 テーブルの上のあたしの手に、先輩の手が重なった。


「ううん、ううん、先輩、ありがとうございます……。5分、あと5分だけこうしていてくれませんか? あたし、もう少し、だけ……」


 言葉にならなかったけど、先輩は優しく頷いてくれた。


 気がつけばいつの間にか雨が止んで、オレンジに染まる雲が見えていた。

 まるで天井に別の世界があるかのような、そんな不思議な光景。

 お店の窓からそんな綺麗な鱗雲がのぞき見え、あたし達の席の飾り窓にも優しい光が差し込んでいた。


「まるで君の名前のようだね」


 え?


碧海(あおみ)って名前とさ、このエメラルドグリーンの海のような景色がね。似てるかなって」


 あっけにとられ、彼のその顔をじっと見つめてしまった。


 やっぱりこの人と直之さんは兄弟なんだな。そう実感して。


 直之さんにも同じ事を言われたことがあった。

 それがとても嬉しくって。あたし、カレのこと、好きになったんだっけ。


 5分、以上はかかってしまったけど、やっと心が落ち着いてきた。

 洋一郎さんの優しさも、あたしの心に響いてきていたから。


「ありがとう先輩。やっと落ち着きました。もし良かったら今日おじゃましちゃったらダメですか?」


「大丈夫? 今日はまだかあさん家だから、俺、案内するけど」


「お願いします。直之さんとちゃんとお別れしたいから」


 一年前に終わった恋。

 そう思っていたはずだったのに。

 恋に恋した子供の恋。そう思っていたはずだったけど。

 あたしがこの一年の間寂しい思いをしないで済んだのも、きっと直之さんのおかげ。

 そして、洋一郎さんのおかげ。


 洋一郎さんにとってあたしなんか多分弟のもと彼女くらいな認識しかないのかもしれないけど。


 うん。今はまだそれでいいや。

 あたしのこの心だって、どこまで本当なのかまだよく分からないから。




 お会計を済ませ外に出ると、外にはまだいっぱいに広がるオレンジがあった。

 鱗雲に映る夕陽が、まるでもう一つの地上に見える。


「直之さん、あのお空の向こうにいるのかしら……」


 そうぼそっと呟く。


「うん。きっとそうだ。今度こそ、向こうの世界で幸せになって欲しいな……」


 彼も、そう、同じ想いでいてくれる。

 それがとても嬉しくて。


 涙が一筋ほおに流れたのがわかった。




 きっと、夕陽がとても眩しかった、から。



           END


ここまで読んでくださりありがとうございます。

このお話はノベルアッププラスさんっていうサイトの「雨の文芸3題噺」というイベント用に書き下ろしたものなのですが、せっかくだからなろうさんでも読んでもらいたいなぁと思ってアップしてみました。

いわゆる読まれる系のお話じゃ、ないかもしれません。

でも、ちょっとでもいいなぁと思っていただけましたら、ブックマーク・評価・いいね・感想・レビュー、すごく励みになりますのでよろしくお願いいたします。


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