第三話 覚醒
夜が明け、新しい一日が始まる。
清々しい言葉のはずなのに、この牢獄にあと五年も閉じ込められることを思い出すと、吐き気さえした。
結局、僕は一睡もできず、力なく冷たく堅いベッドの上に寝そべるしかなかった。
どうしてこんなことになったのか?
考えても無駄だとわかっていても、頭の中をぐるぐると同じ疑問が巡っている。
アレスと一緒に塔の頂に行こうと誓った。
なんとか第一〇階層まで登って、そこでパルステラの令嬢のシスティナと出会った。システィナは“トカゲ”の僕も受け入れてくれて、パーティに加わってくれた。
更にシーナとディオルが入って、僕はあまり力になれなかったけど努力した。
あらゆるを尽くした。後衛で≪ヒール≫を唱えたり、魔力晶の回収係。危険な囮役をやって、時に死にかけたことさえある。
それでも、誰かの力になれることが幸せだった。塔の上に登れることが幸せだった。
その全てが詰まった冒険者としての二年間。たかが二年かもしれないけど、僕にとってはかけがえのない二年間が、一晩で粉々にされた。
どうして、こんな目にあわなきゃならないんだよ?
失意のどん底。底の底。
一気に地の底に叩き付けられたせいか、僕の中に仄暗く、危険な感情が宿った。
死にたい。
こんなところで五年も過ごして、冒険者資格も剥奪。
もう、どうやって生きていけばいいのか、想像もつかない。
塔での冒険が、僕の全てだったんだよ。
それが、こんなふうな仕打ちを受けて、自分じゃどうすることもできない無力感があって。
――もうこの世から、消え去ってしまいたい。
そう強く願ったとき、ふと祖父ちゃんの言葉が脳裏に蘇る。
『上向けよ、スナオ。どんなに無力で打ちひしがれるときがあっても、冒険者なら常に上を向け』
『それでもダメってとき、諦めちまいそうなとき、死んじまいそうなとき。まだ上を向け』
言われたとおり、上を向く。
それでも、涙が零れて止まらなかった。
『まだそれでもダメなら、コイツを飲め』
祖父ちゃんはそう言って、僕に特別な魔力晶をくれた。
祖父ちゃんが死んだ後、僕はそれを形見として、常にネックレスにして肌身離さず持っていた。
『コイツが利くのは、本当にダメなときだけだ』
上を向いたまま、形見の魔力晶を握り、視線の上に持ってくる。
朝陽を透かした魔力晶は、特別な色を帯びて、七色に輝いていた。
魔力晶とは、モンスターを倒した際に彼らが残す、魔力が詰まった石だ。
それらはギルドでモンスターを討伐した証として、換金することができる。だいたいの冒険者は、そうやって日銭を稼いで生活しているのだ。
魔力晶には発電など、使い道が色々あるらしいが、飲むものではない。特に、祖父ちゃんの形見は手のひらサイズほどもあり、人間に飲み込むことはできないだろう。
けれど、今の僕にそんなことは関係なかった。
今の今まで忘れていた祖父ちゃんの言葉が、こびりついて離れない。
なら、これを飲み込むのは、きっと“今”しかない。
魔力晶に付けてある紐を引きちぎり、口に運ぶ。
大きい。本当なら吐き出してしまうところだろうけど、僕は泣きながら必死に喉を動かした。
するり、と。
まるでゼリーのような滑らかで柔らかい喉越しと共に、魔力晶は僕の食道を通過した。
魔力晶をこんなに簡単に飲み込んでしまったことに驚愕するが、肝心の効き目のようなものが全く感じられない。
飲み込むタイミングを間違えた?
それは“今”じゃなかったのか?
祖父ちゃんの形見を無駄に消費してしまったという恐怖で、今度は顔面から血の気が失せる。もしこのまま何も、
――バクン!
――バクン! バクン!
熱い!
心臓が焼けるように熱い!
「ああああああああっ!」
身体が――全身の血液と細胞が沸騰し、腹の底には焼け石を突っ込まれたような猛烈な熱さと痛みがほとばしる。
「おげ……げええっ……!」
嘔吐した。
昨日の出来事で精神的な負荷により、吐き気のようなものは感じていたが、これは明らかに魔力晶を含んだことによる嘔吐だ。
僕は床に丸まるようにして転げ回った。
痛い痛い熱い痛い熱い熱い痛い痛い――ッ!!
湯気だろうか?
全身から白い気体のようなものが湧き出ている。
けれども、それはどこか神秘的で、まるで僕の生命力そのものを、
――痛みと熱さで、それどころじゃない!!
