第二話 最悪の夜
しばらくアレスと談笑した後、夕飯の集合時間まで、僕は浴場でゆっくりしていた。
噂のサウナにも入ってみたけれど、あまりの熱気に耐えられず、五分と経たずに出てしまったものだった。
僕が部屋に戻ろうとすると、扉の前にアレスが深刻な顔をして立っていた。
「どうしたの?」
「スナオ……。ちょっと来てくれないか? システィナのブローチが無くなったらしい」
「えっ?」
心臓が凍り付くかと思った。
システィナのブローチといえば、御三家の一家であるパルステラの家紋が入った、とても高価なものだ。システィナが大切にしていたので、強く印象に残っている。
宿屋のロビーに行くと、ディオル、シーナ、そして悲痛な面持ちのシスティナが既に集まっていた。
「システィナ……大丈夫?」
僕がそう呼びかけると、システィナは暗い顔を僕に向けた。
「大丈夫なわけねーだろ」
ディオルが口調を尖らせて言った。
何だろう? ディオルから微かに殺気のようなものを感じる。
いつも僕に対しては当たりが強いが、ここまで鋭い目付きで睨むことは、僕がドジをしたときくらいなのに。
「もう騎士団には通報してある」
そうシーナが言った。
「通報って?」
「ブローチ、ロッカーに入れてたの。サウナは貴金属持ち込めないから。それが突然無くなったから、多分盗まれたんじゃないかと思うの」
システィナの言葉に、『なるほど』と納得する。
言われてみれば、僕も祖父ちゃんの形見の魔力晶をネックレスにしてたけど、今日はロッカーにしまっておいたな。
確かに、ロッカーにしまったものが勝手に無くなるはずもないし、盗まれたと考えるのが妥当だ。
ややあって、騎士団の人達が宿屋に姿を見せた。
騎士団は市街層の治安を守るために存在しており、事件性がある出来事には解決に協力してくれるのだ。
「塔騎士団エリア長のヒューザ=レオン・パルステラです」
一人だけ騎士団の鎧の色が異なる青年が、そう挨拶した。
金髪のオールバックに、細長の顎、細い目から狐を彷彿とさせる印象だ。
『パルステラ』――っていうことは、この人もパルステラ家の人なんだろう。
エリア長という肩書きに驚くが、御三家の家紋のアクセサリが盗まれたとなると、大きな事件と判断されてもおかしくない。エリア長クラスが出張ってくるのも頷ける。
ちなみに、エリアとは市街層を三つに分けたもので、エリア長は一エリアの中で一番偉い立場にいるということだ。
「すみません。私の不注意で……」
そう言って、システィナがヒューザさんに頭を下げた。
大事な家紋のブローチを盗まれたことに、責任を感じているのだろう。
「盗まれてしまったものは、仕方ありません。そんなことより――」
ヒューザさんは僕達を見回す。
「パルステラのブローチのことを知っているのは、皆さん以外にいますか?」
「……どういう意味です?」
ヒューザさんの問いに、アレスが顔を険しくした。
「バーカ。ちっと考えりゃわかるだろうが」
そんなアレスに、苛立たしげにディオルが毒づく。
「無くなったのはシスティナのブローチだけだ。ってことは、犯人の狙いはブローチだったってことだ。この宿でパルステラのブローチのことを知ってるのは、俺達だけ。犯人は身内の可能性が大じゃねえか。なあ? スナオ」
「え!? 僕?」
突然ディオルに水を向けられ、面食らってしまう。
ディオルは刺すような眼差しで、僕のことを睨み付けている。
「テメエ、さっき女湯の様子をチラチラ見てたよな?」
「は!?」
――嘘だ。
何を言ってるの? ディオル。
「ち、違うよ! 僕は男湯に入りに行っただけで――」
「俺にはそう見えなかったけどな」
「何をバカなことを言ってる! ディオル! 仲間を疑っているのか!?」
アレスが大声を上げた。
が、それをヒューザさんが窘める。
「まあ落ち着いて。スナオ・ハルカ殿でしたね? 失礼ですが、荷物を確認させてもらっても?」
顔面から血の気が引いていくのが、ハッキリとわかった。
嘘でしょ?
