第十六話 ≪序列戦≫
早朝。
僕は冒険者ギルドへと向かった。レンが戻るかもしれないと判断したからだ。
それは正しく、レンは既にギルドの待合席に座って、僕のことを待っていた。
「レン」
「スナオ君」
レンの表情は少し曇っていた。
もしかして、クエストに失敗した?
「レン……。試験はパスできたの?」
「はい。私は大丈夫でしたが……」
合格したのか。
けれど、レンは不安そうに続ける。
「スナオ君は? 何かあったんですか?」
どくり、と心臓の音が鳴る。
何かあった――、大ありだ。
僕を罠にはめたのは、僕のかつての仲間で、彼も殺されてしまった。
思い出すと、気分が悪くなってくる。
「スナオ君……顔色が……」
顔色?
そんなに表情に出ているだろうか。情けない。
「僕も試験は合格したんだけど、ちょっと事件があって……」
レンは一瞬、思案するように唇に指を当てたが、ややあって口を開く。
「少し、落ち着けるところで話しましょう。実は、私も報告があるんです」
僕達はカフェまで移動した。
注文したコーヒーが届くと、僕はEランク試験で起こったことを、整理しながら話した。
話している最中、まだ自分の感情が制御しきれず、声が震えたり、言葉に詰まってしまったときもあったけど。レンは僕を急かすことなく、ゆっくりと話を聞いてくれた。
「それは、つらかったでしょう」
レンは慈愛のこもった眼差しで、僕を見つめる。
コーヒーカップの取っ手に指を添えた僕の手に、レンはそっと左の手のひらを乗せた。
「無理はしてませんか? スナオ君」
「はは……。正直、ちょっと無理はしてる」
僕は本音を吐露する。
ディオルは決して良いヤツではなかったけど、だからこそパーティとしては心強く、こういう最期は考えたこともなかった。
「でも、だからといって、ふさぎ込んでるわけにはいかないから」
僕はそんなディオルに負けないくらい強くなったと示したんだ。いつまでも、クヨクヨしてはいられない。
「パルステラ家が僕とディオルにしたことは、必ず暴く。こんな形で決心がつくとは思わなかったけど、もう迷わない」
レンは微笑んだ。
「わかりました。私も微力ながら助太刀します」
レンがそう言ってくれるなら、僕も遠慮はしない。
そして、遠慮しないからには、僕もレンに遠慮されるわけにはいかない。
「それで、レンの方は?」
レンは頷くと、僕の手から彼女のそれを離した。名残惜しい。
そのまま、彼女は懐に手を突っ込むと、一枚の黒い紙を取り出した。
「私の方は、これです」
その紙を僕の方に向け、机に置く。
僕はその紙に羅列されている文字に、視線を滑らせた。
「えっと……、≪序列戦≫?」
「昨日の深夜、ある魔族が私の前に現れ、これを渡されました」
レンの様子を上目で伺うが、彼女はコーヒーを啜り目を細めている。
その心中を察することはできなかった。
≪序列戦≫はレンが地下階層に閉じ込められる原因となった、魔族の序列を決める一戦だ。序列が下の者が勝てば、相手の序列に横入りできる……と記憶している。
「でも、どうして? レンは序列を持ってないんでしょ?」
「何が起こっているのかわかりかねますが、差出人のヴェルレイトは、私に勝つことで上の者と≪序列戦≫をする権利を手にすることができるようなんです」
それを聞く限りでは、何かきな臭いものを感じる。
けれど、それは僕だけではないはず。レンの方が、もっと危険な気配を察知しているはずだ。
「受けるの?」
と端的に訊ねた。
「はい。この挑戦、受けて立とうと思います」
「それは――」
止めた方がいい。
そう言いたかった。どう考えても普通じゃないし、レンは一度≪序列戦≫で陥れられているじゃないか。
「もはや序列に興味などありませんが、ヴェルレイトが言っていたんです」
レンは僕の言葉を遮った。
「スナオ君が私の前に現れたのが、偶然だと思っているのか……と」
僕は喉を鳴らした。
そのヴェルレイトという人の発言も驚きだが、何よりレンからこれまでにない凄みを感じ取ったからだ。
「ヴェルレイト――いえ、魔族の誰かが、スナオ君の事情を知っている可能性がある。それは、恩赦クエストの出所かもしれませんし、もっと上――スナオ君がはめられた件に関する情報かもしれません。それだけは必ず手に入れます」
レンが燃えている。
そこまでやる気なら、止めるのは野暮というものだろう。何より、僕にとっては嬉しいことだ。
「ありがとう」
と口から零れる。
レンは微笑みを崩すことなく、『いいえ』と言葉を返した。
「それで、勝負はいつ?」
「今日の十八時に。勝負内容も、そのとき決めることになっています」
「前はくじ引きで盤上合戦だったんだよね? 他に、どんな勝負内容があるの?」
問うが、レンは首を横に振った。
「それはわかりません。≪序列戦≫の方法は多岐にわたりますから。ですが、人数がものをいうなど、不公平な戦いではないはずです」
ここで疑うべきは、相手の不正が介入する余地だ。前回、レンは家臣の裏切りに遭い、逆に不正の濡れ衣をきせられた。
今度はレンを裏切る輩はいないけど、勝負内容自体がレンに不利だったら……。
僕は腕を組んであれこれ考えるが、正直対策なんて思い付くわけもない。
やはり、相手が仕掛けた勝負。『何でもあり』を想定すると、もはや仕掛けられた方は為す術はないのか。
