野球部主将も嘘をつかない②
郷田さんの『原因は分かっている』という言葉に、恭子さんは僕が静止するよりも早く反応した。
「それって、もしかして――剣崎さんのことかな」
「ちょっと恭子さん! それは――」
と言いかけて慌てて口を閉じる。ここで僕が変な反応をする方が怪しまれると思ったからだ。
それにしても、剣崎さんの名前をすんなり出してしまうなんて。依頼人きってのお願いで自分の名は伏せるよう言われていたのに。
けど、恭子さんに全く悪びれる様子はなく、
「別に相談に来たことを伏せるよう言われているだけだから問題ないよ」
と今度はこっそり僕に耳打ちしてきた。そういうものだろうか……。
恭子さんがおもむろに出した剣崎さんの名前に、それまで面食らっていた様子の郷田さんが口を開く。
「どうしてお前たちが剣崎の件を知っている?」
「それくらい当然だよ。なんてったって私は名探偵だからね」
「め、名探偵?」
郷田さんが今度こそ目を白黒させはじめたので、僕が慌てて補足する。
「恭子さんは数年前に探偵として活躍してたんですよ。一時期テレビとかにも出てたんですけど、知りませんか?」
「そんなに有名だったのか!? すまない。俺はこの通り野球バカなもんで、テレビとかそういうのには疎くてな」
郷田さんは申し訳なさそうに謝っているけど、知らない人が多いのも当然と言えば当然だった。
恭子さんが探偵として活躍した時期はそこそこあったものの、メディア露出が増えたのは”あの事件”に関わるほぼ直前。時の人扱いされる前に表舞台から姿を消していたのだ。
子役時代は活躍したけど、その後鳴かず飛ばずで今はひっそりと学校生活を送っている元役者……みたいな例えが僕的にはしっくりくる。
「それより、お前たちはこの件についてどこまで知っているんだ?」
郷田さんが探りを入れるような慎重な声音で僕たちに聞いてくる。この件が公になるのは野球部の評判にも関わってくるから不安なのだろう。もし万が一ファンクラブのメンバーにでも知られたらと思うと、直接関係ない僕でも背筋が震える。
ここはどう答えるのが適切だろうか。風の噂で聞いたと言えば……いや、それだとすでに噂が広まっていると郷田さんに変に勘違いされて、あらぬ心配をかけさせてしまう。
「剣崎さんを取り合って2人が揉めているところまでかな」
とそこで、恭子さんがふんわりと含みを持たせて答える。嘘をついてはいないが詳細には話さない、絶妙なさじ加減だ。ナイスです恭子さん。
「全部知っているのか……」
郷田さんが声に落胆の色をにじませる。
全部ということは、白川さんと赤松さんが紅白戦で剣崎さんを賭けて競い合っていたのは知らないのか。
僕は恭子さんに目配せすると、恭子さんがそれを見て小さく首を振った。勝負のことに関しては秘密にしておこうというニュアンスだろう。
「お前たちはどこでその話を聞いたんだ?」
だが、すかさず第二の矢が飛んできた。
郷田さんが恭子さんに尋ねる。隠しきれない声の威圧感が、まるで尋問されているかのように耳に響く。うっ、怖い。
「私が剣崎さんの隣の席で、たまたま耳に入っただけだよ。私たち以外に他の生徒は誰も知らないと思う」
「そ、そうか……」
しかしそこはさすがの恭子さん。
凛とした態度で端然と答えると、郷田さんはひとまず恭子さんの言葉を信じることにしたのか、安堵したように目をつぶった。
「逆に私から質問するけど、郷田君はその話をどこで知ったの?」
「俺か? どこで知ったもなにも、その現場に居合わせたんだよ」
「現場に、ですか?」
「ああ。あれは紅白戦の前の週、水曜日だったか。部員が帰った後に週一で副主将の2人とミーティングをするんだが、そこに突然剣崎が現れてな。2人に告白されたことをわざわざ伝えに来たんだよ。2人はそこで初めて、お互いが剣崎に告白した者同士だってことを知ったらしくてな。そのあとの雰囲気は……お察しのとおりだ」