僕、本気で疑われてる?
「冗談じゃない、そんな侮辱は許さない」
アレスが僕を庇ってくれる。だが――、
「ただ検査するだけです。ここで何も出てこなければ、逆にハルカ殿の疑いは晴れるんですよ?」
ヒューザさんが柔和に言い含めた。
確かにそうだ。これは逆に、僕の無実を示すチャンスとも考えられる。
「わかりました。調べてください」
僕は思いきってそう言った。
その言葉に、ヒューザさんは満足げに笑みを浮かべた。
「ご協力感謝いたします。それでは、調べさせていただきますよ」
僕はみんなが見守る中、部屋のドアノブに鍵を差し込んだ。
ガチャリと回してノブを引くが、ガコンと鈍い音を立て、扉は開かない。
違和感を覚えつつ、もう一度鍵を使うと、今度は明るい音とともに扉が開いた。
何だこれ? ドアが開いてたのか?
鍵は閉めてたはずなのに。
三人の騎士達が僕の横をすり抜け、部屋に入っていく。
妙な胸騒ぎがした。
部屋の捜索が始まってほどなく、一人の騎士が報告に来た。
「ハルカ殿の荷物の中には、ブローチはありませんでした」
だが、ヒューザさんは落ち着き払ったものである。
「部屋の中をくまなく探せ」
騎士は命じられると、僕の部屋に引き返していった。
アレスがため息を吐いた。
正直、僕も気が気でなかったが、ここまで疑われることにだんだんと腹が立ってきた。
いくら探そうとも無駄だ。
だって、僕はやってない。
システィナのブローチが僕の部屋にあるわけがないのだ。
問題はブローチを誰が盗んだかだが、これは外部の人間である可能性が高いと思う。
確かに、システィナのブローチのことを、僕達パーティメンバーは知っている。
けれど、僕達にはシスティナのブローチを盗む動機なんて――、
「見つけたぞ!」
――え?
「ブローチだ! 化粧台の裏に隠してあった!」
嘘だ、そんな――、
「そんなはずない!」
僕は叫んでいた。
そんなの嘘だ。
僕は盗んでない。ブローチなんてあるわけない。
騎士の一人がブローチを片手に、部屋の外に出て来た。
ブローチをシスティナに手渡すと、システィナの手がわなわなと震える。
それは間違いなく、パルステラのブローチだった。
「決まりだな」
「違う! 僕じゃない!」
ディオルの吐き捨てるような言葉を、僕は必死で否定した。
「そうだ……。これは何かの間違いだ……」
アレスは驚愕に目を見開き、震える声で言った。
シーナは目をそらし、こっちを見てくれない。
「システィナ。違うよ、僕は盗んでない。これは……」
システィナが大股で僕へと向かってくる。
――バシンッ!
右の頬に、衝撃。
頬は徐々にヒリつくように熱を帯び、僕は遅れてシスティナに平手打ちをされたことに気が付いた。
システィナが涙混じりの目で、僕を睨み付ける。
彼女の瞳には、怒りと侮蔑が混ざった色が浮かんでいた。
「最ッ低……」
「システィナ……」
一年半ほども、システィナとパーティを組んできた。
だから、僕は彼女が信じてくれなかったことに、驚愕してしまう。
さっきも、僕にランク昇格試験頑張れって、応援してくれたじゃないか。
けれども、僕はようやく悟った。
長かったシスティナとの付き合いで、育まれていたはずの絆。
僕は近頃の失態で、その貯金を失っていたのだと。
――システィナは僕に失望していたのだ。
『ランク昇格しなかったら、マジで置いていくぞ』
そんなディオルの言葉が蘇る。
ランク昇格試験への『頑張ってね』は、応援ではなかった。
あれは、彼女なりの最後通告だったのだ。
膝から崩れ落ちた僕を、騎士達が両脇を掴んで、無理矢理立たせる。
僕の目の前に、ヒューザさんが歩み寄ってきた。
狐のような顔が、ニタリと笑う。
「スナオ・ハルカ。お前を連行する」
僕はやってない。
僕はやってない!