これは本当にヤバイ。
助けを呼ばなくちゃ、死んでしまう。
助けて助けて助けて助けて!
牢の鉄格子まで這いつくばり、看守を大声で呼ぼうとするが、
「アガアアアアアア――ッ!!」
雷に打たれたような衝撃、激痛が走り、僕は獣の断末魔のような雄叫びを上げる。
一体、何を飲ませたの!? 祖父ちゃん!
まるで地獄の釜のような煉獄に、僕の気は遠くなっていった。
***
『この魔力晶はな、モンスターから取ったものじゃねえ。塔の外にある、別のダンジョンの最深部に飾られていた、特別な魔力晶だ』
そう祖父ちゃんは言っていた。
『そのダンジョンはその昔、冒険者が修行のために訪れるダンジョンらしくてな。其処は本当の自分を知ることができると言われていた』
――本当の自分?
『そいつは、最深部の濃密な魔力が凝り固まって出来たもの、なんだろうな。俺の悪友の鑑定士が言うには、そのダンジョンの性質がまさにその魔力晶に詰まっているらしい』
――どういうこと?
『つまりだ、スナオ。もし、お前がその魔力晶を取り込むことができれば、本当の自分の力を知ることができるってわけだ』
僕の力――“白トカゲ”。
何の力も持たない、冒険者には適さない弱小≪象徴生物≫。
けれども、わかる。
そんな僕の“白トカゲ”が、今まさに真の姿に成長したと。
――“聖龍”。
それが僕の、本当の≪象徴生物≫だ。
***
意識が覚醒する。目を開けると、視界がぼやけて映る。
ゆっくり周囲を見回すと、明るく、天井が白い。
独房じゃない?
どうやら、ベッドに寝そべっている状態らしい。
上体を起こすと、身体が嘘のように軽かった。何というか、力がみなぎっている。
自分の身に起こったことが信じられずに、僕は思わず両手をしげしげと見つめる。
見た目、特に変わったことはないけど、確かに両手からは生命力のようなものがほとばしっていた。
「起きたか」
声をかけられ、そちらを見ると、看守が欠伸をしていた。
「あの……?」
「ここは医務室だ。お前、丸一日も高熱で死にかけてたんだぞ」
半眼で看守が恨めしそうに睨んでくる。
丸一日?
気を失って、全くわけがわからなかったけど、そんなに生死の淵を彷徨っていたのか。
あの灼熱と激痛と思い出すと、それくらいでも何の不思議もないけど。
生き延びるなんて、我ながらしぶとい。
「体調はどうだ」
「あ、もうバッチリです。ご迷惑おかけしました」
「全くだ。こんな朝っぱらから出張らせやがって」
と看守はぶつくさと言っている。
「軽い検診のあと、房に戻すからな」
「はい。すいませんでした」
検診をしなくてもわかる。
今の僕は、これまでの人生で最高に調子がいい。
“聖龍”が覚醒して三日が経った。
相変わらず、僕は活力に充ち満ちており、今日も元気に牢屋の中で体操をしている。
あれから、二つわかったことがある。
一つは、僕のステータスが異常に伸びているということ。以前と比べると、倍以上の能力があるのではないかと思う。
もう一つ、僕の持つスキルに、“聖”属性が付与されていること。聖属性は希有な属性であり、僕が知る限りでは弱点は皆無だ。
いずれも、実践で試したものではないけど、スキルについては自覚できるし、ステータスに関しては腕立て伏せや腹筋の回数を鑑みれば明らかだ。
「随分元気だな、スナオ・ハルカ」
と看守が僕の房の前に現れた。医務室のときと同じ人だ。
「面会だ。出ろ」
「面会? 誰ですか?」
「いいから行くぞ」
自分の面会に現れそうな人物を思い浮かべる。
真っ先に思い付くのはアレスだ。
システィナには完璧に嫌われただろうし、それはないな。同じく、ディオルやシーナということもなさそうだ。
看守に連れられて面会室に行くと、そこにいたのは知らない人物だった。
壮年の男性だ。面会室の小さな机に腰掛けている。
鎧の形状から騎士のようだけど、心当たりは多くない。
ブローチの事件について、新事実が発覚したのだろうか?
