第三章 無知無欲のすすめ
閲覧いただきありがとうございます。
人間とは欲深い故に問題を起こす種族である。
ではその逆の状態になったらどうなるか。
哲学的観点から解釈していきます。
世の中賢い人が尊敬される対象になることが多い。
ノーベル賞を受賞することはその分野にとって最高の名誉となる。
しかしそうした賢人を尊敬しない方が良い。
尊敬の念が一般の民衆の争いにつながるからだ。
世の中はもっと単純である。
例えば貴重な財産を尊く思い価値のある物だとすれば、
民衆はその価値に群がり、得ることが叶わなければ盗みを働く輩も出てくる。
何か欲しがるものを目の前にぶら下げれば、
我先にと必死になって得ようとする群衆によって世の中は混乱する。
だったらそうしたものの価値を決定しなければ良い。
理想的な人物は政治を行う際に民衆の心を空っぽにすることに努める。
価値が生み出す欲が小賢しさを増長させ各々の意志はバラバラになる。
だから、ただ民衆の空腹を解決して腹いっぱいにさせ、小賢しい意志を弱めて、体を強くさせる。
常に民衆を無知無欲の状態にさせるのだ。
そうすることによって知恵を持った所謂賢人が行動を起こしても、
民衆はそれに扇動されずありのままであり続ける。
賢人に行動させないことで知恵を遮断し、自らは何も為そうとしない。
こうすることによって物事は上手く治まるのだ。
以上が第三章部分の独自解釈である。
この章は訳者によって解釈が異なる難解な文であり、理解に苦しむ。
筆者なりに結論を出すと、賢い人=ずる賢い。
だからそのような人に惑わされること無く、常に平穏な状態(無知無欲)であることで、
物事は上手く治まることができる。
非常に哲学の要素が濃く、一般的な常識とは相いれない考え方ではあるが、
視点を変えると新しい発見があることを教えてくれる一文だ。
考えていくうちに解釈が良く分からくなっていきました。(;´・ω・)
論理が飛躍しすぎた考えに至ることはやはり並大抵の人物ではないことは良く分かります。
ただ無欲であることで物事の真髄を見極められるという考えには賛同します。