南仏の夏庭
南プロヴァンスの丘から望む地中海は、宝石を散らしたようにキラキラと輝き、ときおり吹きつける暖かく乾いた風は、セージやタイムの香りを運んでくる。
ヴァカンスでコテージに来るたびに、わたしは、パリの女学院生活で薄汚れた心が洗われる気分がしていた。
十四歳の夏も、それまでと変わらないヴァカンスになると思っていた。
ネズやカシの木陰で本を読んだり、ブイヤベースやラタトゥイユが食卓に並ぶところは変わらなかった。
けれど、その傍らに一人の少年の姿があったのが、いつもと違っていた。
彼はわたしより一つ年下で、近くにある小さな農場の一人息子だった。
そして、母親譲りで心肺が弱く、遠くへ行ったり、激しい運動をしたり出来ない体質の持ち主だった。
それでも、家で静かにしているのは退屈なのか、ヒヨコマメやアプリコットを届けに来る小父さんのトラックに同乗してくることが多かった。
わたしのコテージに遊びに来る際、彼は自家製のカリソンを持ってくることが多かった。
生地には砂糖漬けのメロンやオレンジが練り込まれていて、二つに割ったとき、アーモンドの香りの奥から、それらがほのかに感じられた。
お礼代わりにパリでの経験談をアレコレ聞かせてあげると、彼は見知らぬ土地での生活に、憧れと羨望をいだいたようだった。
彼は、数学や語学はからっきし駄目だったけれど、植物や気象、天体に詳しかった。
体系立った学問では無いものの、ヨモギの使い方や星の動きについての知識は、ためになることが多かった。
雲の形に注目していなかったら、二人して濡れネズミになっていたかもしれない場面もあった。
ただ、夏の恋は、秋には終わるもの。
暑さが和らいできて、そろそろパリへ戻ろうかという矢先、彼は帰らぬ人になってしまった。
そして、失ったのが友ではなく恋だと気付いたのは、訃報を知らされた瞬間だった。
さようなら、ジュリアン。
わたしに、よろこびとかなしみを教えてくれてありがとう。