好きな人っている?
静まり返る部室。
真ん中に置かれた長机に着座する者はいない。
ホワイトボードの傍らに立つ恭子さんの対岸には、剣崎さんがドアを背に敵対するように向かい合っている。
僕も思わず席を立ったまま固唾を飲んで2人の様子を見守っていた。
両者が視線を交わす中、最初に口を開いたのは恭子さんだった。
「剣崎さん。あなたは野球に興味はなかったはずなのに、なぜ件の紅白戦に限って観戦していたのかな」
恭子さんの追及に、剣崎さんは外敵から身を守るように体を強張らせて反論する。
「だ、だから言ってるでしょ。白川君と赤松君の対決を見に行っただけよ。私が彼らに条件を出したんだから」
「それは違うよ。もし彼らの対決の結果を知りたいだけなら、紅白戦が終わった後に連絡するなり後日学校で直接聞くなりすればいい。野球部でもない剣崎さんが、初春とはいえ日差しの出ている中、休日にも関わらず、好きでもない野球観戦をするとは思えない」
それは確かにそうだ。
結局、剣崎さんは現地まで試合を見に行ったものの、試合どころか渦中の2人の対決すらろくに見ていなかった。
「それに加えて、あなたは試合当日の球場設備や天候に対する愚痴を散々私に語っていた。それでも球場に居座り続けたのには何か別の理由があるんじゃないかな」
恭子さんが冷静な声音で問うと、剣崎さんは言葉を詰まらせる。キッと鋭い目つきで威嚇するだけだ。その様子は何だか、肉食獣に食べられまいとする小動物のようにも思えた。
「でも……」
だからかもしれない。
僕が彼女たちの論争に割って入ったのは。
「白川さんと赤松さんは学内でファンクラブが結成されるほどの人気者です。そんな2人が同じ場所で、しかも爽やかに汗をかきながら野球をしている姿を見たいと思うのは自然じゃないでしょうか。観戦する理由としては十分だと思いますけど」
突然の僕の割り込みに、恭子さんは目を見開いて驚いたような表情になる。
別に恭子さんの推理を邪魔しようとするわけでも、剣崎さんの味方をするわけでもないのだ。
僕はただ、自分に課した使命を全うするだけ。
そのために確かめるべきことがある。
「あんた――」
剣崎さんは呆けたような表情で僕を見ていた。
確かに、彼女にとって今の僕の発言は援護射撃と受け取られてもおかしくは――
「――なんか言い方が気持ち悪いわよ。爽やかに汗をかきながら、とか。……もしかして、そっち系?」
と思いきや急激に視線を凍らせて僕から一歩遠ざかった。やっぱりこの人キライだ。
「そ、それでッ! そこのところはどうなんですか、恭子さん!」
僕は慌てて恭子さんの方に視線を投げかける。
「ま、まあ人の趣味はそれぞれだからね。うん、大丈夫。さ、最近はLGBTへの理解も高まっていることだし……きっと松下君も幸せに……」
恭子さんは少し寂しげな表情を僕に向けながら、何かを諦めるように頷いていた。
もう事件の解決どころではない。あらぬ誤解が生じつつある。
このままでは脱線ついでに巻き込み事故が起こってしまう。
「僕のことはどうでもいいですからッ! 恭子さんは推理に集中してください!」
「む、そうだったそうだった」
僕が強めに促すと、恭子さんが我に返ったように目をパチッと瞬かせた。
「剣崎さんが純粋に彼ら目当てで試合を観戦したかどうかって話だよね。そこはぬかりないよ」
「と言うと、もうすでに何かしらの証拠を掴んでいるんですね」
「いや、全然」
「え? じゃ、じゃあ剣崎さんが試合を観に行った理由も……」
「それがわからないからこうやって議題に出してるんじゃない」
恭子さんはそう言ってバンバンとホワイトボードを叩く。
あまりの開き直りように思わずため息が溢れ出た。
そこはもっとこう、名探偵らしくスムーズに問題を解決するものだと思っていたからだ。
けど、そこで改めて思い直す。
恭子さんはもう名探偵ではなかったのだと。
「わからないから、これから聞くんだよ」
「き、聞く……?」
わからないから聞く――それはこれまで誰にも頼らず、自らの力のみで道を切り開いてきた恭子さんにとってあまりに不自然な言葉だった。
でも――
名探偵としては失格かもしれないけど、人間としてはこれで正解のような気がした。
恭子さんにもわからないことがある。
その事実に僕はどこかほっとしていた。
そして、恭子さんが続けざまに発した言葉に再び驚かされることになる。
「剣崎さんはさ……」
彼女の口元が緩む。
「好きな人っている?」
好奇心に満ちた、言うなれば女子高生らしさ全開に色めきだった声音で、そんなことを聞いてきたのだった。