剣崎さんの話を聞いたときは、一人の女性を男たちが奪い合う構図を勝手に想像していたけど、実際は剣崎さんが2人をわざと焚き付けたのが事の始まりだったのか。
衝突した2人が剣崎さんを奪い合おうとしたのではなく、剣崎さんが意図して白川さんと赤松さんに自分を奪い合わせるよう仕向けたのだ。
僕はその事実を知り、剣崎さんのことがますます嫌いになりそうだった。
「しかも剣崎のやつ、何を思ったか知らないが、先週の紅白戦を観戦しに来たんだよ。派手な格好で一塁スタンドに居座ってるもんだから腹が立って思わず睨んだら、逆に睨み返されちまった」
「睨み返された? 郷田君が?」
「ああ。もしかしたら、部外者の俺が3人のいざこざの現場に居合わせたことを快く思っていないのかもしれない。剣崎は当然白川と赤松のことが気になって見に来たんだろうが、あいつらはあいつらで意中の相手が見に来て、しかも恋敵との対決ときたもんだから、いいところを見せようと躍起になっていて俺がまとめるのも一苦労だった」
郷田さんは額にしわを寄せて目を細める。顔から苦労が滲み出ているようだ。
彼女にとってはお遊び感覚なのかもしれないけど、郷田さんのようにこうして関係ない人にまで迷惑が及んでいる。
彼女は野球部の雰囲気を壊してまで、顕示欲を満たしていたいのだろうか。それが単純に許せなかった。
僕が拳を固く握り憎悪を膨らませていると、その感情をしぼませるような気の滅入る音が校庭に鳴り響いた。
昼休み終了のチャイムだ。タイミングが良いのか悪いのか。
校庭にいた生徒が続々と校舎に引き返す中、恭子さんがチャイムに負けないように大きめの声で話す。
「ごめんね、話が長くなっちゃって。その、郷田君そんな格好だし、急いだほうがいい、よね?」
そういえば郷田さんは野球着のままだった。さすがにこの格好で授業を受けるわけにはいかないし、急いで帰ってもらったほうがいいだろう。
「いや、心配しなくて大丈夫だ。ほら」
郷田さんがグラウンドに面した校舎の入り口を指さす。すると、そこからぞろぞろと体操着を着た生徒たちがなだれ込んできた。
「次の授業は丁度体育だから、この格好で問題ない」
野球着の白を誇張するように分厚い胸板を誇らしげに叩く郷田さん。
確かにウチの学校は体育の時の服装は自由だけど、フル装備の野球着というのは少し目を引くのではないだろうか。
「そっか、良かった。それじゃ私たちは教室に戻ろうか」
恭子さんが話を切り上げて校舎に戻ろうとして、
「ちょっと待った」
と郷田さんに止められた。
「そういえば俺に何か聞きたいことがあるんだったよな。もう時間はあまりないが、答えられることなら全然答えるぞ」
そう言ってもう一度ドンと胸を叩く。恭子さんはもう一度郷田さんに向き直った。
「郷田君、ありがとう。それじゃ、白川君と赤松君の紅白戦での対戦成績を知りたいんだけど、教えてくれるかな」
「あいつらの対戦成績? それなら構わないが、全部は教えられない」
なぜか、郷田さんは今までの堂々とした態度らしからぬ小さな声で、自らの足元に視線を落としてその巨漢を縮こませる。
「面目次第もないことなんだが、俺はその紅白戦で足首をねんざして負傷退場してな。そのあとは医務室で治療を受けていたから、途中までしかその試合を見ていないんだよ」
「そうなんだ。だから今も一人でランニングを?」
「ああ。もうほとんど痛みはないんだが、大事を取って今週中は別メニューなんだよ」
郷田さんが恥ずかしさを誤魔化すように笑う。
「だから、俺がいた時――2打席目までならあいつらの対決の結果を知っているんだが、それでも構わないか?」
「うん。それで全然構わないよ。教えてもらえるかな」
郷田さんは首肯すると、チャイムが鳴り終わった校庭に響き渡るような明朗な声音で僕たちに語った。
「一打席目は三球三振。二打席目は――赤松らしい、バックスクリーンまで届く豪快なホームランだったよ」