謎解きのあとには解決編を②
名探偵神津恭子の行動原理は至って単純なものだった。
謎を追い求め、出会い、それを解決する。ただこれだけだ。
それ以上でも以下でもなく、欲望のままに純粋に、尚且つ徹底的に一片の妥協も許さず、謎を解くためだけに頭を働かせ、その結果を推理として放言する。
故に、事件の捜査に携わる際も、自らの推理で謎を解いて――そこで終わり。
犯人は誰なのか。犯行に踏み切った動機は何なのか。それら全ての謎に関わりない事柄には一切の興味を示さない。
言うなれば、彼女は事件を解決してきたのではなく、事件に潜む謎を解き明かしてきたに過ぎないのだ。
それでも彼女が謎を解いた結果、事件自体が急速に解決へと向かってしてしまうものだから、捜査関係者やマスコミがこぞって『神津恭子はどんな難事件でも解決してしまう名探偵だ!』などと言って持て囃した。
そして、彼女は何者かの手によって壊された――。
彼女が視ているのは謎であって人でない。
そんな冷酷で合理的な思考をもった彼女が、今、人と向き合っている。
謎を解いたその先にある、人の心の領域へと足を踏み入れようとしている。
僕はそれを、その光景を、どのような感情を以ってして見守ればいいのだろうか。
「謎は確かに解けたよ。でもね、それでこの事件が解決したとは言えないんだよ」
恭子さんが自らに言い聞かせるようにして呟く。
雨粒のようなか細い声量でも、張り詰めるほどに静かな空間では耳朶の奥にまで浸透する。
剣崎さんはその沈黙を嫌うように言葉を吐き捨てた。
「事件は解決したじゃない。私に言い寄ってきた2人が、どうして揃って条件をクリアしたのかがわかったんだから」
「剣崎さん。私は最初に言ったよね、『嘘をついた人間が分かった』って。でも、今さっき披露した私の推理の通り、白川君も赤松君も嘘をついてはいなかった。これがどういう意味か、わかるよね」
「私が嘘をついてるって言うの?」
「そうだよ」
「何のために?」
「それは……。わからない――」
剣崎さんの追及に、恭子さんが悔しそうに顔をしかめさせる。
「――けど」
しかし、その表情は一瞬のうちに拭い去られた。
「わからないからこそ、わからないままにしてはいけないんだよ」
堂々と恭子さんが言い放つ。
僕はその言葉を聞いて驚いた。
あの恭子さんにもわからないことがある――そこではなく、謎にしか興味を抱かなかった恭子さんが、なぞとは無関係であるはずの人を知ろうとしている。
知るべきだと、そう言っているのだ。
「はぁ? 言ってる意味がわかんないんだけど」
恭子さんの開き直ったような態度にうんざりしたのか、剣崎さんは今度こそドアノブに手をかけて部室を出ようとする。
その時だった。
「帰るんだったら、これを見てからにしてほしいな」
恭子さんの声が響いた瞬間、陰鬱とした部室に一気に光が差し込んだ。僕と剣崎さんは何事かと思わず窓の方を振り返る。
見ると、恭子さんが窓を遮るように置かれたホワイトボードをゆっくりと回転させていた。
あのホワイトボードは両面に書き込めるようになっており、上下に回転させることで表と裏を入れ替えることができる。
その回転の際に、後ろの窓から光が一時的に大きく漏れ出したのだ。
入ってくる光に顔をしかめながら、恭子さんが回転させたホワイトボードの、先程までは裏になっていた部分に何事か書かれているのが目に入る。
完全にそれを視認できたのは、再び光がホワイトボードによって遮られてからだった。
その白面の上部には、恭子さんの文字で大きくこう書かれていた。
「『なぜ、剣崎夏子は紅白戦を観戦したのか』……?」
僕が読み上げると、恭子さんは真剣な表情で頷いた。
「私が、紅白戦を観戦した理由……? そんなの知ってどうしようってのよ」
剣崎さんの声に今までの力強さは見られない。女王のような振る舞いは鳴りを潜め、心なしか萎縮しているようにも感じられる。
そんな彼女の様子を見て、恭子さんは安堵にも似た表情で優しく語り掛ける。
「やっぱり、そうなんだね」
「は? なに言って――」
「今までの話の流れからして、剣崎さんが紅白戦を見に行く理由は白川君と赤松君の対決を見届けること以外にないはず。なのに、いま剣崎さんは『そんなの知ってどうしようってのよ』と言った――まるで隠された別の理由があるみたいに」
「――ッ!」
剣崎さんの息をのむ音が聞こえる。明らかに動揺していた。
彼女が紅白戦を観戦した別の理由がある――それはいったい何なんだ?
「私はこの事件を解決するために、その理由を暴かなければいけない」
剣崎さんの手は自然とドアノブから滑り落ちていた。