王国の暗泥
石肌が剥き出しの壁面。
外光を取り入れる窓のようなものはなく、壁面に備え付けられた瓦灯が薄暗く室内を照らしている。
この空間は地下室であろうが思いのほか広い。
そしていまこの場所には複数の人たちがいた。ほとんどが男だが、女の姿も何人か見受けられる。
皆部屋の中央に視線を向けて、どこか加虐的な笑みをその面に張り付けていた。
「くぅッ、あぅッ! ……やっ、やめてょ……うぁッ!」
その部屋の中央では、大柄な男が床石に蹲っている少年を苛立たしげに殴る蹴るしている。
男は錆色の蓬髪をしていて、ギラついた銀朱の瞳には怒りがありありと浮かんでいた。
「このガキ、へましやがって! オメエが付けられたせいで俺の隠れ家が潰れたじゃねえか!!」
男は、さらに一度、二度と蹴りつけた。
蹲っている少年は身体中擦り傷だらけで、左腕の先が包帯によって固く縛り上げられている。
明らかに手首から先を喪失していることがわかるその腕先の包帯は血で赤く滲んでいた。
その様子を部屋の最も奥まった場所で眺めていた年嵩の男、『ヲルド』の首領ドルモールが、重々しい声を上げる。
「……そろそろ止めておけバルデス」
声を発したドルモールは、ガッシリとした体格をしていて、背の高さもバルデスと呼びかけた男と遜色ない感じだ。
顔立ちは整っているものの今ひとつ特徴が無い。ただ髪色があまり見かけない緑青色をしていて、黒い瞳をしている。その瞳をよく見ると、虹彩の縁がまるで金環蝕のように黄金色になっていた。
ドルモールは部屋の奥、堅牢な椅子に腰掛けている。その両脇には美人だが下卑た印象を与える女が二人しな垂れかかっていた。
「最後にヘマをやらかしたが、手首を失ってまであの御方の要望どおりに動いたんだからよ。それよりもバルデス……捜査局にこちらの動きを掴まれた事の方が問題だ。おまえ――どこでドジを踏んだ? あの御方の指示どおりエヴィデンシア家を動かす為に俺たちの手札を晒したが、法務部の繋がりは抑えてあったはず……どこかで捜査局の網に引っ掛かった阿呆がいたはずだ」
ギロリと男に睨み付けられて、バルデスが目に見えて顔を引きつらせる。
周りをぐるりと囲む男や女もニヤけ顔を収めて息を呑んだ。
「おっ、親父……俺はドジなんざ踏んじゃいねえよ。――そうだ! 貴族のバカどもがヘマしたんだ。だってよ、奴らの館が先に抑えられたんだぜ! 俺のアジトだって、このガキが考え無しに帰ってこなければ、捜査局の連中に踏み込まれることだって無かったんだ!!」
バルデスは直前まで少年をいたぶっていたとは思えないほどの狼狽振りだ。
「貴族連中にはオルフェスを使って十分に暗示を効かせてあるからな。これ以上奴らがこちらに手を出してくることは出来ねえとは思うが……」
ドルモールは床石に蹲ったままの少年に視線を向けると、己の顎下に手を添える。
(しかし解せねえ。バレンシオ伯爵は何故ここまで危ない橋を渡らせた? 手足を切る用意は十分にしてあったとはいえ、今回捜査局が動かなくとも、元々俺たちの企みが露見する可能性は十分にあった……いや、あの御方はワザとあの家に俺たちの企みを晒させた。……あれだけ時間を掛けて仕込んだ計画を台無しにしてでも、あの家を潰すことに執着したいという事か? ……それにしても、ここまで教育したオルフェスを傷物にされるとは。あの家の戦力――いや、話を聞いた限り、マーリンエルトからやって来た女どもか、その力を測り損ねたな)
ドルモールは、自分の力を受け継ぐことが出来なかった実子バルデスと、神殿の孤児院で見つけた自分と同じ才能を持った少年、オルフェスを見やる。
オルフェスには、身請けしたときから徹底的に暗殺術と共に催眠術も叩き込んだ。
自分とバルデスに対しては反抗できないよう、周到に暗示を仕込んで育てたので、普段は生意気な態度を見せるオルフェスが、いまはバルデスに対してまったく手も足も出することもできずにいる。
ドルモールは後々、息子に組織を継がせオルフェスに実行部隊の指揮を任せる心づもりでいた。だがバルデスは二十歳を超えたというのに、いまだに粗忽さが目につく。
オルフェスに怒りをぶつけて殴る蹴るしていたが、彼が巧みに大きな痛手を負わないように動いていることには気付いていない。
対してオルフェスは未だ十歳。今回の件で左手を失ったが、それでもこの先暗殺者としてまだまだ伸びるだろう。
