第九話 ミレンテ・キール
「ミレンテ・キール!?」
僕はその名に思わず仰天してしまう。何故なら、その名は僕の最も理想とする冒険者のものだからだ。
“八咫烏”のミレンテ。彼女は一流の冒険者として名を馳せている女傑である。
そのスタイルは、主とした役回りを持たない何でも屋。探索に向いたスキルを数多く持ち、かつ戦闘においては囮役、アタッカーなどの前衛、遠距離魔法や回復魔法を使う中衛もこなす。
以前の僕は、全てにおいて中途半端。得意なことは一切なかった。だから、彼女のような立ち回りのできる冒険者を目指したものだ。
けれど、ミレンテさんは違う。あらゆることに秀でているからこそ、そんな万能めいた役どころがハマるのだ。
真似した僕は、全てが平均以下の大したことのない雑魚冒険者になってしまったけど。それでも、いつかはミレンテさんのようにと腐らず頑張っていた。
しかし、彼女が本物だとすると、僕が思ってたよりずっと若いぞ……。
微かに漂う女性の色香。けれど、それは成熟しきってはいない。二十代前半といった年のころだろうか。
「あの、失礼ですけど、本物のミレンテさんですか……?」
おずおずとそう訊ねた僕に、ミレンテさんは『そーよ』と余裕の表情である。
彼女はズボンのポケットから冒険者カードを取り出すと、僕に差し出してくれた。
それは間違いなく、Aランク冒険者、ミレンテ・キールのそれだ。
「本物だ……」
「有名な方ですか?」
感動する僕に、レンと子供達がきょとんとした表情を向けている。
「塔の前線パーティに引く手あまたな凄腕冒険者だよ。どうして九階層なんかに?」
雲の上の人でも見てしまった気分だ。
高揚する気持ちと湧き出る疑問に、あわあわとなる僕。何か情けない。
「その前に――」
ミレンテさんの拳が、一瞬で子供達三人の頭上に落ちた。
「いてえ!」
「こーら、小僧共。勝手に市街層から出たらダメでしょ」
ミレンテさんは腰に両手を当てて、子供達に説教し始めた。
「ご、ごめんなさい……」
気の弱そうな少年は涙声である。
「ティルにそそのかされて……」
「お前っ! 俺を売る気か!?」
女の子の言葉に、ティルと呼ばれた少年が怒鳴る。
「何であれ、このあと騎士団のオッサン達にこってりしぼってもらうから」
「くそぉ」
ティルが情けない声を上げた。
ミレンテさんはポケットから小型の発煙筒の様なものを取り出すと、ライターで火をつけて宙に放った。
景気のいい音を立てて、赤い光が空で輝く。
「これでよし、と」
「今のは?」
「他にも捜索してる騎士達がいるからね。『ここにいますよー』って目印」
なるほど。
この子達の捜索隊への合図なわけか。
事情は詳しくはわからないけど、多分この子達は市街層から脱走して第九階層に来てしまったのだろう。
それで、騎士団の捜索隊に加えて、冒険者のミレンテさんが探しに来た。
なら、この子達は結構な人数の大人に迷惑をかけたことになる。本人達はもちろん、親御さん達も責任が問われるな、これは。
そう考えると、しゅんとしている子供達が少しばかり気の毒に思えた。昔、冒険譚に憧れて、アレスと一緒に冒険ごっこをやっていた頃を思い出す。あのときは、全てが僕達の思い通りに行くと信じてたよな。
僕は思わず苦笑いしてしまった。
「それより、アンタ達は何でこんなところにいるの?」
「え?」
ミレンテさんからの思わぬ問いに、僕は首を傾げた。
『何で』って……何で?
「だって、見るからに一〇階層の冒険者じゃないでしょ、アンタ達。素材集めで降りてきたってわけでもなさそうだし……」
いや、それを言うなら、Aランクのミレンテさんがいるのも謎なんだけど。
「僕達はまだ一階層の冒険者です。わけあって、実力だけはあるんですけど……」
「何それ、笑える」
そんなに笑える事情じゃないんだけどなぁ。
愉快そうにしているのに水差すのも悪いし、詳しい話はなしにしよう。
「それで、ミレンテさんはどうして九階層に?」
「ああ。要人の護衛があってね。別に転移魔方陣で一瞬なんだけど、アサシンの対策のため、一応ね」
冒険者ギルドには様々な依頼がある。
その内容はモンスターの討伐だけでなく、ときに違反行為を犯した冒険者の捕縛であったり、護衛任務であったり、市街層で行動する依頼もあるのだ。
時折、騎士団とバッティングして揉めることもあるのが問題になってるけど。
「あ、騎士団来た」
ドタドタと慌ただしい足音を立て、子供達の捜索部隊が到着した。
彼らはミレンテさんに敬礼すると、子供達を連れて行ってしまった。
「さて、アタシはこれから、任務完了の報告をギルドにしに行くけど、アンタ達も一緒に来ない?」
一仕事終えて、スッキリした様子のミレンテさん。
「子供達助けたのは、アンタ達だし。食事くらい奢るけど?」
僕はレンと顔を見合わせる。
丁度、ボスクラスのモンスターを狩った後に、第一〇階層に登ってしまおうと話していたのだ。
「「お願いします」」
僕とレンは声を合わせてミレンテさんに返事をした。
第二階層から第九階層までの道中で、多くのモンスターを倒し、集めた魔力晶で換金できた金額は一〇万フォーレだった。地下階層に比べて魔力晶の量は多かったが、モンスターが弱い分、質が低かったのだ。
それでも、僕にとっては充分すぎる報酬だったけれど。
日も暮れ始めた頃、ミレンテさんは僕とレンを酒場に連れて行ってくれた。
月明かり亭というその酒場は、この第一〇階層に限らず、全ての階層に存在している。ちなみに、この酒場は僕がアレスとシスティナの三人でパーティを組んでいた頃、よく利用していた。
「好きなもの好きなだけ頼んで。奢りだからって、気使わないでよ?」
「好きなだけ……」
レンがごくりと喉を鳴らした。
流石、Aランク冒険者。並の稼ぎでは出てこない言葉だ。
「おねーさーん! 注文注文!」
片手を上げて明るくウエイトレスさんを呼ぶミレンテさん。
エールの大ジョッキ、牛肉の厚切りやら高級食材である下級飛竜の舌やらを、一気に注文してしまう。
僕とレンもエールを注文。
「じゃ、かんぱーい!」
ジョッキを高々と上げるミレンテさん。
テーブルにデンと乗っかった大皿の数々に圧倒されながら、僕は自分のジョッキをミレンテさんのそれにぶつけた。
レンがおそるおそるそれを真似して、三つのジョッキが重なる。
何か、夢みたいだ。
あのミレンテ=キールと同じ卓に着くなんて、想像したことすらなかった。
まさか、ほんとに夢じゃないよね?