「今回の戦いに限っては、不正はないかもしれません」
「と、言うと?」
「立会人が私のよく知る叔父なのです。彼は自分にも他人にも厳しく、≪序列戦≫で一方をひいきする人ではありません。もちろん、私が勝手な印象ですけど」
立会人。そうか、そりゃいるよね。≪序列戦≫でどちらが勝つか、見届けて証明する人物が必要なはずなのだから。
一度はめられたレンがそこまで言ってしまう人なら、公正に勝負内容を決めてくれるかもしれない。
「わかった。とにかく、今日は≪序列戦≫のことに集中しよう?」
僕はレンに笑いかける。
「必要そうなものを買っておこうよ。Eランク試験のクエストで、また一〇万フォーレ貯まったからさ」
「ありがとうございます。そうさせてください」
レンはぺこりとお辞儀をしたものだった。
そして、夕暮れの十八時前。僕とレンはバー『ディラン』に訪れた。
ドアには『閉店中』の看板がノブにぶら下げられていたが、僕らはそれを押し入った。
カラン。とドアベルの簡素な音が響く。
思いのほか狭い空間で、木造のL字のカウンターに、八席もあろうかという座席。カウンターの向こう側には、強面色黒のバーテンダーが佇んでいた。
「オープンは二十一時からですが」
とバーテンダーは野太い声で言う。
「あの、僕達約束があってこの時間に来たんですけど……」
そう言うと、バーテンダーは軽く二、三度頷いた。
カウンターから出て、『こっちに』と短く言い、彼は巨躯をのそのそとさせながら、店の奥へと進んでいく。
人が二人通るのがやっとな狭い道を進むと、その突き当たりに扉があった。
「ここの地下は、簡単な闘技場になっててね。他言無用でお願いしやすよ」
バーテンダーは廊下の道を阻むように腕を広げ、壁に手をつく。
僕とレンが頷くと、彼は白い歯を剥き出しにして不器用に笑顔を作り、腕をどけてくれた。
レンを先頭にし、扉を開けると、地下への階段があった。
階段を下ると、真正面に鉄の扉が鎮座している。
「いきます」
そう言うと、レンは鉄の扉を押した。
ギィ――、と軋んだような音を立て、扉が開く。
レンの背中越しに、大きく開けた空間が露わになった。
大きな照明で照らされた地下室は、洞窟の壁に鉄の板が打ち込まれた、無骨な造りだった。
そこにいたのは二人。
紫のボブカット――少女のような顔立ちだが、その軽装の下の骨格から察するに、少年だろう。そして、銀色の髪をオールバックにし、口髭を顎まで生やした背の高い初老の男性。
二人とも、レンと同じく白目の部分が黒い。これは魔族である証だ。
「いらっしゃい、レンジェラ」
ボブカットの魔族がにこやかに挨拶した。
「この度はお招きいただき、ありがとうございます」
レンはお辞儀で返す。
僕はどうしていいのかわからず、とりあえずレンの真似をしておいた。
「久しいな、レン」
「ジラック叔父様……」
叔父様。あの顎髭の男性が、レンが信用していいと言っていた叔父のことだ。
ジラックさんと呼ばれた彼の眼光は鋭く、とても姪に向けるそれとは思えない。
「貴様がスナオ・ハルカか?」
「っ、はい! スナオ・ハルカです!」
唐突に名を呼ばれ、慌てて返事をする。
「貴様はこの≪序列戦≫に立ち会いに来たな?」
「はい。そのつもりです」
「よろしい。こちらに来なさい」
ジラックさんに言われ、僕は彼のいる処まで歩を進める。
すごい迫力だ。だが、ここで僕がビビってはいけない。
ジラックさんの横に着くと、彼はすごい形相で僕を睨み付ける。いや、本人はそのつもりがないかもしれないけど。その金色の眼光にギュッと寄せられた眉、全身から発するオーラが、とにかく威圧的だった。
「叔父様。私がこの勝負に勝ったら、スナオ君について知っていることを教えてください」
そうレンが言うと、ジラックさんは頷いた。
「もちろん、いいだろう。スナオ・ハルカについて、私が知る限りのことを、貴様らに教えてやる」
その言葉を聞き、レンはジラックに頭を下げた。
レンの問いが当然のような受け答え。やはり、何か知っているのか。
そう思い、ジラックさんに視線を向ける。
僕が地下階層に行った理由。つまりは、恩赦クエストだ。その出所――あるいは、もっと込み入った事情を、ジラックさんは知っている。
だが、そんな僕の疑問をよそに、ジラックさんは二人に呼びかける。
「時間が惜しい。早速、≪序列戦≫を始めるぞ」
「競技は?」
レンに相対する、ボブカットの少年――彼がヴェルレイトさんだろう、そう訊ねた。
「互いに得意分野は魔法、であればその力量を競うが道理」
ジラックさんは大声を張り上げる。
「これより、魔法対決を行う!」
魔法での対決。これなら、不正が入る余地はない。
「両者、定位置につけ!」
レンとヴェルレイトさんが五メートルほどの間隔を開け、互いに向き合った。
かつて、シーナが他の冒険者とタイマンでやり合うのを見たことがあった。そのときは、互いに距離を保ち、そこから魔法を打ち合って、先にダウンした方が敗けだった。
雰囲気からして、まさしく同じような勝負が、これから行われる。
「ルールは生死不問! 合図と共に、魔法のみで決着をつけること!」
生死不問!?
僕は抗議しそうになった。
そんなルールで、レンジェラにもしものことがあったら――、
「始めいィ!」
遅かりし。
ジラックさんは怒号を上げ、勝負開始を宣言してしまった。