第一章 道(タオ)とはなんぞや?
閲覧いただきありがとうございます。
今回から1章ごとの独自解釈について書いていきます。
なるべく平易に説明していきますが、
もし分かりにくいところがありましたらコメントでお知らせください。
道とは森羅万象万物の根底に永遠に存在する概念であり、
世界の根源的な在り方を表している。
この世界を宇宙として、約140億年前のビックバンから生み出され、
現在の形となったとする考え方を例にとってみよう。
道とは則ちビックバンが起こす前から存在しており、そこから無が生まれて、有が生まれて、
そしてビックバン後の森羅万象に至る。
これ程壮大な哲学は正直類を見ない規模である。
故に道とはあえて付けれた名前であり、本来であれば名付けようのない概念である。
名称とはすべて我々人間がその存在対象を表すうえで形式上つけているだけに過ぎない。
知的生命である人間が、
形式上意味を成す言語を使わなければ、
未だにこの世界に名称は生まれなかっただろう。
万物が生まれてから初めて名がつけられるようになり、育まれるようになった。
人間とは欲深い存在である。
そのように我欲が強ければ、森羅万象の外面が見えているだけで物事の本質は理解できない。
では理解するためにはどうすればよいか。
物事の本質を理解し、森羅万象の奥深い内面を知るためには、
あれこれを欲する賢しい力を抑えて無欲になるのである。
無欲であるからその奥に秘められた何か特別な意味を知ることができる。
しかし、この欲と無欲は同じ場所から始まっている。
両者の概念は異なろうとも、その奥は深く、
そこから様々なものが生まれる。
上記の内容は老子道徳経の第一章に当たる部分を独自解釈したものである。
結論を言えば欲望に捕らわれず物事の本質を見抜くことが大事となる。
無欲で素朴であるからこそ諸々の雑念にさいなまれること無く、
いつも平常心で行動することができる。
そういった考え方を老子は教えたかったのかもしれない。
ご覧いただきありがとうございます。
何分初の試みでありこんなもんでいいのかと頭を悩ませています。
日々努力して理解を深めていきたいと感じました。