第一話 “トカゲ”野郎
その日は、悪夢のような一日だった。
確かに、最弱の“トカゲ”と誹られていた僕は、いつの日かパーティについて行けなくなるんじゃないかと、不安な毎日を送っていたけれど。
だからといって、どうしてこんな形でみんなと別れなければならなかったのか、今でも理解が及ばない。
まさか、クビではなく追放されてしまうなんて。
しかも、窃盗の濡れ衣を着せられて、牢獄にぶち込まれてしまうというオマケ付き。
この世には神も仏もいないんだ。そう暗く寒い牢屋の中で涙した。
あまりにも唐突に、僕は全てを失った。
***
「オラァ! 消えやがれ、獣風情がッ!」
乱暴な口調で、ディオル・ガバンは魔獣型のモンスター、ヘルグリズリーを魔法剣で切り捨てる。炎を纏ったその剣技に、ヘルグリズリーは雄叫びを上げて魔力晶へと成り変わった。
「無理はするな! ディオル!」
そんなディオルの派手な特攻を、剣士のアレス・ジェルトが諫めた。
彼は頼れるパーティのエースであり、最も高い戦闘能力を誇っている。
自身が三体のヘルグリズリーを引き受け、それでもなお全体を見る余裕が、彼にはあった。
「はあああっ!」
アレスは大剣で横薙ぎ一閃。三体のヘルグリズリーは、揃って上半身と下半身が泣き別れだ。
「≪ブラスト・バーン≫!」
剣も魔法も使えるアタッカー、“姫騎士”の異名を誇るシスティナ=レナ・パルステラもまた、ヘルグリズリーを始末したようだった。
彼女の美しい金色の髪がなびく。火炎魔法の残滓で照らされた凜々しい横顔は、一瞬見とれそうになってしまうほどである。
そんなノロマな僕を、ディオルが鋭い目付きで一喝した。
「スナオ! テメエ、何チンタラやってやがる!」
「ッ! ごめん!」
僕はヘルグリズリーの攻撃を、打刀で弾くのが精一杯だ。防戦一方。
「どけッ! ≪火炎刃≫!」
そんな不甲斐ない僕を見かねたのか、ディオルは僕とヘルグリズリーの間に割って入る。
炎の剣の連続攻撃で、あっという間にヘルグリズリーは消滅した。
「準備完了! みんな下がって!」
普段はクールな魔術師、シーナ=クレッタ・ロアーソは大きく声を張り上げた。
大型魔法を発動させる合図だ。
「≪ボルト・アロー≫」
シーナの頭上に、電の球体が強力な光を放つ。
球体から槍状の電撃魔法が、ヘルグリズリーの群れに向かって飛び出した。
十体以上のヘルグリズリーが、その槍をもろに喰らい、悲鳴を上げながら絶命していく。
結果、ヘルグリズリーは一体も残らなかった。
戦闘終了である。
「相変わらず、えげつねえ威力だな」
ディオルが黒い短髪を書きながらぼやいた。
あれほどの強力な大型魔法を使えるシーナは、間違いなく上でも活躍する器だろう。
「それに比べて……。おい、スナオ。テメエやる気あんのか? 獣一匹満足に倒せねえってのは、どういうわけだ」
ディオルはそんな風に、僕を叱責する。
『また始まった』とばかりに、シーナがため息を吐いた。
「面目ない……」
情けない、恥ずかしい。そんな感情を抱きつつも、僕自身が無能さを自覚しているので、謝ることしかできない。
「よせ、ディオル。スナオは引き付け役という仕事を、充分全うした」
「そうよ。それに、結果的に階層試験クリアしたんだから、いいじゃない」
アレスとシスティナが僕を庇ってくれる。
この二人と僕はこのパーティの初期メンバーであり、僕に甘い。
「“トカゲ”野郎が。ランク昇格しなかったら、マジで置いていくぞ」
二人に窘められ、ディオルは悪態を吐いて、先へと進んでしまった。
「ディオル!」
「アレス、いいんだ」
そんなディオルの言葉にアレスが反応するが、それを僕が制止する。
一番正しいことを言っているのは、ディオルだから。
“トカゲ”というのは、僕の力の本質を示す、≪象徴生物≫だ。正確には“白トカゲ”である。
一般的に、≪象徴生物≫が小動物である者は、冒険者としてやっていくことは困難といわれている。
そんな風に、弱くて情けない僕だけれども、何とかパーティの役に立とうと必死でやっている。
さっきみたいに、ディオル達にカバーしてもらうことは多々あるけれど、その度に何が悪かったのか、もっと良くなるためにはどうすればいいか、研究を重ねる毎日だ。