「掛けたまえ、スナオ・ハルカ」
男性が渋い声でそう言うと、僕は彼の対面に座った。
「私は騎士団エリア支部長のザークだ」
「はじめまして……」
エリア支部長は、市街層の各エリアに複数存在する、騎士団の拠点の長である。
そんな人がどんな用件かと、僕は恐る恐る挨拶をした。
「実は、君に一つの依頼が来ていてね」
「依頼……ですか?」
ザークさんの言葉の意味がわからず、首を傾げてしまう。
「騎士団からのクエストだよ。もし、このクエストを無事に遂行できたら、君に恩赦が与えられる」
「恩赦!?」
「即時釈放。そして、冒険者資格を再度与える、というものだ」
願ってもない話だ。
思いがけない復活のチャンスに、つい気が急いてしまう。
「どんな内容のクエストなんですか?」
「最近、第二から九階層で、想定外のボスクラスモンスターが出現する事件が増えていてね。想定外というのは、一〇階層以下では出現しないはずの、強力なモンスターという意味だ」
下一桁が九の階層では、ボスクラスのモンスターが出現することが頻繁にある。初見の冒険者にとって、ボスクラスモンスターは大きな鬼門の一つだ。
その討伐は、冒険者ギルドでよく見かけるクエストだったりする。
だが、第二階層からボスクラスモンスターが出るとは、どういうことなのか?
「問題はその出所でね。我々は塔の地下階層から、我々の知らないルートで上に登ってきているのではないかと見当を付けている」
「地下階層……」
聞いたことがある。
塔は基本的に第一階層から順に上に登っていくものだ。だが、実は第一階層よりも下――地下の階層が存在するという。
「君には地下五階層まで下ってもらい、そこで遭遇したモンスターについて、報告して欲しい。地下五階層に行ったことの証として、そこでしか咲かないクロユリという花を持ち帰ってもらう。期限は今日を含めて三日以内だ」
ザークさんは両手を組み、少し前のめりになった。
「やるかね?」
「やります!」
これ以上にない好条件だ。ここで断るなんてあり得ない。
「けど、どうして僕にこんな依頼が来たんですか?」
そう問いかけると、ザークさんは厳つい顔を更にしかめ、難しそうな表情をした。
「地下階層に出現するモンスターは強力なものが多くてな。第一〇階層のレベルの冒険者にクエストを出すのは、危険すぎる。からといって、上の冒険者をわざわざ出張らせるのも考えものだ。だから、囚人であり元五〇階層レベルの君に、白羽の矢が立ったというわけだ」
確かに、僕は第五〇階層に辿り着いた、元冒険者だ。もっとも、それはアレス達のおかげだけれども。その腕を買われたというわけだ。
更に、囚人ならば危険な目に遭わせても問題ない。そういうリスク回避の意味合いもある。
僕としても、冒険者として再び活動ができるなら、これほどいい話はない。
「わかりました。報告はどこで行えばいいですか?」
「クロユリを持ち帰れた場合、このエリアにあるペイルという騎士団詰所まで来るように。私は大抵そこに常駐しているので、受付で呼んでくれ」
「失敗した場合は?」
「君は刑務所に戻ることになる。三日以内に帰らなければ、手配書も出回る。もっとも、地下階層への捜索はない。救助は期待しないでくれ」
「肝に銘じておきます」
地下階層は未知のフロアだ。
最悪、死もあり得る。覚悟をしておいた方がいいだろう。
けれど、冒険者らしく、クエストで命を落とすなら本望だ。
「それじゃあ、早速出発したまえ。制限時間は短いからな」
「了解です」
僕が立ち上がると、看守が手錠を外してくれる。
意を決し、僕は地下階層に向かう準備をするべく、扉から出た。
***
意気揚々と出て行ったハルカ少年を見届けると、ザークはため息を吐いた。
「よろしかったので?」
「上からの命令だ。仕方あるまい」
スナオ・ハルカが今回のクエストに抜擢された理由は、実は上からの命令である。地下階層の難易度云々の話は、ザークのでっち上げだ。
そして、ボスクラスのモンスターが沸いているというのも、このクエストのお題目。すなわち方便でしかない。
「まともに地下五階層に向かえば、死ぬでしょうね」
「間違いなく、な。第五〇階層レベルの冒険者では、話になるまい」
ザークはハルカ少年のプロフィールが書かれた書類に視線を落とす。
冒険者ランクはF。≪象徴生物≫は“白トカゲ”。
これでは、地下階層のモンスターに蹂躙されるのが目に見えている。
上は一体何の目的があって、ハルカ少年を危険で無意味なクエストに挑ませようとしたのか。
正直、まだ十代半ばの少年を死地に送り込むのは、ザークとて気分のいいものではない。まして、充分に更生が見込める素直な若者だ。
「危機を感じて、早々に引き上げてくれればいいんだが」
小さい面会室に、そんなザークのぼやきが響いた。