(俺が健在なうちにバルデスには経験を積まさなけりゃぁならねえ。そのために人身売買の方を任せたんだがな……竜種売買を任せるにはまだまだ力が足ねえ。あちらは国だけでなく竜王の目も誤魔化さなけりゃぁならねえからな。ったく、バンリから切り捨てられた俺が、ここまでの組織を築けたのも、あの御方が後ろにいたからだが……今回の動きに関しては、俺にも詳細な説明をしてこなかった。……俺の力を警戒して、最近じゃあ顔を合わせることもしねえからな)
ドルモールは大陸東方のバンリ国で、大陸西方諸国の情勢を探るための間者として育てられた。
道眼と呼ばれる特殊な力を持って生まれた彼は、器具を用いずに催眠術を使うことができる。その力を使って彼は、現在大陸西方最大の王国であるオルトラント内で活動していた。
しかしバンリ国で起こった政変によって、彼の主とその勢力は滅んでしまったのだった。
バンリ国の新勢力は、前勢力が抱えていた間者たちを切り捨て、放たれていた間者の情報を各国に通報したのだ。それによって各地に放たれていた間者たちは捕らえられ処刑された。
ドルモールは催眠術を使って活動していたことが幸いして、長らく捜査局の局員たちから逃れていたが、いよいよ身辺に彼らの手が伸びてきた切羽詰まった段階で、どうせ捕らえられるならばと、オルトラント王国内で黒い噂の絶えないバレンシオ伯爵に自らを売り込んだのだ。
結果、バレンシオ伯爵の庇護下に入った彼は、伯爵が用意した身代わりの遺体を使って捜査局の目を誤魔化すことに成功したのだった。
それ以来彼は、バレンシオ伯爵から闇の仕事を請け負い、オルトラント王国の内に『ヲルド』という一大犯罪組織を築き上げてきた。
(時間を掛けて俺たちの力を貴族社会に浸透させ、時を見てこの国を混乱に陥れる。その動乱の中でさらに俺たちの力を高める。それが当初伯爵が示した道筋だったはずだが……。一年ほど前からか? 伯爵からの指示に矛盾が産まれたのは)
近年は白竜山脈に近いシモンズ侯爵領を拠点としているドルモールが今こうして王都にいる理由は、ここ最近のバレンシオ伯爵からの指示に大きな不安を感じていたからだ。結果としてその不安は的中した。
ドルモールはゆっくりと、この地下室に集まった配下たちを見回す。
「しばらく王都から離れるか……」
「おっ、親父。……尻尾を巻いて逃げ出すって言うのか」
「ほとぼりが冷めるまでの間だ。あの貴族連中が捕らえられた以上、捜査局は神殿や孤児院も調べているはずだ。下手に動いてあそこの仕込みがあぶり出される方が厄介だからな。なに、あの仕込みさえ露呈しなければ、いつでも再開できるんだからよ」
(便利使いしていたが、そういえばあの仕込みも、元を辿ればエヴィデンシア家への執着から生まれたものだったな……。あの家に対する伯爵の異常な執着は危ういが、俺もあの方と手を組んだときのように身一つじゃあねえ。それを捨てて逃げ出すには抱えたもんが大きくなりすぎた。……まあ伯爵とは一蓮托生だ。俺たちを切り捨てる事はできねえだろう。それに今回の件で、あの家もこちらへの手筋を失ったはずだ)
「捜査局の手は長くねえ。王都を離れれば直ぐに指先を触れることさえ出来ねえはずだ。それに……バルデス。おまえにはこの機会に竜種売買の経験を積んでもらうぞ」
こうなれば自分の目の届くところで息子を鍛え上げようとドルモールは決断した。
掛けられた言葉に、不満を浮かべていたバルデスが相好を崩す。
「本当か親父!?」
その危険度の高さに見合うだけの莫大な金を生み出す竜種売買は、それだけ力を持った組織として闇の世界で評価を受ける。『ヲルド』の中でも、その仕事を任されるのはドルモールに認められた手練れの幹部だけだ。
ドルモールは、しな垂れかかっていた女たちを煩わしそうに押しのけて椅子から立ち上がると、「いいかおまえら! 王都を出るが、決して纏まって動くんじゃねえぞ!!」と、この場に集まった者たちに警戒を促して地下室を去っていった。
この一幕の中ドルモールは、今回の出来事によって叛意を見せる者がいるかも知れないと考えて、バルデスや配下たちの様子をつぶさに観察していた。
結果叛意を見せる者はいなかった。だが彼の去り際、蹲ったままのオルフェスの口角が、ニイッと持ち上がった事を見逃していた。
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