僕はディオルに認めてもらうために、何よりこのパーティのために、もっともっと強くならなくちゃいけない。
***
この世界には『塔』と呼ばれる、超巨大なダンジョンが存在する。
塔の頂に登った者は、この世界の全てが手に入るという伝説がある、最古にして最大最強のダンジョンだ。
そんな超級のダンジョンに屈強な冒険者達が果敢に挑んで、もう千年以上の時が経ったといわれている。
だが、全三五〇階層以上もあるという塔を制覇した者は、まだ一人も出ていない。
冒険者達は未だに塔の上へ上へと目指し、日々冒険を続けている。そのたぎる野心のために。
僕、スナオ・ハルカもそんな冒険者の一人だ。
僕はこの塔の中で生を受けた。
塔は十階層ごとにモンスターが生息しない階層――市街層が存在し、人々はそこでコミュニティを作って暮らしているのだ。
市街層は塔の外と変わらない環境らしく、昼夜はもちろん天候という概念だって存在する。また、エリアは充分に広く、人々が生活の基盤を塔の中に築くのには、困らなかったという。
僕は外のことを知らないけれど、塔の中はもはや一つの世界と言っていい。それだけ、この塔というダンジョンは広大で、かつ長い歴史が存在するのだ。
***
第五〇階層の市街層まで登り、僕達パーティは安堵の息を漏らした。
早速、冒険者ギルドへと向かい、階層試験クリアの報告へ向かう。
階層試験とは、市街層ごとに定められている、いわば冒険者ギルドによる活動承認試験だ。その試験で合格すると、パーティはそこより上の階層での活動が認められるものである。
僕達が受けたのは、第五〇階層の試験で、試験内容は四九階層に生息するヘルグリズリーの群れを討伐することだった。
「ようやく五〇階層からの活動ができるな。みんな、お疲れ様」
とアレスが言う。
金色の髪に輝くような白い歯。美しい青い瞳。柔和な雰囲気を醸し出す美男子であり、彼は頼もしいパーティのリーダー格である。
「そこのFランク野郎が昇格すれば、だろ?」
「今のスナオの実力なら、大丈夫さ」
ディオルの横槍に、アレスが自信たっぷりに答えるものだから、プレッシャーがかかってしまう。
そうなのだ。試験はもう一種類ある。
冒険者個人のランク昇格試験だ。
冒険者にはFランクからSランクまでの格付けが成される。
第四九階層まではFランク冒険者でも活動が認められるが、第五〇階層からはEランク以上でなければ、活動が認められない。
僕はまだFランク冒険者だ。何度かEランク試験を受験したが、全滅。
他のみんなはDランクだというのに、一人肩身が狭い。
だからこそ、僕は明日ランク昇格試験を受ける。今度こそEランクになって、このパーティのみんなと第五〇階層で活動するのだ。
「ねえ、もう今日明日はオフでしょ? さっさと宿屋に行きたいんだけど」
だるそうに紫色のショートボブをいじりながら、シーナが言う。
「賛成。今日はもう休みましょ」
システィナがそれに同意した。
もう陽も沈もうという頃合いだ。僕も正直ヘトヘトに疲れたし、早く休みたい。
「それじゃあ、どこか適当に宿を探すか」
などとアレスが提案するが、
「適当じゃダメ。この市街層、大浴場やサウナ付きの宿があるって。ギルドの人が言ってた」
珍しくシーナが自己主張する。
「ホント!? そこ行きたい!」
『大浴場』、『サウナ』という言葉に、システィナは大きく食い付いた。
「どこでもいいから、さっさと行くぞ」
ディオルは頭をボリボリかくと、すたすたと先に進んで行ってしまう。
後を追うように、アレスとシーナが移動を開始する。
僕もそれに続こうとしたとき、
「ねえ、スナオ」
とシスティナに呼び止められた。
振り返ると、夕暮れを背景に神秘的に輝く彼女の姿がみえ、ドキリとする。
システィナは憂いを帯びた表情で、微笑んでいた。
「明日の試験……、頑張ってね」
「……うん」
息を呑むほど綺麗なシスティナに、僕の頭に血が上っていく。
ああ、何か頬が熱くなってきた。
お風呂に入る前からのぼせそうになり、僕は振り切るようにしてアレス達の後を追ったのだった。
宿に到着し、女性陣は早速お風呂へと向かったようだった。
