九月の紫陽花
人生五十年も生きていれば、不安なんてなくなっているもんだろうと思っていたら、何のことはない。右足を出せば右足の先が気になるし、次の左足がどうなるかも分からない。要するに生きてきた分、死ななかった訳であり、最大のリスクである死を回避する経験が積み重なるだけ重なって、右足を前に動かしている訳である。小さなときは大人になったら何でもできる、と思っていたが、何のことはない。思い切り駆け抜けたその先に、まだ歩を進めていない左足にも不安があることが分かった、それだけだった。
また失敗した。業務に関する失敗は別に構わない。もちろん、社の業績に直結するようなミスは許されないが、人間はミスをする生き物だ。もし完璧にミスをなくすことができるマニュアルがあるなら、交通事故なんてこの地上からなくなっているはずだろう。誰だって、一部のゆがんだ人間以外は、事故なんて犯したくないのだから。失敗をしないのではなくて、失敗を前提として、それが起きた時のダメージを最低限に抑える仕組みを作るのが我々管理職の仕事となる。
嘘をついてしまった。これは、ミスではない。ありもしないことを、さもあるかのように滔々と述べてしまった。手元の資料にすべて書いてあるのだ。傲慢な役員はそれに目を通す時間を与えない。前置きなく姿を見せ、計画中の事業の説明をせよと言われ、慌てて役員室へと向かう。事業の概要はその資料を提出した他部の次長から事前に聞いていた。表紙に印刷された題名だけは押さえていたので、勘を頼りにその内容を説明してしまった。本当は、まったく違う内容なのに。
嘘はすぐにばれる。フォローのしようがない。さずがに「資料を見ていない」とは言えず「勘違いいたしました」と何をどうやったら勘違いするのか分からないような、これまた嘘を上塗りして、役員室を退出した。長い廊下を進んでいるはずが、右足も左足もどちらも前に向かって進んでいないように感じた。信頼というものは築き上げるのにひたすら長い時間と労力がかかるものだから。そこに嘘はない。
翌日は休日であったが小雨がぱらついていた。晴れぬ心を抱えつつ、いっそ傘を差さずに歩こうかと思ったが、世界に蔓延する感染症の療養明けでもあり健康は死守である。少し遠いスーパーまで足を延ばすことにした。コスト、利益、効率の毎日。たまには、ぼんやり歩くのもよいはずだ。通ったことのない道を歩こう。気の向くままに足を進めるうちに心も晴れる、きっと。
輪郭のない思考が雨に濡れる木々とアスファルトに溶け込んでいく。
九月の雨粒はどこから来たのだろう。
その身に真夏の熱を受け止め、空高くそのまた高く駆け上り。
夏の記憶が九月の街に降る。
小さな公園に紫陽花が咲いていた。いくつもの大輪が空に向かって咲いたまま、枯れていた。色褪せながらも薄く紫色に濡れる花弁は、華やかなりしころの姿をわずかに思い起こさせた。懸命に咲き、風にそよぎ、天に向かって歌い続けた紫陽花たちが、夏に何を見たのか、誰も知ることはできない。惚れるほどの堂々とした枯れ姿が、心に突き刺さる。
雨に打たれる紫陽花の葉の緑は、残酷なまでに鮮やかな秋の色だった。
令和四年九月、東京にて