モブ令嬢と騎士就学生
「授業が終わったようですし、この時間ですと修練場でしょうか? それとも図書室?」
先生と別れた私は、学園で唯一と言っていい友人、アルメリア・パーシー・カレントを探します。
「とりあえず、図書室からにしましょう」
私は、近い場所から探してみようと、ここからちょうど反対側にある図書室へと足を進めます。
彼女は騎士爵の娘で、王国北西部にある、トライン辺境伯の領地出身です。
近年では隣接する新政トーゴ王国と、国境線を巡る争いが絶えない土地で、三ヶ月ほど前に、旦那様が傷を負った場所でもあります。
アルメリアは近衛騎士を目指していて、最終的には姫様や王妃様に仕えることが夢なのだそうです。
近衛騎士は、彼女のような女性騎士を受け入れてくれる数少ない騎士団で、ここに受け入れてもらえませんと、彼女の道は大きく狭まってしまいます。
あとは大きな領地を持つ貴族の奥方や令嬢などの、護衛を兼ねた側仕えとして仕える以外の道がなくなってしまうからです。騎士を諦めるのなら、まだ道はあるとは思えますがそれは彼女の本意ではないでしょう。
彼女はとても正義感の強い方で、私が学園で疎まれ、大小の嫌がらせを受けていますと、いつも本当の騎士のように現れては助けてくれるのです。
ほんとうに――彼女が男性であったのならば、私は旦那様よりも前に、彼女のことを好きになっていたかもしれません。
アルメリアも、アンドゥーラ先生もそうですが、私は彼女たちのように自立した女性に憧れているのです。
思いもかけず旦那様と巡り会い、結婚いたしましたが、エヴィデンシア家はまだまだ安泰というにはほど遠い状況です。
たとえこの後、どうのような状況になろうとも、エヴィデンシア家をもり立てて行くために私は、旦那様にただ寄りかかってしまうような女にはなりたくはございません。
そんなことを考えておりますと、不意に足下に影が見えたような気がしました。
「きゃぁッ!」
誰かに、後ろから突き飛ばされました。
私はよろめいて、足を出して踏みとどまろうとしますが、何かに足を引かれてそのまま倒れてしまいます。
なんとか手で衝撃を和らげることができましたので、頭などは打ちませんでしたが、掌がじんじんとします。
「あら嫌だ、こんなところに農奴が紛れ込んでおりますわ」
「あら、違いますわメイベル様、ルブレンに買われた奴隷ですわよ」
「ああ、そうでしたわね。お金に困窮して、家族ごと身売りなされたんでしたっけ?」
「どちらにしましても、地面を這う姿はお似合いですわ!」
倒れ込んだ私の頭上で、甲高い笑い声が響きます。
私から姿は見えておりませんが、この声はメイベル嬢とその取り巻きですね。
メイベル嬢は、次期財務卿を目指しておられますレンブラント伯爵の令嬢です。
大叔父に当たるバレンシオ伯爵の薫陶よろしくと言って良いのかは分かりませんが、私に対するこのような嫌がらせのほとんどは、彼女が中心となったものなのです。
それに農奴娘というのは、茶色い髪に茶色い瞳をした私へのお決まりの罵倒です。今回は奴隷などという言葉が新たに加わっておりました。
「待ちたまえ、君たち! 廊下でそのように固まって、何をしている!」
この声は……。
「フローラ? メイベル嬢! 君はまた懲りもせずフローラに嫌がらせを!」
私が探していた友人、アルメリアがそう言いながら、私の元に駆け寄ってきてくれました。
「あら、田舎者の騎士気取りがまた正義漢ぶって……、私たちに何の用事ですの」
アルメリアは私を抱き起こしてから、彼女たちに向き直ります。
「君たちは何故いつもいつも、我が友フローラにこのような仕打ちをするんだ!」
「目障りなのですよ! あなたも! そこの農奴娘も! まったく大賢者ファーラム様が築いた、誉れ高いこの学園に、あなたたちのような人がいると思うだけで、身の毛がよだちますわ。特に大叔父様に冤罪を仕掛けておきながら、廃爵もされずのうのうと学園に通っているエヴィデンシア家の農奴娘には」
彼女は桃色の髪を振り乱して一息にそう言うと、何かを思い出したようにニマリと笑いました。
細めた目の間から紅色の瞳がこちらを見ています。
「……ああ、そういえばフローラさん。あなた、あの欲深なルブレン家の出来損ないに貰われたのでしょ。もしかして、今日は退学の届け出にでも来たのかしら? 出来損ない同士、館に籠もってそのまま朽ち果てて下さらないかしら」
「フローラ?」
私は、私を守るように立つアルメリアの陰から出て、メイベル嬢とその取り巻きたちと相対します。
そして湧き上がる抑えがたい感情を、その表情に表さないように気をつけて、口を開きました。
「メイベル・スレイン・レンブラント伯爵令嬢」
「なっ、なんですの? 突然……」
「私これまでは、どうせ数年のうちには学園を卒業するのですし、あなた方の嫌がらせなどその間だけ我慢すれば良いと思っておりました。そうすれば、あなたたちとの縁などもう無くなると思っておりましたので。ですが私は、グラードル様と結ばれることとなりました。そして本日正式にグラードル・ルブレン・エヴィデンシアがエヴィデンシア伯爵家当主となり、私も、エヴィデンシア伯爵家の伝統を預かる立場となりました……本日このときより、私はエヴィデンシア伯爵家を貶めるすべてのものに対して、退くこと無く立ち向かわせていただきます」