そう頭の中で連呼するが、現実は一切変わらない。
数時間後、パルステラのブローチを盗んだ疑いについて、僕の審問が開かれた。
「スナオ、大丈夫だ」
僕に付き添ってくれているアレスが、そう言い聞かせてくる。
「審問では、神官が≪真偽審眼≫のスキルでお前の言葉の真偽を占ってくれる」
そうだ。
審問官の中には、必ず嘘を見破るスキルの持ち主がいるはずだ。
その人が僕の言葉に偽りがないことを証明してくれる。
「だから大丈夫だ、スナオ」
アレスの手が僕の肩に乗せられる。
それが心強くて涙が出そうだった。
「ありがとう。アレス」
僕は小さな審問室に連行された。
高価な木製の長机に、三人の男女が腰掛けている。彼らが審問官だろう。
吹き抜けになっている二階の廊下には、アレス、ディオル、シーナ、ヒューザさん、そしてシスティナが僕を見下ろしていた。
二人の騎士に挟まれるようにして、僕は証人台に立つ。
真ん中に座る白い髭を伸ばした初老の男性――きっと審問官長だ――が、厳かに口を開いた。
「スナオ・ハルカ。君にはパルステラのブローチを盗んだ容疑がかけられています。次の質問に、虚偽なく答えることを誓いなさい」
「はい、誓います」
「では、一つだけ。君は、システィナ=レナ・パルステラのブローチを盗みましたか? あるいは、盗みに荷担しましたか?」
「いいえ。していません」
審問官長は右隣に座っている、眼鏡の男性をみやった。
おそらく、彼が神官。≪真偽審眼≫のスキルを持つ人だろう。
彼は首を横に振ると、信じられない言葉を発した。
「審眼の結果――“嘘”と判定されました」
何で!?
驚愕の判定に、視界が一気にぐらつき始める。
どうしてだ!?
僕は嘘を吐いてない!!
「まさか――何かの間違いです!!」
力一杯叫んだ。
頭に血が上っていく。
「僕は嘘なんて吐いてない!」
どうして!? どうして!? どうして!?
「もう一度見てください! 僕はやってない! 盗んでなんかいない!」
眼鏡の神官は両手を組み、その上に顎を乗せた。
「何度見ても、結果は変わりませんな」
「嘘だ!!」
僕は証言台に両手を叩き付けるが、二人の騎士に拘束されてしまう。
「スナオ!? 審問官! これは何かの間違いです!」
アレスが二階の廊下の手すりから身を乗り出して叫ぶ。
「見苦しいぞ、アレス!」
そんなアレスをディオルが怒鳴りつけた。
「落ちぶれちまったんだよ、お前の幼馴染みはよ」
ディオルは凍てつくような眼で僕を見下ろす。
そして、システィナも。
「あんな野郎は追放だ」
ディオルの吐き捨てるような言葉が、ナイフのように僕の胸を抉る。
「スナオ・ハルカ。どうやら、盗みは君の犯行で相違ないようですな」
「違う!」
「御三家が一、パルステラ家の家紋を盗んだ罪は重い。貴様の冒険者資格を剥奪の上、禁固五年とする。当然、身柄は第一階層へと移送する」
審問官長の左隣の女性が、極めて厳しい口調で言った。
――禁固五年?
――冒険者資格剥奪?
――第一階層?
足下から世界が崩れ落ちていく感覚。
唐突に、吐き気に襲われる。
僕の頭の中は、真っ白になった。
僕はその日のうちに、第一階層に転移魔法陣で移送され、牢獄の中に閉じ込められた。
まともな弁明もさせてもらえないまま。
おかしい。
こんなことは、どう考えてもおかしい。
僕の部屋からブローチが出てきたことも、≪真偽審眼≫スキルで“嘘”と判定されたことも。
これは、誰かの陰謀じゃないのか?
けど、どうして僕ごときをはめる?
いずれにせよ、わかっていることは一つだけだ。
――僕は今日、全てを失ったんだ。
飲酒後のサウナは危険ですので真似しないでください。