僕はというと、窓越しにすっかり暗くなった外を、個室で眺めていた。
いや、正確には違う。
窓に映った、僕自身の姿を見ていたのだ。
アレスと同い年のはずなのに、比較して幼い顔立ち。白い髪と紫の瞳が、よりそんな印象を際立たせている。
僕は自分の顔立ちにはコンプレックスを抱いている。
こんな風に弱々しい顔をして、ちっとも冒険者らしくないじゃないか。
ハァ――。とため息を吐くと、部屋の扉がノックされる音が耳朶に届いた。
「スナオ、いるか?」
扉越しにくぐもった声が聞こえた。
アレスだ。
僕が『どうぞ』と言うと、扉を開けてアレスが個室へと入ってくる。
その両手には、缶の発泡酒が握られていた。
「どうしたの?」
「いや、五〇層祝いに、食前に一杯だけやらないかと思ってね。ようやく、ここまで来たんだ。いいだろ?」
そう言って、アレスは大人びた顔を悪戯っぽく歪めた。
アレスと僕は幼馴染みだ。
僕らは二人で、同じ時期に塔の第三〇階層で生まれた。
僕の両親は平凡な宿屋を営んでいたけど、アレスのお父さんは、後に凄腕の冒険者として名を馳せるほどの傑物だった。アレスとお母さんを置いて、塔の上を目指すことを選んだらしい。
アレスはよく僕の実家の宿屋に遊びに来た。僕も同い年の遊び相手がいて、とても嬉しかった。アレスは母子家庭なので、お母さんが仕事で大変なときは、小さいアレスをうちでよく預かっていたという案配である。
僕達は一緒に冒険譚を読むのが好きだった。二人で一緒に冒険者になって、塔の遙か高いところまで行くんだと息巻いていたのを、よく覚えている。
けれど、僕は二人で初めて冒険者ギルドに行った十歳のとき、ショックを受けた。
思えば、あれが初めて自分の不甲斐なさを感じた瞬間だった。
魔法紋を水晶にあて、僕とアレスの≪象徴生物≫を占った結果、僕は“白トカゲ”、アレスは神級の“白虎”だった。
冒険者として致命的である“トカゲ”を引いたとき、僕は顔面蒼白になっていただろう。
だが、アレスはそれでも僕に冒険者になるのを諦めるなと言ってくれた。
自分が一緒にいるから、必ずパーティを組んで、塔を登ろうと。
その三年後、僕達は冒険者として出発した。
どの階層の生まれであろうと、冒険者は必ず第一階層からスタートしなければならないと、冒険者ギルドで定められている。
僕達は一ヶ月ほどかけて、第一〇階層の市街層にまで到達した。このときは、とても嬉しかった。
第一〇階層では、御三家が一であるパルステラ家の令嬢、システィナがパーティに加わったりと色々あった。
それから約二年の歳月を経て、ディオル、シーナという仲間を集い、僕達はついに第五〇階層まで足を踏み入れたのだ。
「ここまで色々あったが、俺達はこれからだ。スナオ」
窓を開け、縁に腰掛けたアレスが高々と発泡酒を掲げた。
「お疲れ様、アレス」
僕も発泡酒でアレスと乾杯する。
「けれど、アレス。最近、僕思うんだよね。僕はパーティのお荷物になってるって」
思わずそんな弱音を吐くと、アレスは目を鋭くさせて窘めてくれる。
「バカを言うな、スナオ。俺達はまだ成長期だ。今は思うように力を発揮できないかもしれないが、これからお前の力は間違いなく伸びていく」
アレスは発泡酒を煽ると、『俺は知ってる』と力強く言った。
そんなアレスの言葉が嬉しく、同時に情けなさと自分に対する腹立たしさがこみ上げてくる。
ディオルの言い分は徹底して正しかった。
満足にモンスターも倒すことができず、スキルも凡庸なものしかない。パーティ内ではこれといった立ち位置がなく、前衛のアレス、アタッカーのディオル、システィナ、後衛のシーナとは違い、器用貧乏で冴えるものがない。
「スナオ、大丈夫だ。今もお前はよくやってるし、必ず能力が開花するときが来る。自信を持って、明日の試験に臨むんだ」
「ん、そうだね……」
歯切れの悪い答えを誤魔化すように、僕は発泡酒に口を付けた。
弱気になってはいけない。
そう頭で念じ、心で強くなると意を決しながらも、どこか鬱屈としたものは胸中から晴れてはくれなかった。
――だが、そんな僕の杞憂など吹き飛ばすような大事件が、この晩起こることになる。
――それは、間違いなく僕にとって最悪の夜だった。