私はそう宣言しておりました。
なんとか表情は繕うことができたと思うのですが、湧き上がる感情は抑えることができませんでした。
「…………なっ、なんなのかしら――まったく。少しからかったくらいで、そのように――あッ、そうですわ、私たち今日は二月前から予約してあった、メルゾン・カーレムで食事をする日ではなかったかしら?」
「そっ、そうですわねメイベル様――少し早めに行って、ゆっ、ゆっくりしませんか……」
「えっ、ええ行きましょうメイベル様……」
そう言うとメイベル嬢と取り巻きたちは、こちらが拍子抜けするほどあっさりときびすを返して行きました。
「フローラ……君、一体どうしたんだい? まるで別人みたいだったよ。その――とても格好良かった……」
アルメリアの金色の瞳が私を捉えます。
彼女は、どこか陶然とした表情を浮かべて私の頬に手を添えました。
「え? 私、怒りを抑えようと思ったのですが、うまくできていませんでしたか?」
彼女は、女性としては短い、菜の花のような黄色い髪を持った頭を、ゆっくりと振ります。
「……怒っていたのかい? まるで、赤竜皇女ファティマ様がこの場に降臨したみたいだった」
赤竜皇女ファティマ様とは、なんと恐れ多いことを言うのでしょうか。
およそ五〇〇年前の黒竜戦争で多大な活躍をした最後の竜騎士、ファティマ様。
赤竜グラニド様の力をその身に宿し、邪竜と化した黒竜様を鎮めるため、配下の躁竜騎士マリウス様たちを纏め上げ戦った、伝説の女性です。
いまよりもさらに女性の地位の低かったあの時代に、いまは無きドルク帝国の皇帝継承権までその手にした方です。
アルメリアが貸してくれた騎士物語の多くが、ファティマ様を題材としたものでしたので、私もよく知っております。
「ところで、今日は? さっきグラードルがどうとか言っていたようだったけど」
「ああ、そうでしたそれで私、貴女を探していたのです。聞いてくださいアルメリア。私、学園を辞めなくてよくなりましたのよ。グラードル様が君は学園に行くべきだって!」
「えッ!?」
アルメリアが 目をむいて絶句しました。
あら? 私、先ほどもまったく同じ表情を見たような気がします。
「フローラ――君、正気かい」
アルメリアが私の頬を両方の手で挟み軽く振ります。
「あアルめりリア、わ、私は、正気でですわ。貴女はグラードル様のこと、あまり良い話を聞いていなかったようですけど、とても優しく、頼もしい方でしたわ」
さらにアルメリアが目を大きく見開きました。
この表情も、先ほど見た気が……
「まさか、グラードルのヤツめ……、この三日ばかりで、ここまでフローラを調きょ……う……とは、う……しい」
アルメリアの言葉ははじめから小さいので、言葉としては聞き取れないのですが、途中でもごもごと口の中に消えて行きました。
なんでしょう、彼女の眉は怒ったようにつり上がっているのですが、頬が薄く色づいていてなんだか艶めかしく見えます。
「おそらく、来週からは普通に学校に通えると思いますわ」
「……………………」
私の報告を、アルメリアはどこかぼーとして聞いています。
「あの? アルメリア? どうしたのですか?」
するとアルメリアは、何かを聞きたそうに私の顔をチラチラと見てきました。
「そ、その……フローラ。君はもう――その、しょ、初夜を済ませたのだろうか?」
普段は凜々しい、美麗の男性騎士のようなアルメリアが、それこそ少女のようにもじもじとしています。見ているこちらの方が恥ずかしくなってしまいます。
私も恥ずかしいですが、アルメリアは私の親友と言っても良い友です、彼女にならば話しても……。
「その……まだなのですの」
「えっ!? どうして……あの性欲の塊のような男がまさか」
アルメリアは驚いています。しかし彼女――まるで旦那様ではないですが、言葉の後半を飲み込んでしまいました。
「旦那様は、一年待ってほしいと……その、お願いされました」
「グハッ! まさか……放……プレイ……、な……高度な……うら……しい、グラ……ル、侮り……し」
アルメリアが、唸りを上げて服の胸元を握り込みます。ハアハアと息が枯れたようで、何を言っているのか分かりません。まさか、アルメリアまで心臓に問題が!?
「だっ、大丈夫ですかアルメリア!?」
「だっ、大丈夫だフローラ。そっ、その、君の生活が少し心配なんだが、今度一度君の家を訪ねても良いだろうか? それに、また君に見てほしい騎士物語を手に入れたんだ」
「ああっ、そうでした! アルメリア。貴女に教えたいことがあったのです」
私が、アルメリアに寄宿舎の話をすると、彼女はしばらく考え込んでから、「その申請はどこへ出せば良いのだろうか? 学園長様か、分かった直ぐに手続きしてくるよ」と言って、脇目を振らずに駆け出して行きました。
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