嫌われる絵のその後 詐欺師と荒療治
絵を描くと言うことは、とても簡単なことだ。
誰にでもできる。そこに、ある程度の摩擦係数を持つ面があり、摩擦によって何らかの軌跡を残す物体があり、それを摩擦が発生する程度の力で引くことのできる手と、その軌跡が成すべき形を予測する知能さえあれば、絵は描ける。猿やゾウですらそれをやる。おそらくそこに面白みを感じたとしたら、カラスだってやるに違いない。
ただ、ある程度の修練を積まなければ、技巧的な絵は描けない。素直で心地よい絵にはなっても、写実的であったり、華美であったり、細密な絵にはなかなかならない。それらがいきなりできるのは一握りの天才だけだと思う。また、一度ある程度積み上げたとしても、描くという動作から離れれば離れるほどその時間に比例して積み上げたものは霧散していく。
絵をやめて十数年。久々にシャープペンで絵を画用紙に描いた時、「もうだめだな」というのが第一印象だった。全くわからなかった。何がわからないのかもわからない。まゆの位置? 目の大きさ? 鼻の描き方、ほおとそれに続く耳や顎の位置。首の太さ、肩幅、胴の長さ、足の長さ……何もわからない。構図。位置関係。わからない。「手が覚えているだろう」と軽く考えていた。何も出てこなかった。真っ白だ。それなりに表情のある顔を描いたり、背景付きの全身絵を描いていたのが嘘みたいだった。いやいや。そんな。
そんなばかな。
衝撃だった。こんなにダメになるものなのか。ちょっと信じられなかった。自転車に一度乗れるようになった人間が乗り方を忘れないように、絵を描くのだってある程度は残ると思っていた。それが、線の一本も満足に引けない。
どうしたものか、と思った。とりあえず、勘を取り戻すまで描くしかない。小説をウェブにアップする時のアイコン用の絵さえ、たとえ完成度は低かったとしても我慢できるレベルで付けられればいい。紙にえんぴつで描きたかったが、それをやると子供たちが襲い掛かってくるので夜中にスマホで指で描くところから始めた。適当にフリーのお絵描きアプリを入れて、細い線で描くとイライラで気が狂いそうになるから太い線で描いて削り出すようにして絵を描いた。
そうしていると、少し手が絵の描き方を思い出した。そうなるとペンで普通に描きたくなった。iPadとiPad pencilを買った。紙に描くみたいに描けるようになった。でもまだまだ。絵を辞める前には程遠かった。描けない。描けない!
さて。どうするか?
iPadを買うのと前後して、Twitterを始めていた。正確に言うと、2014年にアカウントを作ったものの、全く触っていなかったアカウントを動かしていた。諾々と流れてくるタイムラインを見るだけでろくに誰のフォローすらしていなかったのを(フォローしていたのはふなっしーだけだった。しかもそんなに熱狂的なファンというわけでもない)、ちょっとネット上で知り合った人や、創作関係の人をフォローするようになっていた。
そうしているとたくさんの人が日々色々なことを呟いていた。イラストが欲しいと言っている小説系の創作家さんがぽつぽついることに気がついた。これだな、と思った。需要と供給。「リツイートした人の小説を読んで絵を描きます」という企画をぽんとやった。とにかく描くしかないと思ったからだ。真面目に、まともに。しかも、自分が逃げられない形で、自分だけでは発想できない絵を。
その時、フォロワーさんの数は30人いたかどうか。イラストだってほとんどアップしていなかった。だって再開してほんの二ヶ月やそこらだったんだから。今思えばとんでもない。しかもサンプルにはイラストを辞める寸前の、いわば全盛期だったころの絵をぶらさげた。完全に詐欺だ。
でもこれがものすごかった。たしか90RTくらいされて、抽選にしないととても描けないくらいの人が参加してくれた。絵が興味を引いたというよりは、その時流行りのタグの恩恵だった。Twitterってすごいな、と思った(ちなみにこの後にも先にもそんなにリツイートされた事はない。思うに、たまたまおすすめか何かに表示されたんだろう)。
それで、一枚絵を3人の方に、キャラ絵をお二人に描いた。この時、自分の中で決めていたことがあった。人様の小説だ。何が出てくるかわからない。ただ何であれ、その小説を読んで思い浮かんだイメージから逃げないこと。相手がいる。人に渡す絵だ。募ってまで描かせてもらうのだ、それなりに真剣にやらなければならない。そうでなければ失礼だ。「これは難しいから別な構図にしよう」とか、「とにかくキャラの顔で画面を埋めちまおう」とか思わないこと。
荒療治。
そしてその、描かせてもらう絵の一作目で、転機があった。シーンが電車の中だったのだ。電車。
今まで一度もそんなもの描いたことがない。というか、考えてみればそういう資料を見ながらバシッと描かなければ伝わらないようなものを、ひとつも、描いたことがない。自信がない……。
過去にも描いたことがないような構造物を、今、描けるのか?
多分無理だ。どうやって描けるのかわからない。逃げるか? ホームのベンチなら描けるかもしれない。それすら描いたことはないけど。
暫く考えた。駅? 電車。電車の中……。イメージしたのは駅のホームに電車が停車していて、その電車の中の一番ドア寄りの座席に主人公が座ってスマホを触っているシーンだった。ドアが開いているから、ホームから向かいの席に座っている主人公が見える。そういうやつ。
難しい………。
もっと楽なイメージを出したらどうだ。リハビリで描く絵じゃない。骨折して繋がったばかりの足でいきなりフルマラソンみたいな話だ。骨折する前にもやったことがないような、ゴールできるかわからないことをやってどうする。
でも、今回は描くと決めた。やってみなければ。確かに描いたことがない。でも昔の腕前なら、描こうと思ったら描けたんじゃないか。ただ描く機会がなかっただけだ。だから、今描けないわけがない。
それで、電車を検索しながら描き始めた。思った構図の写真は見つからなかった。かなり近いのを見つけて、頭の中で足したり引いたりしながら描いた。正直、かなりエネルギーが要った。でも楽しかった。そして、何よりどんどん「電車っぽく」なっていくことが嬉しくてたまらなかった。電車だ!
それで、結果的にかなりイメージ通りの絵を描くことができた。
今見れば、かなり拙いところが目につく。エフェクトでの誤魔化しも大きい。でもこれで、音を立てて自分の壁が一つ消えた実感があった。描ける。
一度も描いたことがないものでも、今、描けるんだ!
それからは思いつくままに描いた。描けないことはない。今までできないと思っていただけだ。怖くなくなった。この後もこういう企画を何回かやった。絵を描きあげて渡しても、全く嬉しくない感じの人もいた。それでも良かった。自分の発想外から来る描くつもりのない、思いつきもしなかったものを、自分に描ける事がわかっただけで充分だ。
考えてみれば、無茶なことをしたもんだ、と思う。昔の絵と同じクオリティを求めて参加してくださった人はがっかりしただろう。本当にその点は申し訳なかったと思っている。
それで、今はもう、かつての全盛期以上に色んなものが描けるし、上手くなったと思う。
正直、これ以上上手くなるイメージはできない。でも絵を描くのを再開した時もそう思っていた。あの時は、「昔以上に上手くなることはないだろうが」と思っていた。でもそれを超えたので……
今より上手くなった自分のイメージはできないけど、上手くなれるのかもしれないとは思っている。
企画にご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。
企画絵には本来はご参加くださった創作者様の小説タイトルが入っております。今回は自己反省的なエッセイのため、このような掲載としました。
最後の絵は今日(2023年9月30日)描き終えた最新の絵です。