頬をつねる。痛い。夢じゃない。
「あはは、何してんのアンタ?」
と可笑しそうにミレンテさん。
「ねえ、二人は駆け出しの冒険者なんでしょ? 何であんなに強いわけ?」
いきなり核心に迫る質問をぶつけられ、僕とレンは顔を見合わせてしまう。
けれど、こうして会ったのも何かの縁だし、正直に話してしまっていいのかもしれない。
僕達はおずおずとこれまでの経緯をミレンテさんに話すのだった。
「ふうん、そりゃ世知辛い話ねえ」
三杯目の大ジョッキをぐいぐいやりながら、ミレンテさんは言った。
「とても、信じられないでしょうけど、本当なんです」
「いや? フツーに信じるよ?」
あっけらかんとミレンテさん。
「このクソみたいな世界で、そんな話ザラにあるわよ。特に、パルステラ家。あそこの連中は、一族以外の人間は小バエか何か程度にしか思ってないし」
「システィナはそんな子じゃないです」
「にしてもね、その娘を大事に大事に想ってるパルステラ家の人間が、何かの理由でアンタを邪魔に思ったのかもよ?」
確かに、状況から言って僕ははめられたとしか考えられない。
そうなると、真犯人はパーティメンバーの他には、パルステラ家の第五〇階層の騎士団エリア長――ヒューザさんくらいしか思い付かない。
「レンの方は、流石に魔族同士の諍いには詳しくないけど、やっぱり王族の中でドロドロしてるのは、人間と同じってとこじゃない?」
「あの、ミレンテさんは魔王城に行くことはできるのでしょうか?」
そうレンが訊く。
ミレンテさん達Aランクの冒険者は、第三〇〇階層まで活動が許されている。魔王城が存在するのも、第三〇〇階層だ。
「いや、三〇〇階層はちょっと特殊な造りになっててね。魔王城まで行くには、Sランクの資格が必要なの」
Sランク。それは第三〇〇階層から人類未到の塔攻略の最前線まで活動を許されている、ほんの十数人の冒険者達だ。
「アタシもいつかはSランクに昇格したいんだけど、Sランク試験ってそれなりの実績がないと受けることができないのよ。だから、今三〇〇階層で足止めを食らってるわけ」
そこでミレンテさんは身を乗り出した。
「そこで相談なんだけど、アンタ達Aランクになったら、アタシとパーティ組まない?」
「へ!?」
今、何とおっしゃいました?
いや、酒の席の戯れ言だよね?
「だって、二人とも神級の≪象徴生物≫持ちなんでしょ? 近いうち、Aランク冒険者になるよね?」
僕は逡巡する。
何てことのないように、ミレンテさんは訊いてきたけど、僕にとってAランクなんて途方もない存在だ。軽々しく『はい』なんて言えるわけがない。
でも、それがどうした?
僕はレンと約束した。魔王城まで連れて行くって。なら、AランクどころかSランクの冒険者に僕達はならなくちゃいけないんだ。
「なります」
即答はできなかった。でも、『なる』と答えることはできた。
“トカゲ”だった頃なら言葉を濁していたかもしれないけど、今なら断言できる。
「私も。スナオ君について行きますから」
レンが静かに、それでいて強かな声色で言った。
「アタシとしても、神級と組めるなら大助かりなの。だから、塔のもっと高いところでアンタ達を待ってるよ。まあ、そんなに長いこと待つ気はないけど。そうね……、二年くらい?」
「二年!?」
思わず僕は叫んでしまう。
だって、“白虎”のアレスと組んでも二年で第五〇階層だったのに。
「スナオ君」
レンが僕を呼ぶ。
彼女を見やると、真摯な瞳で僕を見つめている。
ミレンテさんの挑戦に、受けて立とうという表情だ。
「――っ!」
これは、もう腹を括るしかない。
僕はジョッキの中のエールを一気に煽った。
「行きます。二年で三〇〇階層に――」
「よく言った! 少年!」
ミレンテさんは僕の白い髪をくしゃくしゃ撫でたものだった。
その後、僕が啖呵を切るのを聞いていた他の冒険者達に、散々笑われて冷やかされましたとさ。とんだ羞恥プレイだよ……。